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イーリス・ブレンヒルトの自由で至福な最高の生き方  作者: 智慧砂猫
第三章 イーリス・ブレンヒルトと狂信の皇国

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第17話

 師の眠った顔を見て、悲しみがこみあげてくる。


 こんなはずではなかった。必ず問題を解決すると直面する、二度目の死。眠っていて意識などないとしても。仮にアドラーの魂に肉体を奪われるとしても。


 いずれにせよ、愛する師を看取らねばならない。一度目は蝕まれていく緩やかな死を。二度目は、その手で。殺さねばならないと。魔力を与えれば、条件は揃う。ヴァールはアドラーの魂を肉体に移すだろう。失意が胸に押し寄せた。


『いいかしら、イーリス。どんなことがあっても、間違ってはいけないわ。選択を誤ったときから、あなたは必ず壊れていく。だから例えばそうね……もし、あなたが壊れそうになっても支えてくれる人の笑顔を思い出しなさい』


 ふと。脳裏に蘇った記憶は愛する者の体に触れたからなのか。はたまた、傍にいてくれたユディットとリンを想ったからか。


 自分は何をしようとしているのだと思った瞬間、ひとつの可能性が過った。


『見つかったら殺されると言っておられましたよ』


 そんなわけがない。悪魔を殺そうとして殺せる奴はいない。説教を素直に聞くタイプでもない。だが、ただの一度も姿を見せず、ユディットと共にいたのが最後だ。


 あれほど主人に忠実な者が。他の仕事があるといって立ち去るわけがない。皇都で起きた全てのお膳立てはチェティリとフラーテルによるものだ。であるならば、という可能性が、全ての答えを示す。


「何をやっておるのだ、魔女よ。早くありったけの魔力を注ぎなさい」

「お前ら、時間がないんだろ。聖女さえ生まれればどうにでもなるって?」

「だからどうした? このままジッとしていても、君のお友達は────」

「できねえよ。そうだろ、フラーテル(・・・・・)


 皇宮の中は聖域だ。だからソロルも踏み込まなかった。なのにフラーテルだけはあちこちを移動して、皇宮の中でも活動している。彼らには彼らの領域があり、その中であれば聖域だろうが自らを守れるから(・・・・・・・・)


「なるほど、君ほど聡い主人は初めてだな。合格だ、イーリス」


 すうっ、と影の中から浮かんできたフラーテルがアドラーの剣を素手で握りしめながら、もう一方の手でナイフを喉に突き立てた。ほんの僅かに力を籠めれば切り裂ける。アドラーが抵抗すればそうするつもりだった。


「ひいっ……! な、なんだお前は! は、放せ……!」

「命が惜しいなら諦めたまえ、人間。貴様たちは既に敗北したのだ」


 仮面越しに見える瞳がリンを見て微笑む。


「押さえておくからユディット嬢のもとへいきたまえ、聖なる乙女」

「お、乙女!? と、とにかくありがとう!」


 リンがするりと隙間から逃げてユディットの傍に駆け寄り、彼女に抱きしめられると、ホッと安堵してから、アドラーにべーっと舌を出す。


「上出来だ、フラーテル。つらいだろ、戻って良いぜ」

「それは助かる。長居は身体に毒だ、せっかくの寿命は無駄にできない」


 イーリスが退いたのを見てフラーテルも影の中に沈む。


「形成逆転だ。どうするよ、インチキ神官?」

「ぐ……! だ、だが、この女はどうする! 死なせるのか!?」


 胸に提げていた十字架を外す。中にはナイフが仕込まれていた。

 ヴァトラの首にあてがい、うっすらと血を流してニヤリとする。


「この女の時間は巻き戻ったんだ、魂はなくとも肉体は生きているんだぞ!」

「それが脅しかよ」


 イーリスは呆れて、魔導書を床に投げ置いた。


「だったら死なせてやれ。アタシは構わない」

「な……!?」


「もう死んでるんだよ、アタシの師匠は。叶わない二度目の人生のために、身体だけ残してたって仕方ないだろ。元ある場所に還すんだ」


────覚悟、だったと思う。もう二度と失うまいと思ったものは他にある。だから、二度目はない。今、目の前には紛れもないお師匠様がいる。


 だとしても、どうだ。失うのが怖いか。違う。また別れるのが辛いか。それも違う。ただ悲しいだけだ。あの人が粗雑に扱われたことが。


 だから終わりにしよう。終わらせるべきだ。そう思ったから。


「てめえらにくれてやる、好きにしな。だけどよ、そう上手くは行かないと思うぜ。注いだ魔力も半端な挙句、魂の定着なんて、一分や二分で出来ることじゃない」


 バンッ、と音を立てて聖堂の扉が開かれた。入ってきたのは大勢の騎士たちだ。その全てが第三騎士団の隊章を身に付けている。


「やれやれ、間に合ったか。悪いな、ゴタゴタしていて遅れた」

「遅れすぎなんだよ、ヴェルター。結構危なかったんだからさ」

「それはすまん。だがこれでサンドピットでの借りは返せるだろう」


 第三騎士団の多くは女神信仰になど興味はない。自分たちの仕事にやり甲斐を感じている者たちの集まりだ。ヴェルターは中立の立場を捨てて、聖堂で魔女肯定派であるというあるまじき宣言とも取れる行動を取った。


