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イーリス・ブレンヒルトの自由で至福な最高の生き方  作者: 智慧砂猫
第三章 イーリス・ブレンヒルトと狂信の皇国

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第7話

◇◇◇




 問題は翌朝に起きた。ユディットが目を覚ましたとき、隣で眠っていたはずのイーリスがいなかった。それだけならいつものことだ。しかし、今日ばかりは妙な感覚に襲われて、急いで服を着て部屋を出た。


 彼女は墓の前に立っていた。手を土塗れにして肩で息をしながら、驚愕と失意が同時に押し寄せたときのように、顔色を青くしている。


「イーリス。温かいとは言っても上着くらいは羽織らないと……」

「ない」

「どうしたの、何がないの?」

「遺体。師匠の遺体がない」


 事態を上手く呑み込めないユディットをよそに、イーリスが叫ぶ。


「チェティリ、出てこい!」

「はいはい、もちろんワシは此処にいるぜ」


 ふわっと何処かから黒い霧がやってきて人の形を作り、チェティリがケラケラ笑いながら現れた。明らかに何かを知っている。本来であれば黙して静観するところを、イーリスは許さなかった。


「話せ。遺体はどこだ?」

「さあて、どこだったか。ワシはいちいち追いかけていないからねぇ」


 くすくす笑うチェティリの胸倉を掴んでイーリスが詰め寄った。


「二度は言わねぇぞ」

「おお、怖い。……ま、いいだろ。話してやるから放せって」


 胸倉を掴む手を握りしめて、今にも骨を折らんばかりにチェティリが力を込める。イーリスがチッと舌を鳴らして軽く突き放す。


「まったく癇癪持ちの小娘だね。お前は先代とは全然違う」

「うるせえ。さっさと本題に入れ」

「……二週間くらい前かねぇ、此処に来た連中がいる」


 森に着いたとき、異空間を通じて過去・現在・未来の全てを視たチェティリは、森にやってきていたのが何者かを理解している。思い出すだけでも忌々しいような可笑しいような連中だったと鼻を鳴らす。


「なんだったかなァ。随分とご立派な白いローブに身を包んだ奴らだ。────ああ、そうそう。聖職者みたいな連中だったかなァ。それも随分とご立派な服に身を包んでいたよ。それとひとりだけ、とってもえら~いヒトがいたね。聖職者じゃなかった。四十代くらいの初老の男さ、気取った性格が鼻につく奴だ」


 ビクッ、とイーリスが反応して怒りをあらわにする。同時にユディットも、誰を指しているのかを理解してさあっと血の気が引く。


「ま、まさか神官が此処へ来ていたんですか。ただでさえ墓荒らしは重罪なのに、神に仕える者が、そんな馬鹿な真似を……」


「それだけじゃねえだろ。アドラーが此処にいたんだな?」


 チェティリがくっくっと声を殺しながら笑い、小さく頷いて返す。


「大切にしてくれた父親だってのに、愛想も何もあったもんじゃねえと思わないかい? 業務的に葬式を済ませたら、即位式も簡易的にして、さっさと魔女に見つかる前に墓荒らしさ。それが正義の行いなんだとよ」


 国に仇をなす魔女を討つべし。そんなことを口走りながら、アドラーは神官を連れ、かつての魔女の墓を掘り起こし、その遺体を運んだ。どこへ行ったかまではチェティリも視ていない。皇都に行けば分かることだが、わざわざ必要以上に魔女の手伝いをするつもりが、彼女にはなかった。


「では遺体は処分されたと見るべきでしょうか、イーリス……」


「いや、違う。あいつら、遺体を使って何かする気なんだ。それがアタシにバレるとマズいから、何も起きていないように見せかけやがった」


 ただ魔女の遺体を燃やすのであれば。魔女を排斥したいだけであれば。その場で家に火でも放てばいい。にも拘わらず遺体を回収し、さも何も起きていないかのように見せかけたのなら、目的があるはずだ。


