エピローグ②
◇◇◇
二百年後。あらゆる技術も発展した世界で、魔女は生きた。
馬車など遠い昔の文明が如き扱いで、今では昔よりもずっと舗装されて美しくなった道を、自動車と呼ばれる鉄の塊が燃料を使って走っていた。一時期は排気ガスによる環境問題も示唆されたが、かといって便利なものは減少を知らない。
赤と青の信号が時間で点灯する色を入れ替えながら、歩行者と自動車が交互に進んでいく。石炭を路上で売って生計を立てていた時代は過去だ。変わらないものといえば、いまだに屋台はときどき見かけるくらいに残っている。
賑やかな大通り沿いの喫茶店で、真夏にも拘わらず涼しい場所でアイスコーヒーを飲みながら、イーリスはサングラスのフレームをつまんで僅かにずらす。窓の外でイーリスを見つけて手を振るユディットに微笑み、こっちに来いと手招きした。
「スマホ鳴らしてんのに気付かないからさ。忙しかったのか?」
店に入るなり、イーリスに言われてユディットは申し訳なさそうにする。
「ごめん、撮影が長引いちゃって……。電話に気付いたのもさっきで」
「変わらぬ美貌で大人気の女優サマは違うねえ」
「だから君もおいでって言ったじゃないか。寂しいよ、私は」
「アタシはもう十分稼いでるのにテレビ局なんか行きたかねえよ」
かつては号外で知ったような話も、広場で見た芸人たちも形態が変わり、今やどこにいてもテレビひとつで娯楽も情報を得られる時代だ。二百年前など大昔になり、イーリスもユディットも、それぞれのやり方で生活費を稼ぐようになった。
以前のように魔女だからという理由で待遇良く迎える人間も殆どいない。魔導書を燃やした日から、彼女たちの生活は少しずつ変わっていった。
そして、ユディットは十年前から女優として活動している。不老不死の身体に対しては伝手のある医者によって世界に数少ない奇病の診断書を得ており、それにはイーリスだけでなく、チェティリ、ソロルといった協力者の影もある。
「ねえ、イーリス。ずっとスマホ触ってるけど……」
一緒にいるときくらいは顔を見て話してほしいなあという切実そうなユディットに、イーリスはうーん、と画面に視線を落とす。
「連絡取っててさ、今日来てるらしいんだよ」
「誰の話?」
「リンだよ、リン。黒山羊骨董店って名前で」
「本当に!? もう何年振りになるかな?」
届いたミルクティーを、ストローを咥えて静かに飲む。
イーリスはそれをちらと見て、色っぽいなあと見つめながら話す。
「八十年くらいじゃねえの。あっちには随分と帰ってないし」
百五十年前、皇国は滅んだ。正確に言えば大陸が住める環境ではなくなった。今でこそ復興して新たな人々によって建国が起きたが、当時には激しい自然災害の影響もあり、大勢の死者が出た。生き延びた者は他の大陸に逃れた者が殆どだ。
リンも場所を変えて黒山羊商会を運営したものの、既に幅を利かせていた商会の存在から活動を縮小せざるを得ず、今では当時の品をかき集めて『黒山羊骨董店』を個人経営しながら、各地を旅している。
イーリスたちが移住した島国はどこよりも治安が良く、兼ねてより旅行がしたいと考えていたリンは、商談ついでに会いに行くとメッセージを送っていた。
「んで今日到着のはずだから喫茶店で待ってたんだけどよ。空港に着いたって聞いてから、全然音沙汰がなかったわけ。それがもうすぐ駅に着くって」
「あれ。じゃあすぐそこじゃないかい? 迎えに行く?」
待ち合わせ場所は喫茶店だが、リンが正しくやってくるとはイーリスも思えなかった。歳を取ったせいなのか、昔と違って些か方向音痴になったからだ。
「……じゃあ行くか」
「あ、会計は私がしておくよ」
「マジ? じゃあお願いしとくよ、外で待ってる」
