第4話
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皇都から離れた、遠い北の森。誰も訪れない寂れた場所に家がある。
年季を感じる古ぼけた家は管理も行き届いていないのに小綺麗で、見た目にも人が暮らしていそうな雰囲気さえ感じる外観だ。
「ずいぶん使っていないだろうに、綺麗なまま残ってるものだね」
「ここらはアタシの魔法が掛かってる。劣化を防ぐだけの魔法だけどな」
北の森は雪深い。凍える風が肌に触れると、ほんのり痛く思える。
だが、小屋の周りだけは雪がない。温度も一定で、まるで暖かな春が訪れた頃から時が止まっているかと思う光景だった。
「この周りは動物以外のモンがそのままの状態で保存されてる。アタシがいつでも帰ってきて、ゆっくりできるようにさ」
「……此処がイーリスの師匠の家、か。君が過ごした時間も長いの?」
やんわりと首を横に振り、イーリスは残念そうに肩を竦めた。
「アタシが師匠と過ごしたのなんて十数年だけさ。早死にしちまったから」
「そっか……ごめん、辛いことを」
「いやいや。どうせ話すつもりだったんだ。こっち来てくれるか」
家の裏に回ると、小さな石碑が立っている。名前が三つ刻まれていた。
ユディットが思わず口を手で押さえてしまった。
「これは……姓が同じだけど、年齢が……」
連れてこられた意味が分からないほどユディットは馬鹿ではない。
石碑にはイーリスの師匠の名に加えて、その血筋と思しき子供ふたりの名前まで刻まれてある。どちらも、生まれて間もなく亡くなっていた。
「残念ながら、師匠の子供はこの世に命を持って生まれてくることはなかった。挙句に師匠は身体がついていかなくて、回復しきれずに追うみたいに死んじまった。魔女だからこその弊害っつうのかな。不老不死の呪いを解くと今まで肉体を守ってきた魔力も消える。元々強くない身体だったから、仕方ないことだ」
我が子を魔女にはしたくないという想いに応えたイーリスには、師匠と子供の死は百年の中で今も最も大きな苦痛であり、トラウマだ。
「なんでかなァ。生きてりゃ死ぬのは分かるんだけどさ。何も最初から死なせるこたねーだろ、神様も。……そんで、アタシにはそれを救う魔法がない。多分、これから先も創れない。命だけは複雑すぎて、どの魔女も扱えないから」
かける言葉も見つからない。どれほどの失意に襲われただろうか。ユディットはただ隣に立って、同じように悲しむことだけしかできなかった。
「神様ってのは残酷でよォ。何もかもに平等だから、右を見れば悪人が陽の下で幸せに笑って、左を見れば善人が泥水飲んで涙を流してる。────だからさ」
イーリスは石碑の前に屈んで、片手に持っていた酒のボトルを逆さに持つ。
「アタシは初めて魔法で人を殺すよ、ユディット」
魔法は神秘ではない。魔法は美しいものではない。人々を魅せるものだ。魅力的に、魅惑的に。その心に宿るのが芸術か恐怖かは人それぞれ。
しかし、それを明確にする手段を魔女は持てる。そうしなかっただけ。どれほどの争いがあったとしても、決して魔女は血を流すことはなかった。戦争が人を殺しても。飢饉が人を地の底へ招いても。魔女は善意も悪意もなく生きてきた。
だって意味がないから。どれだけの人間を救おうとも、希望は膨れあがると欲望に変わる。どれだけの人間を見捨てようとも、魔女の奇跡に依存する。彼らの身勝手な感情に振り回されないためには、何もしないことを選ぶべきだ。
ただ、魔女の威光を利用しようとする人間には釘を刺す。魔女とて人間である、と。脅すだけで、決して人を傷つけたことはない。
しかしそれは、たったひとり、イーリスを除いての話。
「殺す……魔女が、イーリスが?」
