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24話 重なる誘い

 自身の恋心を自覚した翌朝、不思議なことが起きた。ロルフの目を、きちんと見て話せるようになったのだ。

 これまでは視線が合いそうになる度に顔を逸らしてばかりいたが、今朝「おはよう」と声を掛けてきたロルフに正面から向き合って言葉を返せた。

 安心すると同時に、挨拶を交わすだけで幸せを感じる自分に少し困惑してしまう。


 それでも、やるべきことは変わらない。私は執務室に戻ると、机の上の書面と向き合った。

 種もみの貸し出し制度の運用記録。農具の配布状況。インフラ整備の進捗報告。各所からの確認文書。一枚ずつ目を通し、必要な箇所に判断を書き込み、次へ回す。単調な繰り返しだが、嫌いじゃない。この仕事が誰かの暮らしに繋がっていると思えば、ペンを走らせる手に自然と力が入る。


 一通り片付いたのは、午後の光がずいぶん傾いた頃のことだった。

 ペンを置き、背もたれに体を預けて一息つく。書棚に囲まれた室内は静かで、インクと紙の匂いが空気に溶けている。肩の力が、ゆっくりと緩んでいく感じがした。


「お疲れ様です、リュシア様」


 声がして顔を向けると、レイトが書棚の整理を終えたところだった。


「お疲れ様です」


 そう返すとレイトは少し考えるような間を置いてから、思い出したように口を開く。話したくてたまらない。そんな表情をしていた。


「そういえば、明日は休日ですね。どこかへお出かけになる予定は?」


 手元の紙から目を上げ、少し考える。


「いえ、特に予定は……ありません」


「でしたら」


 レイトの声が、ほんのり弾んだ。


「おすすめの絶景スポットがあるんです。少し歩いたところに小高い山があって、その頂上からの景色がもう――」


 言葉を続けながら、彼の目が段々と輝いてくる。眼鏡の奥で、うっとりと遠くを見るような光が灯っていた。


「領が一望できるんですよ。空が広くて、遠くの山の稜線まで全部見えて。夕暮れ時はもう、言葉になりません!是非ロルフさんと行ってみてはどうでしょう」


 その恍惚とした顔が少し可笑しくて、思わず口元が緩む。


「すごく、綺麗だったのですね」


「はい!……いえ、綺麗という言葉では足りないくらいで」


 レイトは少しかしこまった口調に戻りかけたが、すぐに熱量が戻ってきた。


「2週間ほど前に行ったんですが、今でも婚約者と語り合っているくらいで」


 ――婚約者。私は思わず書きかけの文字の上でペンを止めた。


「婚約者が、いらしたのですか?」


「は、はい。一月ほど前に」


 照れたような声だった。視線が少し泳ぎ、耳の先が赤くなっている。普段の落ち着いた様子とは打って変わって、どこか初々しい。


「元々幼馴染だったんですけど、僕が上京して離れ離れになってしまって。それが、つい一月前に彼女も追いかけてきてくれたそうで……」


 もじもじと続ける彼を見ながら、私は静かに驚いていた。

 この人のことを、私は何も知らなかった。日頃の業務の時も、飢饉対策に奔走していた日々も、当たり前のようにそばにいた人なのに。いや、正確には知ろうとしていなかったのだ。


 どうしてだろう、と自分に問いかける。少し考えて、答えが出た。

 たぶん怖かったのだ。踏み込んで、拒絶されることが。王都ではずっと、それが当たり前だったから。親しげに近づけば煙たがられ、意見を言えば浮いた。そうやって何度も経験するうちに、他人に興味を持つこと自体を遠ざけるようになっていた気がする。


 頭の中にロルフの顔が浮かぶ。次にユリウス伯、それからハインリヒ、そして今ここにいるレイトの顔が続く。

 でも今は、知っている。――受け入れてくれる人が、いることを。

 私はペンを置き、少し前のめりになりながら問いかけた。


「彼女の、どこを好きになったのですか?」


 彼は眼鏡の奥で目を瞬かせた。それから、照れを隠すような間を置いてから、やがてこぼすように話し始めた。

 本が好きな自分に、読んだ感想を聞きたがってくれる人だったと。難しい本の話でも眠そうな顔をせず、自分なりの感想を言ってくれたと。離れ離れになっても手紙を書き続けてくれたと。

 語り終えた後、彼は少し恥ずかしそうに笑った。


「えんえんと、語ってしまいましたね」


「いえ、聞いてよかったです」


 私は静かに言い、机の上のペンに再び目を落とした。

 受け入れてもらえるかどうか、ではなく。この人の話を聞きたいという気持ちが、先にあったのだと彼の言葉で分かった気がした。



 ♢



 夕食時ユリウス伯は途中から来客の対応に引っ張られ、私とロルフが残る形になった。向かいに座るロルフがふと顔を上げ、こちらを見る。


「何か、いいことでもあったのか」


「え」


「さっきからずっと、にやにやしてるだろ」


 言われて初めて、口元が緩んでいたことに気づく。


「レイトさんと少し、恋バナをしていたんです」


「恋バナ」


 聞きなれない言葉に、ロルフは目をぱちくりと瞬かせる。


「婚約者がいるとは知らなくて、驚いてしまいました。幼馴染だそうなのですが、なかなかいい話で」


「そうなのか」


 数字と睨み合いばかりしていた私にとって、恋愛の話というのはどこか縁遠いものだった。だからこそ、誰かの恋の話を聞くのがどこかむず痒く、楽しい。


「彼が言うには、おすすめのスポットがあるそうで」


 彼の話してくれた景色を想像する。晴れ渡るような空、遠い山々の稜線、見切れる程の自然、そんな風景をロルフと見られたら……そう思い、思いがけず口から言葉溢れた。


「もしよければ……」


 そこまで言って、言葉が途切れる。一緒に行きませんかと言えばいいだけなのに、形を成す前に解けて消えてしまう。ただの言葉。なのに、緊張して喉が枯れてしまう。

 きっと、これまでならするりと言えていた。だけど、今は不安が先に来てしまう。断られてしまったら、嫌われてしまったらどうしようと。

 

 でも、この気持ちを不安で終わらせたくない。私は、覚悟を決め口を開いた。


「……もし、よければ一緒に行きませんか」


「ああ、構わないぞ」


 瞬間、リュシアの顔がぱあっと明るく照らされた。心からの安堵と喜び。それらを噛み締めるように、彼女は両手を胸に当てる。


「それで、どこにあるんだ。おすすめの場所というのは」


「近くの小高い山らしいです。頂上からの景色が、格別らしくて――」


 説明を始めた瞬間、ロルフが小さく笑った。口角が持ち上がり、肩が微かに揺れている。


「何がおかしいのですか」


 思わずむっとして言い返すと、ロルフは手を上げて謝罪の素振りをした。


「いや、悪い」


 ロルフは笑いを収めようとしながら、少し間を置いて言った。


「この前話した絶景が見える場所というのが、そこなんだ」


 私は呆気に取られ、少し固まる。

 そして星空を眺めながら、ロルフが言っていた言葉を思い出す。『近い内に、最高の場所に連れて行ってやる。街が一望できるんだ』。つまりあれが、その山のことだったということ。


 私はすでに誘われていた場所へ、自分から誘い直したことになる。じわじわと、耳の先まで熱くなっていくのが分かった。うつむいた拍子に、前髪が頬にかかる。何か言おうとしたが、言葉が出てこない。

 そこへ、テーブルの向こうから手が差し出された。


「楽しみだな」


 私はおずおずと、その手を握り返す。そして羞恥に塗れた顔で、こくんと頷いた。



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