先に店を出たイーリスは、ポケットについていた小さい棒付きキャンディの包み紙を剥がし、包装紙をポケットにねじ込んでキャンディを咥えた。
「あれから二百年かァ」
遠い思い出も、未だに昨日のことのようだ。かつて親友であったハイデマリーの葬儀のときは久しぶりに泣いたのを振り返り、自分を鼻で笑った。
「(時間が経つと涙も湧いてくるモンだなぁ。会えたらって何度も思う)」
出会いと別れは当たり前だ、と受け入れていた日々とは違い、かつての仲間たちとの記憶は特別になった。クラウスやハイデマリーの墓にも顔を出しておきたいと彼らの顔を空に思い浮かべながら、進んだ時間の長さを実感する。
「お待たせ。……どうかしたのかい?」
「ん? あぁ、いや、ちょっと昔を思い出してただけだよ」
過ぎた時間は戻らない。だから後悔しないために、今をめいっぱい楽しみながら生きる。魔女ではなく、イーリス・ブレンヒルトとして。
決意は今も前を突き進んでいる。たくさんの仲間との別れは胸に何度も大きな傷を作ったが、それでも決して不幸ではない。むしろ幸せだった。あれほどの貴重な時間は他にないと胸を張って言えるほどに。
「そういやチェティリが出した新曲聞いた?」
「うん、二日くらい前に。悪魔なのに歌手やってるの面白いよね」
「十万歳超えてる悪魔がテレビのコメンテーターしてんだぞ、普通だろ」
「あれは……うん、そうだね。歌もびっくりするほど上手いもの」
どう返していいか分からなくなって、ユディットが当たり障りなく返す。
時代が進んでから、自分の役目はもうなさそうだとチェティリやソロル、フラーテルといった大悪魔組は現代に馴染むように価値観と生き方を変えていった。中でもチェティリは『人間に愛されてみたい』という欲求で、自分の美声を届けてやるなどと言いながら歌手を目指し、数年でトップアーティストの道を走っている。
「そういえば、チェティリのことはよく知ってるけど、ソロルさんやフラーテルさんはどうしてるの? 彼らの話はちっとも聞かなくなった気が」
「あれ、言ってなかったか。お前と大して仕事変わんねえよ?」
ソロルは海外に拠点を置き、ファッションモデルとして活躍中だ。その稼いだ額の殆どを煙草代に消化するという悪癖がつき纏うヘビースモーカーでありながら、揺らがぬ美貌と愛嬌の良さに魅力を感じる人が増え続けている。
そしてフラーテルはといえば、刺激が足りないと言いながらも人間社会に溶け込んで生活するのを満喫しているようで、今は映画監督を目指して邁進する日々。ちなみに撮っているのはホラー映画だ。
「皆、色んな人生があるよなぁ。最初は辛いばっかりで独りの方が気楽だなんて思ったときもあったけど。お前と出会ってから、色々と考え直す機会にぶつかってきた気がする。すっかり忘れたくても、忘れられない日々になっちまった」
「良いことだよ。これからもそういう生き方をしていくんだろう?」
周りを見ればありふれた人生を過ごす者ばかりに見える。だが、その内側までは分からない。きっとそれぞれが、それぞれの、退屈しない自分らしい生き方をしている。辛くて苦しくて悲しいときもあれば、些細なことが幸せな日々もある。他人の経験の重たさなど分からないが、知ったときには学べることが多い。
見ないふりをしていた感情が顔を覗かせて、新しい自分に気付かせてくれる。失うばかりではない。与えられるものもたくさんあるのだと。その痛みも喜びも誰かと分かち合えるのは至福なのだ、と。
「じゃ、行こうか。先にリンを見つけて驚かせてあげないとね」
「そういや駅前に美味いクレープ屋が……」
日常はこれからも続いていく。前よりも生きていくのに必要なことは増えたけれど、心は前よりもずっと自由で────生きるのは、最高に楽しい。




