第14話
来るはずがないと思っていた男の頼もしい姿にイーリスは驚いた。
「マクシミリアン! なんでお前が此処に!?」
「のんびり話している暇はない。此処は我々が切り開く、行きたまえ」
兵士たちを相手に黒山羊商会の男たちが鬨の声と共に一斉に突っ込んでいく。途端に広場は戦場と化し、混乱を極めた。
「小賢しい連中めが、魔女を庇うか!」
テオボルドは騎士団長を務めるだけあって、ただの飾りというわけでもない。数人を軽々と斬り捨て、狙いを混乱に乗じて逃げようとするイーリスへ向けた。此処で逃がして誰かの手柄になどさせてたまるか、と鼻息を荒くして。
「おっと、それを許すほど耄碌した覚えはないな、テオボルド。あの薄暗い地下牢でよく生きていたものだな。同じ老人として感心するよ」
立ちはだかったマクシミリアンがネクタイを外して地面に捨てる。逆手に握ったナイフ一本で多くの兵士たちの返り血を浴びた姿は、若き頃を思わせた。
「……ジーモンは甘かった。誰を死なせたわけでもなかったのだからと、エーバーハルトに口添えしたのだ。私が皇帝陛下に忠誠を誓って泣き喚けば、あっさりと裁判も遅らせてくれたよ。馬鹿な男だ、冷酷さを持ちきれない暗君だった」
「やれやれ、見下げ果てた奴だな。敬意を欠いた人間の末路など知れている。だから魔女にしてやられるのだよ。君の人生は此処で終わりにしよう」
どちらもやる気に満ちている。イーリスは足を止めて、マクシミリアンを振り返った。どちらが勝つかは分かりきったことだ、心配はない。ただ、話が聞きたかった。どうして皇都にいるのかを。
「イーリス、悩んでる暇はないわ。事情は察するけど、これは私たちの総意よ。彼の発案でみんなが手を貸してくれてるんだから────きゃあっ!」
ラモーナが近くにいた兵士に腕を斬りつけられた。幸いにも割って入った強面の男に助けられて傷は浅かったが、流れる血と初めての痛みには汗が滲む。
「悪い、ラモーナ……。つい立ち止まっちまって」
「気持ちは分かるわ。話は後にして、行くわよ!」
イーリスを引っ張ってラモーナは走り出す。黒山羊商会の足止めは効果絶大だ。マクシミリアンに鍛えられた一騎当千の男たちは何も恐れない。それどころか戦いを楽しんでいる節さえある。おかげで、追手はいなかった。
広場から離れたところで、建物の傍に一頭の馬が待っている。大柄で体格もがっちりとした美しい馬は、ファーレン侯爵家の愛馬だ。
「乗って、イーリス」
「おい、一頭だけか? お前はどうするんだ?」
周囲をきょろきょろと見渡すイーリスに、ラモーナは息を整えてから。
「いいえ、私は行かない。それに腕をやられてるのに手綱なんか握れないわ、落馬したら今度こそ死ぬわよ。大体、これはあなたがやるべきことよ」
「ラモーナ! また兵士が来たら……!」
「いいから行って! せっかくの貸しよ、三倍にして返してもらうわ!」
「……馬鹿野郎。わかったよ、期待してろ」
大通りでも兵士たちと黒山羊商会の面々が争っている。いや、それだけではない。イーリスは馬を走らせて気付いた。混乱に乗じて、現状を変えようと抵抗する市民たちの姿が目に飛び込んだのだ。
彼らの殆どは魔女肯定派でもなんでもない。ただ平和に暮らしていたかっただけの人々が、今こそが自分たちの国を取り戻すときだと立ちあがっていた。
「どうなってんだ……? なんでこんな急に……」
誰かが叫んでいる。聞けばあちこちで勇ましい叫びが響いた。
「俺たちの皇帝はあの男じゃない!」
「魔女がなんだってんだ、今の方が酷いだろうが!」
「仮面の奴の言うとおりだ、魔女の味方でもなんでもいい! 戦うんだ!」
士気があがっている。彼らは戦うことを知った。安寧のために息を潜めるのではなく。幸福のために声を剣のように掲げた。
