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イーリス・ブレンヒルトの自由で至福な最高の生き方  作者: 智慧砂猫
第三章 イーリス・ブレンヒルトと狂信の皇国

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第16話

 扉を開け、聖堂に突入する。静かなものだ、女神像を前に祈りを捧げる神官がいるだけで、他には何もない。いや、正確には祭壇に寝かされた遺体があった。


「……よお、大神官様。ここまでは計画通りか?」


 神官の老人は振り返り、緩やかに口角をあげた。


「ようやく来たかね、待ちわびたよ。先代魔女とは仲が良かっただろう。遺体を運び出せば、必ず喰いついてくれると思っていた。だが、すべてが上手くいったわけではない。これほどまで反逆が広がっているとは」


 微笑みながら呆れたため息を吐き、祭壇に手を添えた。


「よくもここまで女神を侮辱できたものだ。やはり魔女は野蛮だ、人の心を操り、暗黒の時代へと導こうとしている。悪魔との契約までしているという噂も、あながち間違いではないのだろう」


「なんでピンピンしてんだ、お前ら。ソロルの毒はどうした?」


 逃がした兵士たちは帰ったはずだ。にも拘わらず、彼らは毒に冒されていない。あまりの不自然ぶりに、イーリスも警戒してユディットたちを下がらせた。


「皇宮には敬虔な信者も多い。加護を授かるため、繁栄を守るために各所で結界として祈りを捧げた石像を設置している。きっとそれではないかな。しかし、驚いたよ。ソロルの毒とは……数百年も昔、文献にソロルという大悪魔が毒を撒いて町を滅ぼしたとも言われているが、まさか悪魔と契約を?」


 白々しい話し方をしやがって、とイーリスが表情を険しくする。片手には魔導書を広げ、いつでも魔法が使えるように構えた。


「やめなさい、神聖な場所で魔法など唱えるなど」

「死体を運び込んでるのはいいのかよ。都合の良い女神様だな、オイ」

「必要なことだ。君を此処へ呼ぶためには」


 神官の老人は杖を突き、女神像の前に立った。


「君はいささか自由にやり過ぎた。世の中の人間が信仰を失いつつある現状は、女神の威光さえ曇らせる。聖女さえいれば、そうはならなかっただろう。だから我々はあらゆる文献を調べ、魔女が残した遺物を用いて聖女を誕生させる」


「……魔女が残した遺物? ンなもん、聞いたこともないが」


 訝るイーリスに、神官の老人は首を横に振った。


「君が知るはずもない。あれは魔女すら拒絶したもの。魔女の力が込められた道具が、世の中には存在するのだ。最初の魔女が作ったものが」


 得意げに腕を広げ、まるで自らが神の遣いにでもなったように。


「この大神官ヴァールの名のもとに、この世に聖女を生むのだ。そのために魔道具を使うのは些か気が引けたが、このような有様では仕方なかろう?」


 ヴァールと名乗った神官の歪な笑みは、とても女神に対する信仰を感じられない。それまで黙っていたユディットやリンも侮蔑の表情を浮かべるほどだ。


「神官ヴァール、あなたの言いたいことはわかりました。ですが、神の啓示なく聖女を誕生させるとは。とても理解ができかねます。そもそも、どうやって……」


「話は最後まで聞きたまえ、ユディット・ヴァルトシュタイン」


 静かな物言いとは真逆に杖で床をどんと叩き、目を細めて睨んだ。


「神の啓示がなければ動けぬのは神の使徒足り得ない。我々神官は神の言葉を愛し、神の代弁者として人々を導かねばならないのだ。そのための聖女。そのための象徴。我々の時代に魔女は要らぬ。君のような蛇の甘言に耳を貸してしまう愚かな人間が生まれないようにするためにもね」


 なんと下らない言い分か。聞くに堪えない、とリンがあくびする。


「それで具体的な聖女を誕生させる方法って何さ?」

「魔女の遺体だよ。魔道具によって、この者の時間を巻き戻すのだ」


 ヴァールが取り出した懐中時計からは紛れもない魔力を感じた。その場にいた三人がぎょっとする。特にイーリスは、彼の行おうとしていることの方法と結論について即座に想像がついて、誰よりも焦りを覚えた。


