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イーリス・ブレンヒルトの自由で至福な最高の生き方  作者: 智慧砂猫
第三章 イーリス・ブレンヒルトと狂信の皇国

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第10話

 魔女なのに、なぜそうも他人のことばかり気に掛けるのか。ソロルには理解できなかった。自分たちの敵となるのであれば殺してしまえばいい。恐れ戦けばいい。魔女の役割とは恐怖と混沌をもたらす、聖女とは真逆の存在として世界の均衡を保たせる天秤の片割れとも言えるのだから。


 しかしながら、イーリスは、いや、歴代の魔女の殆どが魔女らしくない。チェティリだけが知る、全ての魔女の辿った道筋を聞いたときには、唖然としたものだ。与えられた役割とは逆行し続ける、善性の持ち主ばかりだったのだ。


 その中でもイーリスは特に自由で、誰にも縛られない。それでいて、あらゆる他人ごとに首を突っ込んでは、人々の幸せを願う。他人に興味がないと言っておきながら、実のところは面倒見がいい。不思議な人間だな、とソロルは煙を吹く。


「それでこれからどうするの?」

「明日にはチェティリが戻ってくる。そのときに皇都へ出発する」

「チェティリが? 二日は掛かるとか言ってたわよね?」

「あれは二日って言ったら一日で済ませる奴だよ。お前も知ってるだろ」


 それはそうだ、とソロルは空をみあげた。

 十人に満たない大悪魔の中で、頭ひとつ飛び抜けた存在。当然だ、と。


「じゃあ、あのユディットちゃんは連れて行かないのね。サンドピットに送り出したのは、あくまで彼女を皇都から遠ざけるためだったの?」


「そうだな。いつも迷惑ばかり掛けてるから……」


 呆れた、とソロルが肩を竦めて額に手を当てた。


「どうせ彼女が此処へ戻ってきたら、あなたを追いかけて皇都に来るわよ。あなたの盾になれるなら命さえ惜しくない人間じゃない」


「分かってるよ。だからサンドピットなんだ」


 愛おしく想うように、遠くを見つめながら。


「黒山羊商会に渡す手紙には魔法が掛かってる。ユディットには普通の手紙に見えてるが、マクシミリアンが見れば本来の内容に変化するカラクリなんだ。ユディットを保護してもらおうと思ってさ。今回くらいは自分で解決しないと」


 女神信仰と魔女崇拝。宗教戦争のようなものだ。その代表たる魔女が手ずから解決しようと言う。他の誰も巻き込みたくない。契約した悪魔を除いて、たとえ魔女の騎士となったユディットであっても。


「まあ、出来なくはないと思うわ。でも、問題は先代魔女……ヴァトラの遺体を取り返すというのなら私たちは手伝えない。分かっているわよね」


「それも理解してるさ。チェティリですら入れないんだから」


 神殿や聖堂といった女神像を祀る場所の全てに、女神の加護がある。邪悪を寄せ付けない鉄壁。チェティリほどの飛び抜けた悪魔でも、入れば数分と経たずに苦痛を覚えて逃げるしかない。強い悪魔と言えども、その力が及ばなければいないのと同じだ。危険が伴うぞと忠告を受けながらもイーリスは戦う覚悟があった。


「でも不思議だよな。なんでお前らは入れなくてアタシは入れるんだ?」


 腕組をして、怪訝な顔で首を傾げる。悪魔はもとよりの話だが、魔女も元来は近しい存在だ。他の人間の殆どが持たない魔力を持ち、誰にも扱えない魔法を操れるのだから。ソロルは煙草を燻らせながら、その疑問に答えた。


「魔女の伝承。あなた、ちゃんと歴史のお勉強してる?」

「え、してないけど」

「じゃあ教えてあげる。原初の魔女は女神が創り出した存在だからよ」

「……? だとしてもだろ。アタシは魔女じゃなかった」


 貧民街で生まれ、貧民街で育ち、ヴァトラという母親であり師匠でもある魔女に拾われた。運良く魔力を持っていたから。


 ソロルは聞いたあと、ふうん、と返して、それ以上は何も言わなかった。


「さて、じゃあアタシは部屋に戻るよ。魔法の改良を明日までに済ませる」

「それがいいわね。私は此処でしばらく煙草吸ってるから」

「しばらくって……ずっと吸ってるだろ。たまにはやめたら?」

「私は人間じゃないんだからやめる必要ないの。分かったらお戻り」

「ちぇっ、なんでフラーテル以外はアタシに敬意がないんだか」


 口先を尖らせて、ぶーぶー文句を言いながら部屋に戻っていく。

 玄関が閉まる音を聞きながら、ソロルは目を瞑って、静かに煙草を吸った。


「馬鹿ね。フラーテルが敬意なんて持つわけないでしょ」


 魔女のくせに善人が過ぎるとやはり思う。ある意味で見る目がない。


 フラーテルは自分の素顔を隠している。感情が表に出てしまうからだ。魔女に対しての忠誠心など持っていないが、契約相手として対等には考える。それを悟らせないための仮面であると、イーリスは理解していない。


