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イーリス・ブレンヒルトの自由で至福な最高の生き方  作者: 智慧砂猫
第三章 イーリス・ブレンヒルトと狂信の皇国

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第5話

 家の中は質素だ。大き目のテーブルに椅子が四つ並び、部屋の隅には本棚とソファが構えている。キッチンも広く、以前は数人で暮らしていたのだろうと一目で分かるような造りだった。


「魔女を継ぐまで、アタシは此処で育ったんだ」


 歩けば床が軋む。それすらも味のある良い家だな、とユディットは深く頷きながら、キッチンへ向かった。流し台の横にある大きな戸棚に食材が入っていて、どれも百年近く昔に貯蔵されていたが、見た目はまさに新鮮そのものだ。


「何も腐っていない……。本当に時間が止まってるんだね」


「食糧庫の中だけは完全に止まってる。開けると時間が進むんだが、閉まってる間は中の状態は常に保存されるんだ。だから定期的に帰ってきてた」


「ここでひとりのときは何をして?」


 イーリスは防寒着を脱いで椅子にかけると、ソファにどっかり横たわる。


「な~んにも。考えるのが嫌だったり、なんとなくひとりになりたいときに来るんだ。此処は滅多と人も来ない。森には熊も狼も出るから、狩人でも危ないってんでひとりじゃ踏み込まないんだ。だから基本的に静かで過ごしやすい」


 森を安全に抜けて深くまで入れるのは魔女だけだ。ただでさえ決まりきった道もなく、広大で迷いやすい。慣れた人間でも危険だからと入ろうとしない。


 雪が積もれば、森は獣たちの領域(テリトリー)になる。彼らと言葉ではなく意識で対話できる魔法を持つ魔女だからこその住処。世俗から離れ、穏やかな日々を過ごせる、たったひとつの心が休まる場所なのだ。


「お前も好きに過ごせよ。あっ、メシは作ってほしいけど」


「ふふ、いいよ。いつも頼りにさせてもらっているからね。たまには君に私のかっこ良いところを魅せないと!」


 上着を脱いでシャツ一枚になり、気合たっぷりに腕をぱしっと叩く。


 何をそんなに意気込んでいるのかイーリスには分からなかったが、まあ、それも悪くないと笑みを浮かべて、ソファに体を預ける。


「……独りじゃないって良いな、やっぱり」


 帰ってきた理由は、自分がやろうとしていることへの謝罪。これまでの魔女が誰も研究しなかった魔法。否、できるとは分かっていても、あえて書かなかった。それをイーリスは自分のために使う。それゆえの謝罪も兼ねた墓参りだ。


 しかしながら、それを誰かと共に肩を並べてとは考えていなかった。もしかしたらユディットにも嫌だと言われるかもしれないと思った。人を殺すなど、とても理解ができないと蔑まれるかもしれないと。

 他の誰よりも彼女の反応を気にしてしまう。共にいると誓ってくれていても。


「(……なんか変な気持ちだな)」


 胸のあたりがこそばゆい。たったひとりのことで不安になったり、喜んだりと感情が忙しくて、嫌われたくないという気持ちの方がずっと先にあった。


 ああ、そうか。この気持ちは────。


「イーリス、さっと食べられるものがいいかな」

「……なんでもいいよ。時間が掛かっても」

「そう? じゃあ、色々と作ってみるね。たくさん食べれそうかい?」

「作ろうってんだから美味いんだろ。たくさん食べるさ」


 そう言いながら、すう、と寝息を立て始める。


 日頃の疲れが溜まり、精神的疲労で噴出したのだろう。ユディットはその寝顔を見て、ふふっ、と可笑しそうにしながら料理の支度を進めた。


 いつも口癖のように、魔女もひとりの人間だと言う。その意味は考えるべくもなく、自分もみんなと変わらないはずなのに孤独であるからこその、救いを求める言葉なのだとユディットはなんとなく肌に感じている。


「(今日くらいはゆっくり休んでくれ、イーリス)」


 イーリス・ブレンヒルトというひとりの人間であるよりも先に、必ず魔女である責務がやってくる。どの町にいようと崇拝か、謗りを受ける。信仰の存在が、常に彼女を人々の都合によって痛めつけているのだ。どちらにしても。