「お前、それで死んだ人間が生き返らないのは知ってるだろ。魂が離れてるからだ。当然、魔力もない。それで聖女になれるわけがねえ」


「気付いていながら否定するか。面白いな、イーリス・ブレンヒルト」


 やれやれ、とヴァールは首を横に振り、祭壇の遺体にそっと触れた。


「だから君を此処に呼んだのではないか。魔力は適合する人間の体にしか生み出されない。だから先代魔女の遺体を使って、時間を巻き戻し、魔力を与えるのだ。そのためには、イーリス・ブレンヒルト、君を利用する」


 ニィと笑った、その瞬間。イーリスたちの近くにあった長椅子に体を隠していた誰かが飛び出す。話に集中していたときだった。反応が遅れて、いち早く気付いたユディットが剣を抜いたが僅かに間に合わず、斬られた。


「ユディット!?」

「おおっと。動くなよ、レディ・イーリス」


 出てきたのはアドラーだ。斬りつけたユディットを蹴り飛ばして、即座にイーリスではなくリンを狙って人質に取った。


「てめえ……! どうなるか分かってんだろうな……!?」

「知ったことか。俺を親父と同じだと思ってもらわれちゃ困る」


 アドラーはリンの首に腕を回して拘束しながら、ゆっくり後退する。魔女の近くにいれば予想外の反撃に合うかもしれない可能性を考慮した。


「社会には魔女ではなく聖女が必要だ。平和ではなく秩序が必要だ。お前の存在さえ失われれば、人々は我々を支えるようになるだろう?」


「結局はただの利権だろうが。さっさとリンを放せ」

「できない相談だ。お前たちは不死身なんだろ、人質にはならない」


 流石にイーリスも、今をマズい状況だと理解して下手に動けない。チェティリが言っていた死んでいる可能性の未来について、今ようやく実感を覚える。


 ここからひとつでも選択肢を間違えれば全員が死ぬ。あの大悪魔でさえも、消滅する未来が待っているのだ。それはきっと最悪な世界になる、と。


「お前らは本当に、そんなことをして聖女が生まれると思ってんのか」

「当然だとも。いや、正確には聖女と成るのだ、この俺こそが」

「……は? なに、お前の股についてるモンを切り落とす話か?」

「この期に及んで冗談で濁すつもりか、ハハッ、不安が透けて見えるな」


 あごをあげて、いかにも見下すような視線が疎ましい。イーリスは歯痒い現状の中に、僅かな活路が生まれるのを期待して待つ。


「大方、理屈は分かるぜ。アタシの魔導書にも道具の造り方は書いてある。適合する人間の体に魔力を蓄えさせて、別の人間の魂をひっぺがして定着させるつもりなんだろ。上手くいくわけがない。いったとしても、魔法は使えない」


「お前から魔導書を奪えばいい。それだけのことだ」


 アドラーが早く祭壇の前に行けと顎で指示する。ユディットは傷を受けても、すぐに治癒する。だがリンは違う。彼女は今を生きているのだ。


「わかった、従う。従えばいいんだろ」

「駄目だってば、イーリス! ボクのことはいいから……!」


 リンが止めようとするが、イーリスはやんわり微笑んで────。


「こいつらが作るのは魔女だ、聖女じゃない」

「君の言葉は信じがたいものだな、イーリス・ブレンヒルト」


 ヴァールが嘲りながら、懐中時計を遺体に乗せて、針を指で逆回転させていく。かつての魔女ヴァトラの遺体はみるみるうちに生前の姿を取り戻した。呼吸はある。心臓も動いている。だが魂が入っていない器だからか、眠ったまま。


「次は魔力を与えるのだ。君の魔力を与えれば、ヴァトラ・ブレンヒルトの肉体は再び魔力を取り戻すだろう。さあ、早く!」


 かつて魔女だった人間の肉体に魔力は適合する。ただし、不老不死の呪いは解けている。正しい人間の体に、魔女としての素質を与え直そうと言うのだ。ヴァールとアドラーの計画は壮大で、アドラーの若い魂を空っぽの器に移し、魔女ではなく聖女として世界を自分たちの都合に満ちた秩序を敷こうとしている。


 だとしても。分かっていても。


「イーリス、いけません……! そんなことをしたら……!」

「そうだよ! ボクはどうなってもいいから!」


 二人が必死に呼びかける。相手は神の遣いという肩書を提げただけの詐欺師だ。国の実権を完全に掌握し、逆らう人間をゼロにするために、イーリスを利用して聖女の存在を確固たるものにしようとしている。


 だからどうした。二人の命は、それに劣る価値なのか。握りしめた拳から、すっと力が抜けていく。考えるまでもないことだ、と。


「二人には悪いけど、これには逆らえねえよ」

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