「ヴェルター! 貴様、俺たちを裏切る気か!?」


 僅かにぽかんとした様子でヴェルターが少し考えてから。


「俺がそちら側の人間だと。皇帝であれば見逃されるなどという幻想は抱かぬことだ、アドラー。俺が忠誠を誓ったのは前皇帝陛下に過ぎないのだから」


 何も言わず、目を向けることもなく、イーリスの肩をぽんと叩く。


 これまでの道のりで魔女がどれほど影響力があり、人々から愛されているかは近くで見てきた人間が一番理解している。民を救わず命が奪われていくのを静観する女神よりかは、目の前で少しでも助けようと動く魔女の方がずっといい。


「くそっ……おい、ヴァール! もういい、あれを使え!」

「いっ、いやしかし、負荷を掛け過ぎたらどうなるか……」

「いちかばちかだろう! ここまで来たんだ、引き下がれるか!」


 言われるがままにヴァールが用意した古ぼけた発条を、アドラーが奪うように取り上げてヴァトラの体に突き立てる。くるりと回す。二回、三回と。第三騎士団が止めに入ろうとしたが、イーリスは「ほっとけ、大丈夫だ」と止めた。


 彼がやろうとしていることは失敗に終わる、と確信があった。


「イーリス、大丈夫なんですか? あれは……」


 発条が光り輝き、アドラーから何かを吸い取っていく。

 どう見ても転移が上手くいっているようにしか見えない。


「どっちみち、奴らにゃ何もできねえよ」


 アドラーの体が倒れる。魂が抜け、物言わぬ肉体となり果てる。その代わり、ヴァトラの体がぱちっと目を覚ます。


「う……うぅ……上手くいったのか?」


 自分の体を見て、困惑は歓喜に変わった。アドラーはついに魔女の肉体を手に入れたのだ。信仰の名のもとに、自らが皇帝であり、聖女として世を動かす存在になれる。誰も揺るがすことのできない時代が来る、と。


 そんなものはまやかしだ。イーリスは鼻で笑った。


「見ろ、見ろ! 魔女よ、俺は手に入れたぞ! ハハハ、何もできないと言ったわりには、現実はこれだ! お前の負けだ、後は魔法を────」


「どうやって使うか言ってみな、アドラー」


 ハッとする。肉体を手に入れても、肝心な魔法が分からない。魔力はある。ヴァトラの肉体だ、魔女のようにイメージして指を鳴らせばいいのかと試してみるが、変化がない。場には冷笑の気配が漂い、アドラーは汗をどっぷりと掻く。


「……なぜだ!? なぜ……やはり魔導書がないと駄目か……!?」

「あってもできるわけねえさ。魔法が使えるのは一人だけって決まってんだよ」


 イーリスは足下に置いた魔導書を蹴り飛ばしてアドラーのもとに転がす。


「開いてみな」


 隣に立っていたユディットが、ぎょっとしてイーリスの肩を掴んだ。


「な、な、何をしているんですか! あれには不老不死の呪いが……!」

「大丈夫だって、まあ見てろ」


 アドラーが、馬鹿な女だと魔導書を拾って開こうとする。だが、重すぎて開かない。たった一枚の表紙がめくれない。


「ぐっ、こ……の……! 貴様、何の細工をした!?」

「勘違いするなよ。最初からお前には開けないんだ、所有者がいるからな」


 魔導書は所有者が心を通わせた人間にしか開けない。所有者の意志に従い、誰かが盗みを働いたとしても、悪用できないカラクリになっている。


 魔女以外の誰かが素質を持っているだけで使えてしまったら、大変なことになる。それこそ国家転覆が起きかねない可能性もある。魔女が許した人間であれば、たとえ誰であれ悪用しないという最低限のリスク回避だ。


「魔女の体を手に入れたくらいでハシャいでご苦労さん。確かにヴァトラ・ブレンヒルトはアタシにとって第二の母親も同然だが、身体と心は別だ。そのくらいで魔導書が開けるわけねえだろ。アタシが死ねば別だったがな」

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