第9話
家の外へ出たソロルが、パイプから煙を大きく吸い込む。そして吸った以上に吐いた。周囲へ流れていく紫紺の色をした煙は、イーリスたちの監視のために森に留まっていた男たちをいとも容易く炙り出す。
隠れていた五人全員が草陰で息の苦しさと全身の痛みにのたうちまわり、呻き声をあげた。死ぬほどではない。だが、極限とも言える全身を鋭い刃で切りつけられるような痛みに耐えかねて気を失う者もいる。
ソロルは、彼らを悠々と回収。家の前に引きずり出してイーリスの前に並べ、退屈な仕事だったとばかりにまた煙草を吸い始めた。
「ご苦労さん、助かったよ」
「もうちょっとマシな仕事が欲しいわね、他の二人に張り合いがない」
「そりゃまた今度だ。誰も死んでないよな?」
「大体は気絶してるだけよ。加減して元気なのを一匹残しておいたわ」
他より幾分かマシなだけで、そこそこに苦痛を味わった後だ。とても見た目には元気そうには見えないが、気絶しているか、あるいは死んでいなければ元気というのがソロルの判定なのだ。これにはイーリスも苦笑いで返す。
「おい、お前。会話はできそうか?」
「ぐ……う……な、なんですか、許してください、お願いします……!」
半ば錯乱状態の男にイーリスは呆れつつもゆっくり声を掛けた。
「安心しろ、アタシは誰も殺したりしない。ただ少し話が聞きたいだけだ、荒っぽいことをしたのは謝るよ。さあ、深呼吸して」
落ち着かせている間に、男たちの服装などを一瞥する。
騎士団の人間ではない。国が所有する軍隊の一般兵だ。騎士たちよりもずっと格が下がる。命令が下って仕方なく来たのだろう、となんとなく察した。
「監視はアドラーの指示か?」
「は、はい。理由は分からないです、俺たちは集められただけで……」
「アドラーの他に、お前らの仕事に関わってるのは誰だ?」
「そ、それは……」
「言えないか、仕方ないな」
イーリスがちらりと隣に立つソロルを見た瞬間、男のはゾッとして、慌てて口を割った。一般兵は雇われだ。立場よりも命を惜しむ。騎士団は魔女との繋がりを持つ者が殆どで、そう簡単には使えない。兵士を使ったのはイーリスにとって幸運だ。騎士であれば自害した可能性さえあるのだから。
「あっ、あの、違うんです、話します! 殿下以外には第二騎士団の方々と、神殿の神官たちが関わってます! 俺たちは命令に忠実でさえいれば莫大な報酬と地位を下さると約束されて……!」
必死の弁明に、イーリスは呆れ果てた。報酬につられるだけでも信仰心の欠片もないのだが、あまつさえ仲間を簡単に売れるのだから。
兵士という立場なら仕方ないとはいえ、こうもあっさりとはアドラーでさえ思うまい。これが致命的になってくれたら楽なのだが、と話を続けた。
「第二騎士団は全員が皇帝のしもべになってるのか?」
「それは分からないです。俺たちが会ったのは新しい団長さんとかで……」
あまり情報は引き出せなさそうだ、とイーリスは俯いて首を横に振った。
「ちっ。よりにもよって、また第二騎士団かよ」
ユディットを自由にするために叩き潰した、テオボルド子爵率いる第二騎士団。元々、貴族主義者の集まりとも言える第二騎士団を崩壊させても、ただ首を挿げ替えただけで中身は変わっていなかった。
それどころか、アドラーの息のかかった者で集まっていれば、他の騎士団も簡単に手出しは出来ない。とはいえ、それは逆も言えることだ。現状では信仰心以前に第一・第三騎士団との折り合いも悪い。動き辛いのはお互い様になる。
「どうするの、イーリス。私は言っておくけど二人のようには動けないわよ。他の二人と違って、私は救済が得意なの。生かすも殺すも同じだと思わない?」
「使い勝手悪いな、お前」
「失礼ね。契約したのはあなたじゃないの」
