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イーリス・ブレンヒルトの自由で至福な最高の生き方  作者: 智慧砂猫
第三章 イーリス・ブレンヒルトと狂信の皇国

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第8話

 早速仕事だとチェティリが消える。イーリスはユディットに手紙を認めるので待っているよう言って、家に戻った後は自室に籠った。


 待っている間、ユディットは特に暇そうにするわけでもなく、ただキリッとした表情でニコニコと、イーリスの頼みを遂行すべしと気合をいれる。


「(久しぶりだな。こんなふうに頼み事をしてもらえるなんて)」


 嬉しさの一方、深刻な事態なのだとしっかり認識もある。これまでは自分が頼み事をされるほどイーリスが困るようなことはなかった。サンドピットでの事件を最後に、頼み事など一度たりとも記憶にない。


 今回ばかりは頼らざるを得ないほど切羽詰まっているとも考えた。


「(あれから五年か。リンは元気にしているだろうか?)」


 サンドピットで起きた大火災以降、何度か手紙のやり取りはあったが、黒山羊商会の多忙ぶりに段々と数が減っていき、二年ほど手紙が届いていない。便りがないのは良い便りだと言っても、たまには新しい手紙が欲しくもなる。


 これから会いに行ったら驚いてくれるだろうか、とワクワクした。


「何をひとりでニヤニヤしてんだよ、気持ち悪いぞ」

「あっ、もう書き終わったの?」

「いつもはお前が書くから悩んじまった。問題がないかチェック頼む」

「ふふふ、それはもうお任せくださいな」


 受け取った手紙にすらすらと目を通して、うん、と軽く頷く。


「問題ないね。これなら十分に伝わると思うよ」

「それならよかった。まあ、何かあったら、お前から説明してくれ」

「もちろんだ。イーリスの役に立てるなら」


 手紙を丁寧に折り、上着の胸ポケットにしまう。


「これから出発するけど、ここからサンドピットだとちょうど往復で二日くらいだね。戻ってくるのは、もしかしたらチェティリさんと同じくらいかな」


「呼び捨てにしてやれ、あんな嫌味ったらしい奴は」

「ははは。今度、そうしてみるよ」


 たった二日会えないだけで、ユディットは寂しさで胸がいっぱいだ。軽いハグを交わしてから、寂しそうに「行ってくる」と笑った。


 イーリスも名残惜しそうに微笑んで返し、軽く肩を叩く。


「気を付けて行ってこい。アタシはアタシのやるべきことをやるから」

「うん。イーリス、私を置いてはいかないよね?」

「行かないよ。どこにも行かない。約束したろ」

「そうだね。……ありがとう、今度こそ出発するよ」


 馬車に乗って駆けていくユディットを見送り、大きく手を振った。

 ぽつんと一人取り残されて、退屈さにあくびをする。


「魔導書でも触っとくか」


 正直、気が乗らない。これからやろうとしているのは、今までのように生活に役立つ魔法の発明や改良ではない。誰かを殺すかもしれない強い魔法だ。


 どんなものよりも簡単に創れてしまう、他人を傷つけるための魔法。今までの魔女が誰も触れてこなかった禁忌にイーリスは手を入れる。正しいかどうかではない。そうしなければ、もはや命が危ぶまれるからだ。


 大陸全土に広がる女神信仰を悪いとは言わない。むしろ信仰はあった方が良い。たとえばそれは、人によって救いになる。朝に目が覚めて、今日が始まったことを喜ばしく思い、祈り、気分良く生きていけるのなら必要だと言うべきだろう。些細なことだとしても幸福を実感できるならその方がずっと良い。


 問題は、その信仰に対する解釈と強制だ。助け合い、愛し合い、慈しみを忘れない女神の言葉を利用して、そうしない者は悪だと断じる。人間が人間の都合で裁いてしまう。国が定めた規律とは違うところで。


「(今頃は皇都を中心に魔女狩りが行われてるはずだ。魔女に与する者も魔女だとか言って。確か三代目くらいのときにも似た問題はあった。当時の魔女は今みたいな状況をどうやって解決したんだ……?)」


 三代目までさかのぼるとなると、イーリスの師匠よりさらに何代か前の話になる。具体的な内容はまったく残されていないし、もし文献が残っているとしても国の管理下であれば、今は読むこともできない。