 以前は意識さえしたことがなかった平和に生きることの難しさを、隣に立っているだけで思い知らされてしまう。なんと肌に冷たく突き刺さる世界だと。


「あ、そういえば。結局この指輪はなんだったんだろう?」


 イーリスからもらったルビーの指輪。必ず役に立つときがくると言われたものだ。魔法の道具だが、その効力については何も語らなかった。


 使い方も分からないのに本当に自分が身に付けていて役に立つのか。そんなふうに思いながら、料理の邪魔にならないよう外してカウンターに置く。


「サラダを用意したら棚に戻して……それから、肉の方がいいかな」

「そりゃあもう、ワシは肉の方がいいさね」

「だよね。疲れてるときはスタミナをつけな────え?」


 長い黒髪の女が隣にたって、ニコニコしている。狐のような凛々しい顔立ちだが、髪は獅子の(たてがみ)を思わせるほどの量だ。まったく敵意も悪意も感じられず、ただ楽しげにさえ見える表情で、呆然とするユディットを赤い瞳に映す。


 その謎の存在に驚きすぎて、思わず後退りしながら包丁を向けた。


「だっ、だ、だだだだ、誰ですか、あなたは!?」

「ワシかい。ワシはイーリスのお友達さ~」


 ぱっ、と両手を開いて何も持っていないアピールをしてから、自分の服を指さす。謎の女性の服装はどこかイーリスと似た雰囲気で、ぴっちりのショート丈のタンクトップに革製のジャケットを肩をはだけさせて着ている。


 片耳にふたつの大きなフープイヤリングを揺らして女性は胸に手を添えながら、ねっとりした蛇のような視線でユディットを見つめて名乗った。


「ワシはチェティリ。もう一度だけ言おうか、イーリスのお友達さね」

「い、イーリスのお友達……だっ、誰が信用するものですか!」


 包丁を構えて、いつでも飛び掛かれるように姿勢を正す。

 チェティリは納得してもらえない様子に、ふう、と肩を竦めて笑う。


「イケてないねぇ、お前さん。そんならたたき起こすかぁ、アイツ?」

「たたき起こさなくても起きてんだよ、お前らがうるさいから」


 あくびをして、至極面倒なことになったとばかりに二人を睨む。


「チェティリ。勝手に出てくるなって言っただろ?」

「これは失敬ぇ。ちょっとからかっただけだよォ」


 けらけら笑いながら、黒い霧のようになってチェティリの姿が消える。


 まだ状況が呑み込めず腰を抜かしたユディットを見て、イーリスは面倒くさいなあと額に手を当てて、深い深いため息を吐いた。


「い、今の誰……!? 消えちゃったけど!」

「チェティリだよ。アタシの十倍は生きてる────大悪魔って奴」

「は……はあ!? 悪魔って、あの悪魔……!?」

「ちょっと落ち着け。まずは深呼吸して……そう、それでいい」


 ひとまず冷静になれたユディットは包丁を置いて、胸の気持ち悪さに薄っすらと顔色を悪くしながら尋ねた。


「悪魔を従えてるなんて噂もあったけど、本当だったの?」

「あの噂は偶然。チェティリが自分から顔を見せたのはお前が初めてだよ」

「そうなんだ……。じゃあ、大悪魔って?」

「悪魔の中でも、とんでもなく偉いっていうか強いっていうか、そんな感じ」


 どうやって説明したものかな、と少し悩んでから。


「チェティリはアタシと永久の契約を交わしてる大悪魔で、まあ、少なくともアタシたちの味方だ。そのルビーの指輪の中に空間を作って暮らしてる」


 元々はヴァルトシュタイン家の騒動で、必ずユディットが父親に襲われるだろうと先駆けて持たせておいた護身用の指輪だ。


 結局、裏切り者といえども我が子を襲わなかったのは、捨てきれなかった父親としての部分がそうさせたのか。あるいはユディットの言葉が心を動かしたのか。いずれにしても指輪は使わず終いだった。


「あの、じゃあ他にも悪魔っているのかい?」


「少なくともアタシはチェティリを含めて三人と契約してる。本当にヤバいってなった時の保険みたいなもんだ。連中に頼らないのが一番だよ」


 イーリスは、契約する三人の悪魔をよく思っていない。彼らは全員が人間の命をなんとも感じていないからだ。必要ならば平気で殺す冷酷な存在。それを自身の寿命を永久に与え続けることで、むやみに殺さない契約を交わしている。


 定期的に血を与えていることはユディットには秘密にした。


「他に何か聞いておきたいことはないか?」

「う~ん……。イーリスが害はないと言うのであれば、私からは何も」


 聞いた話の通りであれば、悪魔はそもそも人間と価値観が異なっている。イーリスはいわば、その抑止力だ。無限にある自身の寿命を使って、彼らに悪さをさせないよう首輪をつけている。チェティリの反応からしても不満には感じていないので、さほど気にする必要もないと思えた。


「あは、じゃあワシも一緒にごはん食べて良いかなぁ」

「心臓に悪いので、いきなり出てこないでくださいませんか」

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