「ははっ、すげえな。フラーテルめ、感情の悪魔の本領発揮ってか!」
どこで何をしているかは知らない。だが、皇都の状況を変えるべくイーリスが望む形で次々と人々の心を動かしている。塞ぎ込んでいた魂に揺らぎを与え、勇気を波打たせたのだ。
それでも、敵の壁は分厚いと言える。皇宮を前に、門の前で待っているのは大勢の騎士たちだ。現第二騎士団は再編以降は実力者が配備され、巨大な門は堅く閉ざされている。とても突破が難しい状況で、イーリスは馬を駆りながら片手に魔導書を開いて持ち、手綱から手を放す。
「どきやがれ、ボケ共! アタシはお前らに用はねえ!」
構えた手。広がった幾何学模様の魔法陣が新緑に輝き、強烈な風を吹かせた。狙いは閉まったままの門。騎士たちをすり抜けて、まとわりつくような魔力の風が分厚い格子門を拉げさせて破壊する。
同時にイーリスは、その勢いを制御しきれずに落馬する。頭から落ちたが、指輪から出てきた煙からソロルが現れて抱えた。
「あら、可愛いお姫様ね。ここで気絶でもする気だったの?」
「お前を信じてただけだよ。魔力の肩代わりサンキュー!」
「どういたしまして。……でもまあ、もうひとつ仕事が残ってるわ」
パイプを咥えながら、優雅に騎士たちの前に立って煙を吐く。
「退きなさい、お坊ちゃんたち。良い子は寝んねの時間でしょ?」
漂う煙を吸い込んだ騎士たちは瞬く間に強烈な眠気に倒れる。まだまだ門の向こう側には騎士たちが大勢いるが、後からやってきた兵士たちを振り返って、ソロルはため息を吐きながら────。
「信じて進みなさい、あなたの道行きは保証されてるわ。この大悪魔ソロルが、有象無象と遊んでおいてあげるから」
「……色々と悪いな。煙草、増やして返してやるよ」
ソロルは顔には出さなかったが、ぐっと拳を握って振った。
嬉しそうな姿にイーリスも満足して走り出す。
「(魔法を使わないと突破できないか、騎士だから加減も出来やしねぇ!)」
突破されたときのために待機していた騎士が道を阻む。彼らは第二騎士団だけでなく、第一騎士団や第三騎士団からも構成された。
もしジーモンが健在であれば、クラウスやヴェルターが許さなかったであろう蛮行も、今やアドラーの指揮にある。彼らは既に今の国家に適応した、自分本位の信仰心で動いているのだ。魔女を排除するという崇高な目的を掲げて。
「まったく。私がいなければ第一騎士団も随分と落ちたものですね」
「あら、自分がいれば裏切り者が出なかったみたいな言い草だわ」
イーリスの背後から二人の騎士が楽し気に言葉を交わしながら迫った。彼らを見るや、騎士団員たちは震えあがり、魔女よりも視線を釘付けにされた。
「クラウス、ハイデマリー! お前らまで……!」
驚くイーリスに、クラウスが隣に立って優しく微笑みかけた。
「我々も女神への信仰心は持ち合わせていますよ、レディ。魔女が恐るべき存在だとも理解しています。ですが、それとこれとは別の話です」
剣を肩に担いだハイデマリーも、うん、と頷いてイーリスの肩を叩く。
「私たちは女神以上に友達を信じるわ。────此処は私たちが切り開きます。あなたの目指すべき場所があるのなら、あなたのために剣を掲げましょう」
二人は揃って、獲物に狙いをつけた狩人のように目をギラつかせた。
「さて、誰から我々と戦いますか。怖気づいたとは言わないですよね、我々も魔女肯定派なんですから。使命を果たすのが騎士だと叩き込んだでしょう」
互いに顔を見合わせた騎士たちは、覚悟を決めて剣を構える。かつての仲間に剣を向ける罪悪感と、圧倒的な強者に対する畏怖をかみ殺す。
「それでこそです。では参りましょうか。我々が突っ込んで一気に道を開けます、あなたは信じて、ただ駆け抜ければよろしい」
「安心なさい。指一本触れさせやしないと約束してあげる」




