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イーリス・ブレンヒルトの自由で至福な最高の生き方  作者: 智慧砂猫
第三章 イーリス・ブレンヒルトと狂信の皇国

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エピローグ①

 皇帝アドラーの野望は潰えた。弾圧によって大勢の命を奪い、なおも裁判で自身を正当化し続ける姿は、まさに醜悪と呼んで差し支えない。自分は神にも匹敵する存在になれたと、処刑台に立っても失われた夢を語り続けた。


 彼の死後数年はエーバーハルト公爵家があらゆる事後処理に追われた。


 しかし、いつまでも皇帝の座を空けたままには出来ない。まだ十三歳ほどだったアドラーの弟であるエーギルは即位を断ったが、公爵家が宰相として就くことで、これを快諾。兄とは違い、平和主義者であるエーギルは信仰の自由を唱え、人々の生活により根ざす穏やかな考えで国民からの厚い支持を得た。


「それで、ヴェルター。彼女たちは見つかったのかね?」

「いえ。港町を最後に行方知れずのままで足取りも分からず……」


 魔女イーリスと、騎士ユディットは皇国から姿を消した。誰に何を伝えることもなく、静かに。その代わりに何人かのもとには大量の金貨が詰まった箱が届いた。魔女なりの最後の礼だったのかもしれないが、結局真相は分からずじまい。


────というのは、大嘘だ。ヴェルターは行先を知っている。


「そうか、そうか。あまり時間も裂けぬ、国を救ってくれたことに感謝を示したかったところだが、魔女が望まぬのであれば無理を言うべきではないな」


「ご明断でございます、皇帝陛下。魔女は誰よりも自由でありますれば」


 食事を終えたヴェルターは席を立った。


「それでは、わたくしはこの後に第三騎士団の業務も御座いますので」

「ああ、長く引き止めてすまなかった、行ってくれ」

「は。失礼いたします。用があればいつでもお申し付けください」


 食堂を出た後は、ふうとひと息吐く。エギールはジーモンに最も近い性格をしている。アドラーとは違って明確に皇国が良い方向に傾いているのは事実だ。


 しかし、その一方でヴェルターは多忙を極めた。宰相として傍に居続けるだけでなく、第三騎士団も自分以外にはまだ背負えないものだ、と頑なに団長の座に座り続けた。もちろん、有望な部下は既にいるので、いずれは座を譲るつもりだ。


「これはお父様。執務室にお戻りに?」

「ハイデマリーか。クラウスはどうした、一緒じゃないのか」

「ええ。第一騎士団の訓練がありますからね」


 クラウスは騒動の後、すぐに第一騎士団に復帰した。弛んだ騎士道で、正しくない側の人間に成り果てた同胞たちを解雇し、新たな人員を募ったので、その育成には自分が携わっているべきだと。


 もちろん、ハイデマリーも話し合って賛成したことだ。彼の教育方針は厳しいが、その分騎士たちは真面目に働いていた。統制の取れる人間を失えば崩れるまではあまりにも早い。また同じような問題が起きるのは望ましくなかったから。


「これからお話でもと思ったのですが、執務があるのであればお邪魔でしたね。また都合がつくときにお訪ねしても?」


「いや、今でいい。何か大切な話があったから来たんだろう」

「それはそうですけど。イーリスから手紙が届いたので、お見せしに」

「そうか。……陛下に知られたら失望されるだろうな」


 絶対にバレないようにしなければ、とため息がでる。

 折られた手紙を開き、文字に目を滑らせた。


『久しぶり。そっちは皆元気か? アタシたちは今、遠い島国に来てる。どこへ行っても目新しい文化ばかりで楽しい日々を過ごしてるよ。異国の人間だってんで、ちょっと目立っちまうのは恥ずかしいけど。言語も違うから、少しずつ勉強してる。魔導書を書くよりもずっと大変だ。土産も一緒に送った。喜んでもらえたらと思う。それじゃあ、また手紙を書くよ。イーリス・ブレンヒルトより』


 近況報告にさほど興味もないヴェルターはさっと折り直して返す。


「届いた荷物はあるのか?」

「ええ。なんだか、色々と屋敷の方に」

「……あれから何年だ」

「五年になりますわね。お父様も随分と老けられました」

「ははは、それはそうだ。孫の顔はいつ見れるんだ」

「ふふ、そのうちでしょうね。跡継ぎは欲しくなりますか?」


 ヴェルターも欲しくないと言えば嘘になる。だが、首を横に振った。


「俺の孫だというだけで嬉しいものだ。跡を継ぐかどうかは生まれてから決めればいい。まあ、それまで俺が生きている保証もないが」


 くあっと大きなあくびをして、何度か瞬きをする。

 心配そうにハイデマリーが顔を覗き込んだ。


「随分と疲れていらっしゃいましてよ。休んだ方がよろしいのでは?」

「黒山羊商会との商談が残ってる。マクシミリアンとの話は油断ならない」

「なら、わたくしが代わります。倒れられては孫の顔も見せられませんわ」

「……まあ、お前がそう言うのなら」


 娘に詰め寄られると、さしものヴェルターも嫌だと言えなくなる。冷徹だとうわさされる父親の実際の姿など、このようなもので、どちらかと言えば、ただ感情をあまり表に出さないだけだ。


 なにより、娘を信頼している。黒山羊商会のマクシミリアンは手強い。自分以外では彼の言葉に丸め込まれて当然だと感じるが、ハイデマリーなら同等に、隠された言葉の罠に掛かることもないと安心できた。


