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イーリス・ブレンヒルトの自由で至福な最高の生き方  作者: 智慧砂猫
第三章 イーリス・ブレンヒルトと狂信の皇国

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第12話

 良い人間でありたいと思ったことはない。なれるとも思っていない。魔女という肩書を持つ以上、どれほどの善行を行ったとしても『売名だ』とか『偽善だ』と言われてしまう。だったら何も気負わない。


 ただ、自分の好きな人たちがいる場所を守る。自分の好きな場所を守る。それだけでいい。誰に何を言われようとも自分の道を曲げる気はない。誰かが泣いても、誰かが怒っても、誰かが笑っても。


「……可哀想な奴だねぇ、お前さんは」

「別に。お前ほどじゃないよ。本当は人間、大好きなくせに」

「他のふたりとは違って?」

「さあ。アタシはあいつらのこと、そこまで知らないから」


 ソロルとフラーテルを引き寄せたのは、チェティリだ。同じ大悪魔が人間を連れ添っているとうわさになり、それを興味本位で見に来たのがきっかけで契約するに至った。魔女は無限の栄養源だ、逃す手はない。


「お前はどれくらいふたりのことを知ってんの?」

「ワシはよく知ってるよ。特にソロルには絡まれるからなァ」


 振り返って指輪をちらと見て、チェティリはニヤッとする。


「何度か殺しかけたことがあるわけ。次会ったら、それこそぶち殺すつもりだったけど、お前との契約の手前、無茶はできなかった。そしたら、なんとあのクソアマが契約するときた。長生きすると面白いもんが見れらァな」


 それはソロルも同じだろうなとチェティリは可笑しそうにする。指輪の中で外の景色を眺めながら聞く退屈な話の心地はさぞや良いはずだと。


「ま、今はワシのことはいい。皇都についたらどうするんだ?」


「皇宮に直接乗り込む。魔法は十分に用意した。昨日の晩に話して、ソロルが魔力の代替を担ってくれることになったから、アタシの体調も問題ない」


 悪魔に頼るのが嫌いなイーリスらしからぬプラン。

 思わずチェティリも目を丸くして振り返ってしまう。


「なんだよ、柄じゃないって?」

「……いや。そうまでして守りたいものがあるのかと驚いて」

「何をいまさら。今まで見てきたお前なら分かってるだろ」

「そうかもしれねぇけどさァ」


 ヴァトラを契約者としていた頃から、その成長を見守ってきた。塞ぎ込んで絶望したときも。何度も立ちあがっては折れそうになるときも。多くの人と出会い、多くの人の死を見届け、何度も泣いた夜も傍にいた。


 ユディットとの出会いは革命的だった。百年の全てを塗り替えた。生きることに希望を見出せない、過去の自分に似た娘。


 守りたいのは居場所。でも、自分の居場所じゃない。イーリスが心から守りたいのは、大切な人の帰る場所。帰ってもいい場所。故郷を持たないイーリスにとっては、ユディットの故郷こそ愛すべき我が故郷となった。


 思い出の詰まった過去の家を清算して、新しい未来を生きるための道しるべ。もし皇国が何かの理由で滅ぶとしても、今のような理由では気に入らない。魔女の存在が滅亡へ走らせたのなら、その滅亡は魔女の責任とも言える。少なくとも、イーリスにとってはそうなのだ。他の誰が否定しても。


 そんな人間が現れた。人間の命など軽いものだと嗤っていたチェティリの価値観を揺るがすには十分すぎた。悪魔に頼ってでも守りたいなどと、あの高潔な人間が言うはずがない。不老不死の心を溶かす存在に、嫉妬と羨望が湧く。


「……ふ、ンフフ……。ワシなどより、よほど有能なモノがいるのは気に入らねえな。人間は実に愉快だ。ここまで退屈しないのは初めてだな」


 ユディット・ヴァルトシュタイン。取るに足りないただの小娘。イーリスの役にも立てない、傍にくっついているだけの虫けら。だのに、時が経てば経つほどイーリスの心は傾いていく。人の心など操るに容易いと思っていたが、悪魔には魔女の心は変えられなかった。人間は面白い。そして醜く、美しく、鬱陶しくて、羨ましい。それほどの感情を持ちながら、生きることがままならないのだから。


