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イーリス・ブレンヒルトの自由で至福な最高の生き方  作者: 智慧砂猫
第三章 イーリス・ブレンヒルトと狂信の皇国

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第3話

 狂信的になった皇帝は、多くの人々を貶めるだろう。そのときが来なくても分かる話だ。世の中の大半は魔女を支持していても、ひとたび弾圧が始まれば、その意見を変えざるを得ないのだから。


 イーリスは魔女の威信にかけて、その現状を覆すつもりでいる。


「何か策があるのでしたら我々もお手伝いいたしますよ、レディ。私としては、命を懸けても魔女を擁護するだけの理由があります」


 魔女は夢を見せてくれた存在だ。ずっと虚ろで濁った世界観に彩りを与え、踏み出せなかった一歩を踏み出せた。現実に囚われ夢をみるのをやめた男の人生が、再び動く理由になった。命を懸けるには十分だった。


「そいつは遠慮しとくよ。これから皇国は随分と荒れる。お前らも下手に関われば無事で済まなくなる。アタシみたいに不死身なら別だけど」


 自分のせいで誰かが死ぬのはイーリスが最も嫌なことだ。協力は気持ちだけでいい。仄かに微笑んだ寂しそうな表情が、皆の口を閉ざす。


「おいおい、何暗い顔してんだよ。こちとら不老不死の魔女だぜ」


「でも囚われれば話は違うわ、イーリス。女神信仰の象徴にされるのよ。目や口を縫われて、首だけ祭壇に置かれて永遠を生きたいの?」


 よくもまあそこまで残酷なことを考えるな、とイーリスが苦笑いする。


 しかし、あながち間違ってもいない。女神信仰による弾圧が行われれば、世の中は狂ってしまう。魔女の首が掲げられ、人々の心が捻じ曲げられかねない。


 あるべき平和を失い、互いに見張りあう社会になることだけは避けるべきだ。そのためにイーリスは自分にできることを、最後までやるつもりでいる。


「アタシを馬鹿だと思ってるなら、あと二十年はよく観察してな。お前の想像よりもずっと、魔女が長生きできた理由が分かるだろうよ」


 ステーキを口に放り込む。あまり味がしない。

 調理に問題があるわけではなく、精神的な問題だ。


「(イーリス、本当は不安なんだね。私には分かるよ……)」


 しばらく旅を共にしてきたユディットは、イーリスが決して自信家でないと知っている。自分の中にある不安を握りつぶしながら前に進み続けてきたのだ。


 明日はどうなるか分からない。だからこそ今日を楽しむと言って。


 息がしづらい日もあったはずだ。泣きたい夜もあったはずだ。死にたい朝すらあったであろう、魔女の気高さを隣で見てきたから、その不安が理解できた。不老不死の与える孤独と痛みは、普通の人間には計り知れない。


「……なんか腹いっぱいだな。帰るか、ユディット」

「ええ、行きましょう」


 席を立つ二人に、ハイデマリーが小さく手を挙げた。


「わたくしが支払っておくわ。せめてそれくらいはさせて」


 手を貸せないのなら。そんな気遣いにイーリスはわざと甘えた。


「さんきゅ、じゃあ頼んだ」


 レストランを出て部屋に戻る。その途中でユディットが尋ねた。


「君の昔の話ってあまり聞かないけど、百年の間に色々起きたのは分かるよ。団長たちを頼れなくても、私は頼ってくれるんだよね、イーリス?」


「当たり前のこと聞くんじゃないっての。……本当に頼りにしてるよ」


 過去は過去。それでも忘れられない光景は、いつまでも纏わりつくものだ。

 たった数十年前に起きたことが、脳裏には鮮明に焼き付いている。


「昔、求婚されたことがあるんだ。魔女でも子供を産めば不老不死の呪いから解放される。だから何も問題はないなんて言ってさ」


 相手は貴族でも、些細な地位を持って静かに生きる男だった。


 感情を滅多に出さず、冷静沈着で、生きていれば大貴族になったであろう聡明な人間。そんな男が唯一情熱的になって冷静さを欠いたのがイーリスだ。


 美しかったからではない。魔女だったからでもない。ただ、その人柄に惚れた。付き合ってほしい。結婚してほしい。そんな言葉をイーリスも信じた。少しくらいなら付き合ってみてもいい、結婚するかどうかはそれから。


────だが、その半年後に男は殺された。頭角を現した者の末路としてはよくある話で、他の貴族に疎まれてのことだった。そして最初に遺体を見つけたのは、奇しくもイーリスであった。