「そうだ。もしかしたらそうなるかもって話だけどな」
他の魔女とは違う。イーリスは守りたいものを守れればそれでよかった。
「アタシの世界にはアタシの色がある。それを汚すってんなら躊躇なんかしてられないだろ。……ただ黙って見過ごすには、大切なものが増えすぎた」
自身の境遇の中に沈みながらも自分を失わなかった騎士がいる。
願いをひた隠しにするのをやめて、自分のために生きた男がいる。
過去を顧みずに生き、年老いてようやく生きる意味に気付いた老人がいる。
孤独の中で戦い、どれだけ悲しい現実とも向き合って前に進んだ少女がいる。
愛する人と共にあることを幸福と言って、地位を捨てた令嬢がいる。
「何十年も忘れていた気持ちが、今度は失敗したくないって叫んでるんだ。今度は奪わせやしないよ。そりゃあ、国に住んでる人間を全員救うなんて、神様じゃあるまいしできっこないけどさ。この手の届く範囲くらいは身勝手に助けてもいいだろ。魔女である前に、アタシはひとりの人間なんだから」
大事なものを取りこぼさないように。魔女が人々のための魔女である理由はない。何もかもを奪おうとする者に制裁を。たとえ神の代弁者のようだと詰られても構わない。やるべきことは、たったひとつだ。
「一緒に墓参りにきてくれてありがとう、ユディット」
「いや、私はただ付いて来ただけで……。ごめん、その重さに掛ける言葉が私にはない。なんと言ったらいいのか分からない。けど、傍にはいるよ」
悲しそうに眉尻を下げた。イーリスの重い過去と強い覚悟に応えられるほどの聖人であれば良かったのに、何を聞いても、その胸に突き刺さったままの痛みを取り払う方法が分からなくて、今にも泣きそうだった。
「なんて顔してんだか。別に、そんな顔してほしくて話したわけじゃない」
「わかってるよ、でも……」
積み上げてきた失意の数が違いすぎる。自分の身に起きていたことなどちっぽけで、ユディットは何を今まで考えて生きてきたのかと馬鹿馬鹿しくなった。
自分に手を差し伸べてくれた人間の背中に突き刺さった杭が見えていなかった。ただ隣に立っているだけで幸福だと言っていた自分が小さく見えた。
「私は君の役に立ちたいよ、イーリス。守られるばかりじゃない、こうして不老不死の体を得たのなら、最後まで君と共に在りたい。助けられたのなら、今度は私にも助けさせてくれないか?」
握った拳が震える。助けられてばかりは嫌だから。
せっかく、せっかく愛する人を見つけたのだから。
「へへっ、頼もしい相棒なこった。……じゃあ、ま、ひとつ頼もうか」
「ああ! 私にできることなら何でも言ってくれ!」
きりっとして言うのが可笑しくて、イーリスは思わず口を押えて顔を背ける。
「とりあえず小屋の中で、メシにしようぜ。腹減っちまった」
「……え、うん。そういえばそうだね」
ぐう、とユディットのお腹がなって、そっと両手で押えた。
「お恥ずかしい」
「いいじゃねえか、幸せそうで」
空になった酒のボトルを片手に、ユディットの肩をこつんと叩く。
「腹が減ってもメシに困らないってのはいいぜ、ユディット。そいつを恥じるこたねぇよ。気楽にやろうぜ、気楽に。大体三日間くらい」
「三日間、ここで過ごすのかい?」
尋ねられたイーリスが足を止めて、小さく振り返る。
「魔法を改良する時間が要る。……本当はやりたくないけど、やる必要がある。アタシ自身が解決すべき問題だ、お前には頼れないこともあってね」
「そう……わかった。その間に私がしてやれることはないかな」
できることは少なくとも構わない。イーリスの役に立ちたい。そんな思いで欠けた言葉に、特大の呆れたため息が返された。
「メシ。アタシ作れないから」
「あっ。……ごめん、忘れてた。すぐ作るよ」




