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21話 二人きりのワルツ

 屋敷への帰り道、夕陽が石畳を橙に染めていた。

 長い影が二人の足元から伸び、城壁の向こうへ消えていく。風は温かく、春の名残りがまだ空気の中に漂っていた。しばらく無言で歩いていたロルフが、ふと横目を向けてくる。


「そのネックレス、普段からしているのか」


 視線の先を辿るように、私は自分の胸元に目を落とす。桃色のアイビーが連なる細い銀の鎖。


「ええ」


 指先でそっと花びらの形を確かめながら、正直に答える。


「なくしたくないので、自室で保管しようかとも思ったのですが……綺麗だったので、付けたくなってしまって」


 ロルフが、「そうか」と小さく零した。声の端がわずかにほぐれているのが分かる。照れているのか、それとも照れを隠しているのか。

 私はふと、彼の首元へ視線を移した。白いマーガレットが、彼の鎖骨のあたりで揺れている。夕陽を受けて、小さな花びらが金色に光っていた。


「ロルフも、ネックレスしてくれているのですね」


「ああ。せっかく贈ってもらったしな」


 素っ気なく言うが、節々にどこか温度が籠っていたように思う。

 私はいつのまにか、口元が緩んでいた。


「どうした」


「いえ」


 にやけているのが伝わってしまったらしく、ロルフが怪訝な顔でこちらを見ている。


「自分が贈ったものが大切にされているというのは、案外嬉しいものだと思いまして」


 誠心誠意考えて選んだつもりではあった。それでも一度渡した以上、あのネックレスは彼のものだ。捨ててしまっても、引き出しの奥に仕舞い込んでも、それは彼の自由のはずで、私がとやかく言えるものでは何一つない。

 だからこそ今こうして身に着けていてくれていることが、思いがけないほど嬉しかった。

 ロルフは少しの間黙って、それからゆっくりと微笑んだ。


「そうだな」


 短く言い放つロルフ。その横顔は春の陽気のように、とても穏やかだった。


 それから二人でしばらく歩いていると、ロルフが不意に息を吐いた。どこか重さのある、呟くような溜め息だ。


「……舞踏会か」


「苦手なのですか?」


 問うと、彼は少し困ったような顔になる。苦手なものがあることを認めるのを、ためらっているような表情だ。


「いや、舞踏会自体に苦手意識はない。ただ……」


 いい淀むロルフ。私は立ち止まり、言葉を待った。

 しばらくそうやって立ち往生していたが、観念したのか頭をぽりぽり掻きながらこぼすように呟いた。


「あんまり言いたくなかったんだが、……ダンスが苦手なんだ」


 少し意外だった。頭も切れるし、運動神経も抜群。何でも卒なくこなしてしまう。それがロルフに抱いている私の印象だ。そんな彼に苦手なものがあるという事実に、少し親近感を覚えてしまう。首を傾けながら、自然と口から言葉が零れた。


「でしたら、教えましょうか?」


 ロルフが顔を上げる。


「いいのか」


「ええ。私でよければ」


「……助かる」


 心底ほっとした顔をするロルフを見て、私は何だか可笑しくなった。思わず口元がほころんでしまう。


「……俺が踊れないのが、そんなにおかしいか?」


「いえ、そういうわけではないです」


 私は慌てて首を振る。


「ただ、ロルフも人間なのだなと思って」


「俺を何だと思ってるんだ」


 呆れた顔をするロルフに、今度は笑いを堪えるのが難しくなってくる。小さく口元を押さえながら、しばらくの間夕食後に庭で練習することを約束した。



 ♢



 夕食が終わると、私は魔道カセットを携えて庭に出る。ロルフはすでにそこに立っていた。夜の空気は冷たく澄んでいて、遠くで虫の声がしている。


「音楽を掛けますから、合わせて踊りましょう」


 スイッチを入れると、柔らかな三拍子が庭に広がっていく。私はロルフへ手を差し出した。

 ロルフは少し照れたような顔をしながらも、その手を取る。


 踊り始めた途端、歩幅がずれてしまう。リードしようとする力と、合わせようとする動きがわずかに噛み合わない。数拍と持たずに、繋いだ手がほどけた。


「もう一度」


 私が手を差し出すと、ロルフは黙って取り直す。今度こそ、という気配が伝わってくる。


 だが、結果は変わらない。

 結局その日は何度試みても、最後まで踊り切ることができなかった。練習を終える頃には、ロルフの表情に疲労と悔しさが混じっていた。


「悪かったな」


 頭を掻きながら言う彼に、私は首を振る。


「誰にでも苦手なものはあります。それに、まだ一日目です。きっとこれから上手くなりますよ」


 それから一週間、夕食後の練習が続いた。

 細かいステップを必要とする箇所は、驚くほど早く習得した。だが音楽の緩やかな流れに身を委ねる部分になると、どうしても動きが固くなる。それでも毎晩欠かさず練習を重ね、少しずつではあるが形が整ってきていた。


