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イーリス・ブレンヒルトの自由で至福な最高の生き方  作者: 智慧砂猫
第三章 イーリス・ブレンヒルトと狂信の皇国

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第6話

 鵜呑みに信じるわけではない。イーリスの言葉は理解できたが、初めて会うチェティリの不気味な気配をおいそれと安心とは思わない。


 共に食卓を囲むなど忌避すべきことで────。


「久方ぶりの人間のメシは美味いねぇ。いや、そもそも今まで喰った中では一番の美味かもしれない。良い嫁を捕まえたなあ、イーリスは」


 褒め言葉にユディットはあっけなく陥落した。並べた料理に舌鼓を打つ悪魔の何気ない言葉が、照れくさそうに「そうですか、そうですよね」と愛嬌のある大きな犬のようにして彼女の警戒心を容易く解す。


「チョロすぎんだろ」

「へっ、ワシは大悪魔だぞ。誑かすなど朝飯前さね」


 水を飲み、チェティリはわざとらしく嫌味な顔をする。

 お前よりも自分の方が人の心は掴めるのだと言わんばかりに。


「ところで、お二人はいつから知り合われたんですか?」

「アタシが十六歳……魔女になった時からだよ。先代の伝手でな」


 イーリスの師匠が契約していた悪魔、チェティリは、代々の魔女に仕えてきており、不老不死になった者にのみ取り憑くので、それまでは何があっても指一本さえ触れたりしない。言葉さえ交わさず、姿も見せなかった。


「最初はアタシも驚いたもんだ。魔導書を開いた日、後ろにコイツが立ってた。正直言って殺されるんじゃないかと思ったよ」


「きひひ、そりゃすまないねぇ。驚かせるつもりはなかったヨ?」


 カップにたっぷり入ったコーンスープを飲み、チェティリは美味、美味と小さく呟きながら、口端についたスープを舐め取った。


「初代の魔女からずうっと、その無限の寿命をもらってきたんだ。こちとら大ベテランの魔女の補佐をやってるが、馬鹿が他の悪魔まで連れやがってサ。歴代でコイツだけだよ、他にふたりも大悪魔連れてる奴なんて」


 気さくにきひひっと笑って頬杖をつき、隣に座るイーリスを眺めた。


「先代がイーリスを見つけたときは、随分と悲しそうな顔をしてたねぇ。まさか魔力を持った人間が貧民街で、泥水を飲みながら、パンのカビを落として食ってたんだ。よくもまあ生きてたもんさね。それが今じゃあ、随分と立派になって」


 イーリスはフォークに絡めたパスタを口に放り込み、ツンとした態度で『いつの話をしているんだ』と言いたげに目を細める。


 昔話が好きなのは年寄りの特権、とチェティリが笑う。


「ワシは悪魔だし人間の命なぞ興味もないが、常識が欠如してるわけじゃあない。魔女を継いだ途端、独りにされて、どれほど苦労してきたかも見てる。情が湧くかと言われれば、程々には湧くもんサ」