 頭を悩ませながら、チェティリに頼んでおくべきだったとがっかりする。


「チクショウ、順番を間違えたな」


 部屋の隅に置いたトランクの中をまさぐり、邪魔な服を引っ張りだす。あれこれと必要のないモノまでたくさん持ち込んだなと自分に呆れながら、イーリスが見つけたのは二個の指輪だ。それぞれサファイアとエメラルドが美しく加工されていて、価値は言うまでもない。人差し指と中指に嵌めて、軽く眺めた。


「これを使うときが来るなんてなぁ」


 悪魔になど頼りたくはない。だが、もう贅沢は言っていられなかった。


「ソロル、フラーテル」


 名前を呼ばれると指輪が光り輝き、二人の悪魔が姿を現す。ソロルと呼ばれたのは貴族令嬢のように美しい、紫紺のドレスに身を包んだ鋭い眼つきの女性。手には細長いパイプを持っている。


「呼び出しなんて珍しいわねぇ。何年振りかしら、フラーテル?」


 隣に立つのは、道化の仮面を被った紳士風の男。ぱりっとした新品の燕尾服が、すらりと細く長い体にぴったり合う。白い手袋をはめた手で仮面を掴み、ほんの僅かな位置のずれを気にしながら────。


「よほど切羽詰まっているのだろう、我々に頼るというのは。チェティリだけでは不十分なのだ。そうだな、我が主よ」


「そういうこった。ところでチェティリみたいに空間は移動できるか」


 尋ねられると、ソロルとフラーテルは顔を見合わせてから、揃ってわざとらしく肩を竦め、さも当然だとばかりに堂々と言い放った。


「無理ね」

「無理だ」


 だよなあ、とイーリスもすんなり受け入れる。時間と空間を当たり前に移動できるのはチェティリという大悪魔に与えられた特権だ。ソロルとフラーテルも十分すぎるほどの大悪魔だが、一歩及ばない。


「あれはチェティリの能力に依るところが大きい。我々に与えられた領分とは違う。もし頼みたいことがあるのなら、出来る範囲で願いたまえ」


 ご尤もな指摘にイーリスは面倒くさそうに肩を落とす。


「分かったよ。ま、期待はしてなかった。ひとまず、サンドピットに向かったユディットの護衛を頼みたい。お前ら、見てるから知ってるだろ」


 指輪の中にある自分たちの空間で暮らしていても、外の出来事はよく見えている。イーリスが大切にしているユディットのことは聞かなくても分かる。フラーテルが胸に手を当ててお辞儀をする。


「お任せあれ。チェティリのように瞬間移動は出来ないが、追いつくのは難しくない。ソロルには不向きな任務だ、私が承ろう」


 影が渦巻き、フラーテルが沈んで消える。彼の移動方法は影から影へ移るもので、チェティリには及ばずとも十分に速い。後は任せて大丈夫だろう、と胸をなでおろす。ソロルはそれを不思議そうに見つめた。


「あの娘、守らなければならないほどかしら」

「念のためさ。人間はお前らと違ってすぐ疲れるんだよ」

「でも不老不死よね。土に埋められる予定があるの?」

「ないとは言えないな。だがフラーテルがいれば話は変わるだろ」


 優しい顔をする、とソロルは哀れに想う。


「……好きな子には手を汚してほしくないのね。もうとっくに、あの子の手は汚れているでしょうに。騎士なのよ、ああでそれなりに殺してきてるわ」


「だとしてもだ。今までは純粋な悪人ばかりだったが、次の相手はそうじゃない。できるだけ、殺すことを当たり前にしないでほしいんだ。フラーテルなら、そのあたりを汲み取ってくれるかと思ってよ」


 感情を司る悪魔、フラーテル。戦闘行為を避けるには彼ほど心強い存在はいない。手綱をイーリスが握っている以上は、むやみに殺したりもしない。今より彼が適任な任務などありはしないと断言できた。


 ソロルにはいまいち理解が出来ず、結局、パイプを咥えて燻らす。


「それで私には何を頼みたくて呼び出したのよ」

「アタシの結界内に入り込んだ馬鹿がまだ隠れてるらしい。頼めるか?」

「殺せばいいの?」


 腰より下に伸びた長い黒髪をふわっと手で梳いて揺らす。病気を司る悪魔のソロルは、容易く苦痛を与えられるし、逆に救うこともできる。


 イーリスはちっちっ、と指を振った。


「捕まえるんだよ。生かして此処に連れて来てくれ」

「あぁ……分かったわ。五分もあれば十分よ、任せておきなさい」

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