「チェティリ、心当たりはないか?」

「悪いがないね。連中が何をしようとしてるかまでは知らん」


 ふわふわの髪に手を突っ込んで頭を掻き、チェティリは嫌そうにする。


「神殿だの教会だのってワシと相性が悪いんだ。ただ、皇宮の中にある聖堂に運び込まれたのは視た。後は分からん、女神様はワシが嫌いだからよ」


 人間を貶めるがゆえの悪魔。神に背くがゆえの悪魔。そのせいで、神を奉る神聖な場所はチェティリの侵入を拒み、その能力による介入さえ許さない。


「どうするんだい、イーリス? すぐにでも皇都に戻る?」


「いや……。バレたときの備えくらいはあるだろうさ。行かずに此処でしっかり準備してから皇都に入ればいい。そのついでだ、ユディット。お前に届けてほしい手紙があるんだけど、持って行ってくれないか」


「ああ、構わないよ。でも、誰に手紙を届けるの?」

「黒山羊商会だ。皇都に入った後、連中に手を借りたい」


 マクシミリアンの下で働く人間の多くは、ただの労働者ではない。ごろつきあがりもいれば、戦闘訓練の経験がある者がほとんどだ。彼らは皇都で働いていたのもあって頭の中に地図が叩き込まれている。彼らの力を借りれば、皇都内に入り込んだ後は姿を隠すのにちょうどよい場所はいくらでもあるはずだと考えた。


「多分、皇都は厳重警戒が敷かれてる。アドラーは徹底してアタシを排除したいはずだからな。どうせ、それも神殿の連中に唆されたんだろうが」


「……そうか。もう神殿は実質的に、国を支配したも同然なんだね」


 女神信仰を悪いものとは捉えない。だが、信仰が国を支配するようになり、弾圧が進めば、世の中は確実に悪い方向へ舵を切る。イーリスが最も忌避する時代の到来が告げられたようなものだ。ユディットも内心穏やかではない。


「やはり強硬手段を取るべきじゃないかな。剣ならいつでも磨いているよ」

「だから、なんでそっち方向に思いきりが良いんだっての」


 肘で小突いて、呆れた目を向ける。


「強硬手段は取るさ。だけど、アタシはできるだけ殺さないで済ませたい。……まあ、たぶん無理だってのは、なんとなく感じてるけどな」


「手を汚したくないならワシを使えばいいだろ。便利だぜ、これでも」


 こと殺人という罪において悪魔より秀でた存在はいない。チェティリがどう殺すのかまで見たことがないので、イーリスは顔をしかめた。


「お前の場合、残酷な気がするんだよ。どうせ命を弄ぶタイプだろ」


「ははは、伊達に百年もワシと契約してねぇなァ。だが安心しな、ワシより、そっちの小娘の方がずっと血の気が多いぜ。そっちはマジで言ってるからよ」


 チェティリが目を細めて思うのは『よくこれが人間でいられてるもんだ』というユディットに対する評価だ。あまりの冷徹ぶりに驚かされた。命を弄ぶまではいかないまでも悪魔よりずっと他人の命を軽視しているじゃないか、と。


「何事にも悪を断ずるのが、我々騎士の仕事だと叩き込まれてきましたから。……まあ、今はもう騎士ではないのですが」


「何をおっしゃるやら、今は魔女の騎士だろうよ」


 きひひ、とチェティリが楽し気に。


「その行き過ぎた断罪と弾圧の違いがワシには分からねえや。イーリス、連れ歩く人間を間違えたんじゃねえのかい? どうもボンクラに見えるぜ?」


「いいじゃないか。悪魔はそこまで人間が綺麗なモノにでも見えてたか」


 嫌味ばかりを言うチェティリを適当に流して、イーリスがぐぐっと体を伸ばす。深く考えすぎても、今は結論など出せないと思考を閉ざして。


「ひとまずこっちは動かない。今、皇都に向かったところで出来ることなんて知れてる。まずは黒山羊商会に協力を頼んで、皇都の中を動きやすくしたい。チェティリ、皇都がどうなってるかだけ確認してもらえないか」


 すっぱり命令すりゃいいのに、とチェティリが面倒くさそうな顔をする。


「癖なのか知らねえが、ワシみたいな悪魔に頼み事はよせよ。こっちは聞き分けのない邪悪だってのを、お前もよく分かってるはずだ」


「それでも聞いてくれるなら、なんだっていいさ」


 昔から、魔女に微笑まれると弱い。チェティリはふいっと顔を逸らす。


「なら二日待て。状況と流れを見極めるのには時間が必要だからよォ」

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