「難しいなァ。お前らの命など軽いものと思っていたが、その命ひとつでワシらよりも簡単に心を動かしてみせる。ワシもそうなれねえもんかなァ」


「無理だろ。だってお前、すぐ殺そうとするじゃん」

「……それは、あの小娘も同じじゃあ?」


 とりあえず乗り込もうとしてみたり、いっそ首を刎ねた方が早いと考える人間が、すぐ殺そうとする以外の言葉でどう評価するべきなのかと複雑になる。


「まあいい。百年いたワシよりも、あの人間の命の方が価値がある。そう認めざるを得ない。────良いぜ、イーリス。ワシも付き合ってやらァ」


「神殿に入れないくせに?」


 なんでそうも棘があるんだと言いたくなったが、チェティリは呑み込んだ。


「前より長く入れる。指輪の異空間にいれば影響もない。いざとなったらワシも出てやろう。まあ、そこまでの必要はないと思うがね」


「そりゃそうだな。お前、二百年先で何を見たよ?」

「お前によく似合う服。ソレはよおく似合ってたぜ、ワシの見た限りでは」

「だろ。だったら、その必要は最初からねえってこった」


 遥か遠い未来で見た服。そのデザインに惚れて着るようになった。だが、それはもっと自分よりも似合う奴がいた、とチェティリは未来を懐かしむ。もう覗きにいかなくなって、しばらくが経った。過去も、未来も、指輪の中を通じて全ての時間軸に在る自分と接続する必要は殆どない。


 今の彼女には、やはり今が最も楽しいのだから。


「イーリス。目指すべき場所、皇都の門は開いちゃいるが検問がある。ワシの馬車なら突破できるが、問題は大通りだ。全方角の大通り全てが封鎖されてる。流石に、こっちは強引に進むことはできやしねえ。殺すなら別だが」


「問題ない。裏道までは連中もそこまで把握してないだろうぜ。こちとら貧民街で地獄みたいな生き方してきてんだ。抜け道ならいくらでも知ってる」


 ひとまずは門を突破したら大通りを進み、派手に目立ってから裏道へ飛び込んで皇都のあちこちを駆け回る。巡回をする騎士や各所の警備兵でも、イーリスより道に詳しい人間はいない。同等に地理に長けているのは、ヴェルター・エーバーハルトとクラウス・ヴィンケルマンくらいなものだ。


「協力者は必要ない。皇宮の近くまで来たら、認識阻害の魔法を掛けて中に入る。時間は限られてるが、その都度掛け直して聖堂へ向かう」


「なら道案内はワシに任せな。そのあたりはよく分かってらァ」


 ふふんと胸を張ってから、チェティリは手綱を握りしめて、遠くを見つめる。穏やかな時間は目の前だ。それゆえに、ひとつだけ忠告した。


「なあ、イーリスよ。ワシはお前が生きている二百年先の未来を知っている。だが、それが正しいとは限らない(・・・・・・・・・)。ワシが行ける未来は、数ある分岐点のひとつ、それもワシが存在している世界のみだ。当然、ワシがいない未来の世界までは、なんの保証さえない。この言葉の意味は分かるよな?」


 チェティリが接続する過去・現在・未来の全ての自分自身が生きる、ありとあらゆる世界が存在する。その中でも影響のない些細な未来は確定させられるが、大きな局面では無力だ。チェティリは自分の死んだ未来があることも知っている。その世界には決して繋がれず、どうやって死んだかの記録すら残らない。


 最終局面ではイーリスの判断が全てとなる。もしチェティリがいない未来を辿った場合、それは当然、イーリス・ブレンヒルトという魔女の存在も抹消された世界となってしまう。引き返せるのは今しかないのだ。


「十分に理解してる。だけど、それでもアタシは行くよ。多分、どんな未来に分岐するとしても、今ここでアタシが行かない選択は存在していないはずだ」


 自信たっぷりのイーリスの答えに、チェティリは満足げに微笑む。

 そうだ。魔女とはそういう奴で、その判断ができるから好きなのだと。


「おうおう、それでこそだ。んじゃあ、まあ、意地でも最高の未来を掴みに行くとしようじゃないかね。ワシの最も愉快で自由な魔女様のために」

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