性格の悪い主人だと煙をふーっと吐き掛ける。咽る姿を見て、ざまあみろとばかりにソロルがニヤリとして、イーリスに睨まれた。
「だったらお前に名案でもあんのか?」
「考えがなくもないわね。数日は動けないようにしてあげましょ」
「……なぁるほど。確かに悪くない、前言撤回だ」
目の前にいる兵士は五人。全員が健康そのものだが、ソロルの手に掛かれば瞬く間に病の手に堕ちる。その痛みも、苦しみも微調整が可能だ。やや重めの病気をばら撒いてやろうとして、イーリスも納得する。
病気を拡散する時間。感染する対象。期間。重症度。症状。あらゆるものを操り、時限爆弾のように兵士たちの中に蓄えさせた毒をばらまく。
ただし完璧からはいくらズレがある。チェティリが未来のモノを手に入れるには重大な影響を及ぼさないことが必須なのと同じで、ソロルの能力の影響は数日程度。殺さないのであれば十分な足止めが出来る程度だ。
「自分で解決したいのでしょ、お嬢ちゃん。私はその手伝いをしてあげるわ、昔の相棒みたいにね。でもこれだけは覚えておいて。あなたの不老不死は決して無敵の道具じゃない。いざとなったら────殺すわ、他の人間なんて」
悪魔が最も愛するのは、長年の契約者でもなければ世界が正しく運営されることでもない。誰かに従うことはあっても善性を持って動いたりはしない。彼らが愛するのは自分たちの命、ただひとつ。魔女という無限の命を貰う対価として手助けをするだけで、命の危機に晒された場合は容赦なく手を汚すことを厭わない。
不老不死といえども、その体が完全に灰にされたり、形も残らないほど小さな骨のひとつまで溶かされたのなら蘇りはしない。そもそも、その殺す条件自体を満たすのが難しいのだが、今の皇国なら十分に可能性はある。
もしもそうなってしまったら、敵性勢力は殺してでも魔女を救う。ソロルだけではない。フラーテルも、チェティリもそうする。そしてイーリスには、それを拒絶する権利がない。大悪魔との契約はそういうものなのだ。
「分かってる。じゃあ頼むよ」
「ええ、そうね。時間もあまりないだろうから」
怯える男を前にソロルはパイプから煙を大きく吸い込む。
肺に蓄えていた煙を、男に口づけをして送り込んだ。
「ごっ……が……げほっ、げほっ……! い、いったい何を……!?」
「安心なさい。あなたは帰れるわ、運が良いのね。大悪魔を前にして生きていられるんだもの。ただし誰かに話したら、全身が腐り落ちると思いなさい」
他の兵士たちも呻き声をあげて目覚め始めると、ソロルは横目に見た。
「此処にいる者たちにも伝えておきなさい。さっきの吸い込んだ煙は、ただ苦しいだけじゃないわ。あなたたちが特定の言葉を話すことで作用する毒が体内には仕込まれてる。たった数日で助かるんだから、出来るわよね?」
男はコクコクとしきりに頷き、他の兵士たちを揺り起こすと事情を説明して、撤退を促す。彼らの中にも信仰心から思うところはあったが、目の前にいる魔女と大悪魔を敵に回すほど愚かではない。
「そ、それでは魔女様……我々は帰りますので」
「おう。気を付けて帰れよ」
全身の苦痛から解放されても、その疲労は残っている。とぼとぼと去っていく兵士たちを眺めながら、イーリスがソロルに尋ねた。
「あいつらに何したんだ? まさか死んだりしないよな?」
「ただの脅しに決まってるじゃない。余計なことを言ったら、幻覚を見るようにしておいたのよ。二日くらい周りの人間全てに陰口を叩かれてると思い込むわ。そのあとにスッキリ正常に戻るかどうかは分からないけどね」
無表情でベッ、と舌を出す。どうせ話す人間が出てくるのは想像できたこと。適度に絶望を味わってもらわねば、大悪魔としての誇りが穢れる。死なないまでも精神くらいは壊れてもらう魂胆だった。
「……アタシが言ったら元に戻してやれよ」
「はいはい。わかっていますとも」