 一方でロルフの目の隈は、日ごとに濃くなっている。寝る間を削って自分でも練習を続けているのだろうと、見ていれば分かる。


「初日は全く踊れなかったのに、一週間でここまできるようになりました。それだけでも、十分な進歩だと思います」


 そう声をかけると、ロルフは静かに頷いた。うまく笑えていない。


「ですがしっかり寝ないと、体調に支障が出てしまいますよ」


 しばらくの沈黙の後、ロルフが絞り出すように呟く。


「……大丈夫だ」


 同じ言葉が出たのは、今夜で何度目だろう。しかし私も、それ以上強くは言えなかった。もし自分が同じ立場なら、きっと同じことをしていたと分かっていたから。


 それから、何日かの時を重ねながらワルツを刻んでいく。しかしそれでも、完璧に息が揃うことはなかった。

 そんな中とある夜の練習中、廊下の方から足音が聞こえ、レイトが顔を出した。


「あ、練習中でしたか。失礼しました」


「いえ、ちょうどよかったです」


 私はふと思い立ち、事情を話した。


「見本を見せた方が、いいかもしれないと思って。一緒に踊っていただけませんか」


 レイトは少し驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。


「分かりました。僕もたいして上手くは踊れませんが、それでお役に立てるなら」


 音楽を掛け直す。私とレイトは向かい合い、音楽に合わせて踊り始めた。丁寧に、でも自然に。どこかで躓くこともなく、最後まで踊り切る。


「ありがとうございました」


 レイトにお礼を伝え、ロルフの元へ戻る。


「何か、コツはつかめそうですか?」


 問いかけると、ロルフは仏頂面でぼそりと「ああ」と呟いた。何が不機嫌を呼んでいるのか分からず、私は首を傾げる。


 再度手を取り合い、練習を再開する。だが、今度も同じところで動きが乱れた。

 どこが引っかかっているのか。頭の中で繰り返し整理していると、横からレイトの声が聞こえてきた。


「ロルフさんは、動きが鋭すぎるのではないでしょうか」


「どういうことですか?」


 首を傾けながら尋ねると、レイトは少し考えながら続ける。


「たぶんロルフさんは、ゆったりとした動きが苦手なんです。戦いではゆっくりなんて動いていられませんから」


 確かに、と思う。ロルフがうまく踊れていた部分は、細かく速いステップを刻む場面だ。反対に音楽の緩やかな流れに委ねる部分、重心をゆっくりと移し替えていく場面で決まって歩幅が合わなくなっていた。

 原因が見えれば、方針は立てられる。私はロルフの正面に向き直った。


「目を閉じてください」


 ロルフが眉を上げる。


「それだと足が見えなくなるだろう」


「私に委ねてください」


 一瞬の沈黙。それからロルフは渋々、瞼を閉じた。

 音楽が再び流れ始める。踊り始めると、やはりまだ力みがある。


「ロルフは好きな景色はありますか」


 問いかけながら、私は自分の言葉でも考える。好きな景色。

 そして難しい顔をしているロルフに向かい、語り掛ける。


「私はこの街が好きです」


 私はいつか見た景色を眼に浮かべながら、そう言った。領民の笑い声、食べ物の香り、朝の市場の喧騒、子どもが走り回る石畳。そういうものが、胸の奥に温かく積もっている。


「俺も、好きだ」


 ロルフの雰囲気が、少しだけ柔らかくなった。


「では、この街の光景を思い浮かべてください」


 声を落として続ける。


「声、香り、空気――そういうものを意識しながら」


 ロルフは小さく息を吐き、思考を胸の内に沈めていく。それからしばらくは変わらずミスを重ねていたが、やがてロルフの肩から力が抜けていくのが分かった。張り詰めていた何かがほどけ、動きが変わっていく。重心の移し方が自然になり、歩幅が音楽に溶け込んでいく。

 ――二人は、踊れていた。


「目を開けてください」


 私が言うと、ロルフはゆっくりと目を開けた。そこには夜の庭と澄んだ空。そしてピアノのせせらぎが響いてくる。ロルフは目の前の彼女に促されるまま、体を動かし続ける。音楽と体の境界が曖昧になっていくのを、ロルフは全身で感じていた。

 やがて音が止まり、二人は静止する。


「踊れていましたよ、ロルフ!」


 思わず興奮気味に話しかけると、彼は反応することなく放心したように辺りを見渡していた。

 やがて、感嘆するように言葉が漏らす。


「魅力が、分かったような気がする」


 私も「よかったです」と静かに返す。ロルフにはいつも助けてもらってばかりだけど、少しでも返せたのならすごく嬉しい。


「リュシアのお陰だ。ありがとう」


 ロルフがまっすぐな瞳で見つめてくる。

 いつもなら、真正面から受け止めてそのまま答えられたはずだ。なのに今夜は、視線がどうしても逃げた。頬に熱が集まるのを感じながら、私は顔を横へ向ける。


「い、いえ、ロルフの努力の賜物です」


 何とか声だけは、平らに保てた。


 どうして、顔を背けてしまったのだろう。胸の奥で、その問いが静かに残っていた。答えは見つからないまま、夜風が髪を揺らしていく。

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