 ソロルはフラーテルとひとつの魂から分かたれた存在であるがゆえに、彼の人間に対する興味の無さが分かってしまう。チェティリのようにからかうでもなく、ソロルのように一歩引いて深入りしないでもなく。


 この魔女が不老不死でなくなったら殺してしまおう、と。


「あっ、ソロル。ちょっといいか?」

「何よ。魔法の相談ならお断りよ」

「殺すための魔法しかないだろ。そうじゃなくてさ」


 少しだけ申し訳なさそうに、イーリスがへらへら笑う。


「アタシが作業してる間、メシ作ってくれない?」

「……私はハウスメイドじゃないのだけれど」

「今度、良い煙草をマクシミリアンに融通してもらうからさ」


 ソロルがぴく、と動く。彼女の愛する娯楽と言えば、煙草に身を委ねて心地よくなることだけだ。上質なものを用意すると提案されて、葛藤が生まれた。


 料理など面倒だし、そもそも経験が皆無だ。悪魔に食事は絶対に必要なものではないゆえに、わざわざ手間暇をかける理由も感じなかった。見てきたことはあるが、娯楽と呼ぶには程遠い。料理を作るのも、食べるのも。


「そういうのはフラーテルに頼みなさいよ」

「あいつ、そう言えばグルメだったな。でも今はお前しかいないんだ」


 いない。その通りだ、ぐうの音も出ない。フラーテルがいないのに誰が料理を作るんだと言われたら、私しかいないとソロルは唇をぎゅっと咬んだ。


「血ぃ出すほど嫌なの!?」

「だって作ったことないもの……!」


 悔しそうに顔を背け、ぎゅっと握った拳を震わせた。


「私だって、私だって上物の葉巻が欲しいわよ……。たまには直で吸いたいときもあるわよ……! 肺にたっぷり入れたかったりするわよ!」


「さっき吸い込んでたじゃねえか」

「能力に必要だからよ。本来は吸うための道具じゃないの、ふかすの」


 非喫煙者であるイーリスには、いったい何を言っているのかと渋い顔をされる。ソロルはそれが気に入らず、ふくれっ面を浮かべた。


「いいわよ、理解してもらおうと思ってないし。あなたには分からないわよね、煙草だって風味とか香りがあって、その質の良さで充実感が変わるわ。美味しくないものを吸ったときはがっかりしたりもするのよ。大体パイプで吸ってるときに肺に入れるなんて、人間はやらないことだもの。私は悪魔だから平気だけど、だからってそれが美味しいと感じることはないわ。刺激はあるけど。まあ、なんにしたって自分に合うものが一番よ。安物が好きっていう人間もいるくらいだし……」


 別に聞いてないが、とはイーリスも言えない。突然に熱弁を始めてしまったソロルを宥めても逆効果だ。ひとまずは話を聞いてから────。


「それで、どうすんのさ。作ってくれるのか、作ってくれないのか」


 喫煙者の言い分に興味はない。聞いたところで覚える気もないし、覚えられる気もしない。今後に活用できそうな知識でもない。必要なのはやるのか、やらないのかだけだ。餌を前にぶら提げて、選択を迫った。


 ソロルはぎゅっと握った拳を解き、フッ、と笑みを浮かべて。


「やるわ。イヤーオブラビットで手を打ちましょう」


「馬鹿か、お前。それ輸入品の有名なヤツだろうが。一本数万の。マクシミリアンが仕入れてみろ、五倍には跳ね上がるぞ。割に合わねえ」


 ただでさえ手に入りにくいのに、とこぼすが、ソロルも譲らないといった強気な表情で動かない。イーリスは頑なな彼女に折れて受け入れた。


「……わぁったよ。それ買えばいいんだな?」

「まあ、太っ腹。じゃあ契約書にサインしてくれる、嘘吐かれたくないから」

「はいはい。これでいいのか?」


 渡されたペンで契約書に名前を書いて返すと、ソロルがニマァと微笑む。


「……? なんだよ、そんなに嬉しいの?」

「んふふ……。じゃあ十本、ちゃんと買ってね」

「あっ! おま、やりやがったな!?」

「はいは~い、すぐごはん作るから待ってなさいな!」


 互いの関係と話の流れから、これといって警戒心を持たなかった隙を狙ったソロルの仕打ちに、イーリスはしてやられた。そして、悔しさに膝から崩れ落ちた。

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