 ふと水を飲みながら話を聞いていたユディットは、気になったことを尋ねる。


「じゃあ、子供だったときのイーリスを世話したのはチェティリさんということになるんですか? 服装が似てるのも、あなたが仕立てたとか?」


 いきなりの問いにチェティリも目を丸くして、ほどなくげらげら笑った。


「遠慮のない小娘だ、気に入ったぜ。ワシのことは呼び捨てでいい。かしこまられるのは好きじゃねえんだ。……それで、教えちまっても?」


 念のためイーリスに許可を取ろうとする。当の本人は飲んでいたスープで咽ていて、好きにしろとばかりに手をシッシッと振った。


「ふむ。では話してやろうか」


 頬杖を突くのをやめて、座りなおし、コップ一杯の水をひと息に飲み干す。ふう、と落ち着いてから────。


「ワシは大悪魔だ、人の願いを聞き届けるだけで終わるほどの低級とは違う。そうだなぁ。うん、わかりやすく『時間の悪魔』と自己紹介しよう」


「時間の悪魔? すみません、ピンと来ないのですが……」

「だろうねぇ。ま、簡単に説明してやるとだな」


 霧のようにチェティリの体が消える。戻ってきたかと思うと、誰かの真っ赤な下着を片手に持っている。イーリスがひゅう、と口笛を吹いた。


「こんなことができまぁす」

「ばっ……!? どこから持ってきたんですか、人のモノを!」


 取り返そうとして席を立つと、チェティリがぽいっと投げて霧の中に消えた。


「中々にお上品な色をしてたねぇ。今日の夜に履こうと思ってトランクから出してたのを、ちょちょいっと拝借してきたのさ。未来のお前から」


「そんなことはどうでもいいので返してくださいってば、どこやったんですか! 私の……あの、そういうアレを!」


 顔を今までにないほど真っ赤にして、肩を掴んでぐわんぐわん揺らす。

 まったく動じないチェティリはへらへら笑いながら、また下着を手にした。


「安心しなって。別に履いたりしてないからさァ」

「そういう問題じゃないでしょうが!」

「最近の若いガキはこんな透けてるのを履くのか。マセてるねぇ」

「イーリス。この方の首を刎ねる許可を下さい、殺します」


 水を飲んでホッとしていたのも束の間、イーリスは待ったを掛けた。


「まあまあ落ち着けって。そいつは並の悪魔じゃないからミンチにしたって死にゃしないぞ。それにアタシはお前のそういう下着つけてる姿もエ────」


 何をされたかも分からないまま、イーリスは気絶してテーブルに頭を打った。

 今日ばかりはユディットも虫の居所が悪い。


「やりすぎじゃあねぇの。曲がりなりにもパートナーだろ?」

「そうだとしても誰の味方をするかで話は変わるんですよ」


 目が怖い、とチェティリも自分の立場を忘れて気まずそうに視線を逸らす。


「でも、どうやって未来から。じゃあ今の私のはこれから消えるんですか?」


「まあ消える。というより奪われる。ワシはそこにあるイーリスがくれた器の中に生じさせた異空間を通じて、あらゆる時間に干渉して結果を作る。つまり、ワシはお前の恥ずかしい下着を盗み、過去へ持ってきたという結果に未来は『必ず』なるというわけだな。ただし些細な、本来あるべき流れに影響のないことだけだが」


 下着一枚を盗んだところで、何か大きく未来が変わるのかと言われれば、そんなことはない。チェティリは知っている。この下着を着ようと着まいと、今のイーリスであれば受け入れる準備が十分にあると。


 しかし、そんなふたりの関係を、わざわざ口には出さなかった。


「では、私のその、アレは出しておく必要が?」


「ない。ワシが作ったのは盗まれたという結果だけ。気づけばなかった、その程度だ。言っただろ、大それたことはできないんだよぉ」


「……最悪ですね。イーリスが嫌そうな顔をするのが分かります」


 大事そうにチェティリが握りしめている下着を奪い返して、よくもまあこんな悪戯好きな悪魔がいたものだと呆れてしまう。大悪魔だと言うから身構えたのに、その正体は小さな子供のように無邪気な悪さをする大人なのだから。


「未来ってどれくらいまで行けるんですか」

「ざっと二百年かな。それ以上の移動はワシの負担がでかい」


 途方もない時間に目を丸くする。これまでイーリスと過ごしてきた五年が、あまりにも少なく見えた。同時に、ひとつの可能性に至った。


「それなら我々が、これからやろうとしていることについても────」

「駄目だね。そいつは教えらんない」


 きひひっ、と笑って意地悪そうに──瞳のギラつきはちっとも可笑しさを孕んでいない──面と向かってユディットの思考を先読みして否定する。


「今ここで話してやるのは簡単だ。未来へ飛んで干渉さえしなければ、ワシに制約はねえ。でもな、いつの時代も未来を創ってきたのは、今を生きるお前らなんだぜ。────物語はお前らで終わらせろ。手伝いくらいはしてやるよ」


 ふわっと霧のように消え、すぐさまユディットの背後に現れる。

 肩をぎゅっとつかんで、耳元に小さく囁いた。


「結末ってのは知らない方が面白い。お前らが生きるのか、死ぬのか。ワシにとってはどちらも同じこと。未来を知る者として高みの見物をしておくよ」


 また姿が消えると、黒い霧はルビーの指輪に吸い込まれるように帰った。


『じゃあな、美味いメシをありがとォ。また食わせてくれ』


 声だけが響き、ルビーの指輪が僅かに輝いてカタカタと少し揺れた。

 気を失ったままのイーリスを見て、ユディットは微笑みがこぼれる。


「まあ、イーリスなら大丈夫ですよね」

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