「良い男だったよ。誠実で優しくて、お前みたいな奴でさ」

「……どこで殺されていたんだ?」

「そいつの家の執務室。綺麗な花が売ってたもんで、贈ろうと思って」


 部屋を訪れたとき、机に突っ伏しているので疲れて眠っているのだろうと思い、メイドを呼んで花瓶を用意してもらい、驚かせようと声を掛けた。


 だが、揺すっても起きず、ぐらりと倒れた男は首を掻き切られていた。

 何者かが侵入した痕跡があったが、結局犯人は捕まらなかった。


「探さなかったの?」

「犯人は捕まらなかった(・・・・・・・)。それだけだよ」


 部屋に戻り、イーリスは当然のようにそう言ってベッドに寝転がった。

 ユディットが、少し考えて、その言葉の意味を理解する。


「まさか、マクシミリアン……!?」

「おう。あいつの仕事だ、間違いない」


 追いかけて首が百八十度回ったことは言わなかった。

 次に会えば、想像しているよりも大変なことになりそうな気がしたから。


「アタシの魔法も完璧じゃない。追いかけたが、捕まえるには至らなかった。それで話はおしまいってわけさ」


「そんな……じゃあサンドピットでは、恋人の仇と共闘したの?」


 信じられなかった。リンを守るためとはいえ、憎いはずの相手と笑い合うなど内心穏やかではなかったはずだ、と。


 イーリスはおもむろに目を閉じて、深く息を吸い込んでから。


「実のところ、会ってみても、これといって嫌な感情は湧かなかった。最初は気付かなかったってのもあるが……あれはあれで複雑な奴だったしな」


 どれほどの事情があるにせよ、マクシミリアンの行いは許されたものではない。リンがいるから野放しにしてあるだけに過ぎない。


 とはいえ、個人的な感情と言えば嫌いではない。そうならざるを得なかった過去を生きた人間だ。誰にも救ってもらえず、救いを求めることもできずにいた。そんな人間をイーリスが嫌いになれるわけがなかった。


「なあ、ユディット。世の中の常識ってのは怨みを抱えることなのかもしれないが、少なくともアタシは何も思わなかった。貴族なんだ、誰かに疎まれて殺されることもあろうよ。マクシミリアンは生きるためで、その裏にいた人間の方がアタシはよっぽど憎いんだ。そいつが誰かなんて、今じゃあ興味もねぇけど」


 他人を操り、自らの利益を追い求める。他の誰かの命を軽視して、悪辣な手段を好んで取る人間がいる。人殺しになることでしか自分を救えなかった男に怨むべきことは何もなかった。


「しかし、彼は悪人だけを狙った殺し屋だったのでは……」


「そうだったと思うよ。偽の情報でも掴まされてたんだと思うぜ。本人の口ぶりからして、嘘をついているつもりはなさそうだった」


 むくっと起き上がって、自分の傍をポンポン叩く。


「いつまで扉の前に突っ立ってんだよ、座れって。気ぃ遣うからさ」

「あっ、ごめん。……君があまりに報われないことが、もどかしいよ」

「報われたくて話したんじゃねぇよ。ただ、あれだ。なんていうか」


 うーん、と顎を擦りながら、イーリスは言った。


「アドラーもそういう人間だ。他人を平気で操って自分は責任を負わない。立場が、それを許してる。これから大勢の人間が殺されるんじゃねえかな」


「魔女狩り……だね。私たちはどうするの、流石に今回は────」


 大勢を救うなど無理な話。国家を敵に回すのは、あまりに難しい。たった数百人と戦うのではない。数千人、あるいは数万人という人間と戦うことになるのだ。魔女という、たったひとりの人間が。


「アタシはそれでも、アドラーを放置はできない」

「だよね。君ならそう言うと思ってた」


 言葉を遮ったイーリスに、ユディットがくすくす笑う。


「じゃあ、今後の計画を立てないと。君が国を救う大胆な計画をね」

「任せとけ。……あぁ、その前に、でも、お前に頼みがあるんだ」

「うん? 何でも言ってよ、私を頼ってくれるなら嬉しいから」


 きっと大きな任務を与えてもらえるのだと覚悟を決める。国を救おうという魔女に並ぶのであれば、それくらいは絶対に必要だ。


 しかし本人には、そんなつもりは一切なく────。


「アタシと一緒に墓参りに行ってもらえないかな?」

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