「では行きましょう。荷物もあるでしょうから執務室までお話でも」

「構わない。ところで、最近はよく手紙のやり取りをしているようだな」


 歩きながら、ヴェルターがあごに手を添えて不思議そうに尋ねた。


「友人ですから。……欲を言えば会いたいときもあるのですが」


 何年も会っていないのだ、寂しくもある。魔女が顔も見せずに旅立ってしまったときは、喜びと同時に寂しさがこみ上げた。彼女たちは立場に縛られなくなった。誰も自分たちを知らない土地で生きていくのだ、と。


 だが友人の旅の知らせが届くたびに会いたさが募った。彼女たちのおかげで今があるのだと、ハイデマリーは強い実感があったから。


「わたくしが結婚できたのも、数年の旅を愛する人とできたのも、あの方々がいたからです。彼の背中を押してくれたから。あの頃は取引相手くらいにしか思っていませんでしたが、今では誰よりも心から愛せる友達です」


 幸せそうに微笑む娘に、ヴェルターも穏やかな笑みを浮かべる。


「ああ、そうだな」


 会いたいのは同じだ。せめて死ぬまでに、もう一度だけ。

 お前たちのおかげで俺も良い人生になった、と。


「俺たちは良き友人を得た。生涯、いや、エーバーハルト公爵家が続く限りは、彼女たちを誇りに思うことにしよう。あの二人が嫌がったとしてもな」


「ふふ、まったくです。……あ、そういえばルッツが顔を出してましたよ」


 ぴくっ、とヴェルターが反応して表情を強張らせた。


「また来ていたのか。いまさら騎士に復職を望んでなんの意味が」

「娘に感化されたみたいです。前とは見違えるほどまっすぐな目で」

「困った男だ。なぜあれほどのことがあって騎士に戻りたいと?」


 馬鹿馬鹿しいと思いつつも、ルッツの変わりようについてはヴェルターも知っている。かつては横領事件で大罪人となったものの、アドラーを裏切り、魔女側に付いたことでエギールから恩赦を受けた。


 とはいえ元罪人で爵位も剥奪された人間だ。城や皇宮で雇うのはどうかと話があり、ヴェルターは彼を釈放するのみに留めたが、何度断っても門前にやってきては必死に頭を下げ続けて、雨の日だろうが来るので呆れていたところだ。


「エギール陛下にはまだお話されていないのですか?」

「話せば、あの方はお許しになるだろう。正直に言って父親よりも甘い」


 罪人とて殺したわけでもあるまいと更生の機会を与えようとする。そんなことでは示しがつかないと言って止めたが、ルッツに関しては異様とも言える執着が見えた。どうするべきか、と手を額に当てて深いため息を吐く。


「国民が納得するとは思えないが、ルッツ・ヴァルトシュタインは恩赦を受けた身だ。あれが魔女を支援しなければ、今頃はアドラーの計画通りに進んで、皇国は歴史の闇に消えただろう。……仕方ない、伝えておいてやるか」


「お優しいですね。てっきり処理なされるのかと」

「俺は世間的にはそういう評価らしい。心から残念に思うが」


 ただ普通に過ごしているだけで、なぜそうも冷たい人間の評価が付きまとうのかだけはヴェルターの永遠の謎だった。


「まあ、第二の人生を送る者は多い。あれほど執念深く騎士に戻ろうとするのだから、次は横領など馬鹿な気は起こすまい。それ以外は評価に値すべき人間だ。使える人材であれば監視を付けたうえで利用するのも悪くない」


 結果的にヴェルターの行動が誰かの命を奪ったわけではない。少なくとも皇国が平和だったおかげで、なにひとつ実害もなかった。だからといって許せるわけではないが、第二騎士団長としてのルッツはテオボルドよりは遥かに優れている。


 当時は部下の信頼も厚かった。いささか個人としての壁はあったが。


「騎士団の顔ぶれもほとんど変わった。今後の体制を整えるためにも、ルッツのように厳格な指導者は使い道がある。娘の育て方は知らずとも、騎士の育て方は勝手知ったるものだ。俺の負担も減らせるから都合が良い」


「それは良い考えですわ、お父様。ではクラウスにも伝えておきます」


 いつの間にか執務室の前で来ていた。ハイデマリーが会釈をして去っていくのを見て、寂し気に執務室の扉を開く。第三騎士団の執務室には珍しく、皆が出払っていて誰もいない。自分だけの部屋で面倒くさそうに頭を掻く。


「第二の人生か……。やれやれ、自由とは羨ましく感じるものだな」


 机に山積みになった書類を見てうんざりする。いくら仕事を済ませても、次から次へと増えていく。有能な部下がもっと欲しくなった。


「おや。先にお戻りだったのですね、団長」


 真っ赤な髪に丸眼鏡を掛けた、いかにもインテリな雰囲気漂う女性が入ってくる。第三騎士団の制服に身を包み、書類の束を抱えている姿は見慣れたものだ。


「アクィラ、いつもご苦労だな。働き者で助かっているよ」


 いきなりポンと肩を叩かれて、アクィラが困惑した顔をする。


「あ、ありがとうございます?」

「うむ……。では、後の処理は任せた」


 ハッとした顔でヴェルターの机に目をやって、あんぐりと口を開けた。

 執務室を出ていこうとするので、服を掴んで引き止める。


「ま、ままま、待ってください! あれを私にやれと!?」

「あれが済んだら三日の休暇をやる。気張りたまえ」

「そういう問題じゃ……ああっ、どこ行くんですか!」


 追い縋るアクィラを振りほどき、ヴェルターは軽やかな足取りで、ひらひらと手を振りながら気分良さそうに。


「たまには自由を謳歌してみようと思ってな。魔女みたいに」

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