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イーリス・ブレンヒルトの自由で至福な最高の生き方  作者: 智慧砂猫
第二章 イーリス・ブレンヒルトと炭鉱の町の黒山羊

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エピローグ②

 向かった先はワグナー子爵邸。邸宅というには幾らか小さくおんぼろで、とても領主の暮らす家とは思えない場所。そこさえも燃えているのに、マクシミリアンは躊躇なく家の中に入っていく。


 あちこちで火が上がっていても、まださほど時間は経っておらず、崩れるほどでない。玄関に入れば、ホールで気絶したリンの傍でアレンが屈んで、少女の頬にやさしく触れて撫でているのが目に入った。


「気に掛けているわりには、こんな危険な場所によく連れてきたものだ」


 マクシミリアンに振り向きもせず、アレンは言葉を返す。


「別に死なせるつもりはない。ただ、お前と話がしたかった」

「完全に主導権を奪われたのが気に入らないようだね」

「……此処は母から受け継いだ土地だ。なのに、お前が奪った」


 何も悪くしようとして運営してきたわけではない。ただ、アレンには才能がなかった。人の上に立つには甘やかしすぎる癖があった。人の言葉を簡単に信じる癖があった。だから、黒山羊商会との契約にも乗ったのだ。


 主導権を明け渡したのは自分には運営が難しいと判断したから。失敗続きで、自分には人々を纏めるには才能がない。ならば纏められる人間を招き入れて、働いてもらえばいい。なにも、領地そのものを明け渡したつもりはなかった。


「お前を信じた私が馬鹿だった。おかげで、私にはもう何も残っていない」

「まあ、その通りだな。だが、それが私と何の関係があるのかね?」

「お前が私を裏切ったんだろうが! そのせいで、こんなことに……!」


 悲痛な訴えを叫び、アレンは詰め寄って胸倉を掴む。

 浅はか、とマクシミリアンが冷めた視線で見下ろす。


「元々は貴様が始めたことではないか、アレン・ワグナー。従者の助言には聞く耳を持たず、愚かな領民風情に恵んだのは誰だ。そも、貴様は炭鉱で何が起きていたかすらも想像していなかった。エルフたちが直談判に来ていたのに、屋敷の中に引きこもって我々に問題を押し付けたのはどこの誰だ?」


 胸倉を掴む腕を強く握りしめる。痛みでアレンが手を離すと、軽く突き飛ばして尻もちをつかせた。隙を晒した姿は、今すぐにでも蹴り飛ばしてやりたい気持ちになったが、理性を保ち、感情を抑えて襟を正す。


「何が受け継いだ領地なのかね。管理もろくにできず、炭鉱の開発も止められなかった。挙句、大量虐殺を行っていても、貴様は何も知らなかった。今のサンドピットに留めたのは我々もだ。魔女だけに出来たことではない」


「だが……それでも……何も、私から奪わなくても良かったじゃないか!」


 必死に縋る姿が醜悪に映った。床に這いつくばり、涙を流しながら足にしがみつくアレンは、マクシミリアンからすれば枝を必死に登る芋虫のようだ。


 よくもここまでの愚者に成り下がれるものだと感心さえする。


「奪った……奪ったか。なにも我々が手を下さずとも、炭鉱開発事業にエーバーハルト公爵家が関わっていた以上、いずれはこうなっていた。遅いか、早いかの違いだよ。それで母親が残した領地を、故郷を灰にせんと火を放った首謀者は貴様ではないか。自らのことは棚上げか、若造?」


 とうとう我慢しきれずに蹴とばして退け、まっすぐリンの傍へ。


 息はしている。怪我も見当たらない。部下が目の前で斬られたのを見て、ショックで気を失っただけなのかもしれない。少女の小さな体を抱きかかえた。


「見逃してやろう、アレン。私の仲間を斬ったことを水に流すのは癪だが、こんな場所に居続けてはリンの命が危ない。貴様には心底がっかりだ」


 そういって背中を向け、倒壊を始める建物を出ようとする。


 もはやアレンなど興味もない。同情心も湧かない。目の前から消え去ってくれた方がマシだ。二度と出会わなければそれでいい。そうすれば、少なくともメアリーの意思を尊重できる。彼が領地を与えられた意味を守れると。


 だが、もう、問題はその次元になかった。たとえ出来の悪い息子であっても、うまくやっていけたらと願ったメアリーの想いはどこにもない。死者を尊重するにも限度がある。それが刃を向けられたのであれば、なおさらに。


「うわああああああ────っ! お前も道連れだ、マクシ────」


 振り下ろすよりもずっと速く。マクミアリンは片腕に少女を抱え、ベストの中に隠していた小さなナイフで剣を弾き落す。返しに、首を掻き切った。


「か、あ……ひゅ……っ……!」


 息ができない。血が溢れる。恨めしさと悲しさに涙を流して、領主だった男は床に倒れた。マクシミリアンはその場にナイフを捨てて、また歩き出す。


「昔は名の知れた暗殺者でね。生憎と腕は衰えていなかったようだ」


 ワグナー子爵家の崩壊は免れない未来だった。音を立てて崩れる建物と共に、その名さえも燃え尽きていく。一度だけ振り返ったマクシミリアンが、寂しそうに目を細めて、静かに見つめた。


 もしまだメアリーが生きていれば、違った未来があったかもしれない。そんなふうに考えて、やんわりと首を横に振った。


「(過ぎ去ったことなど、考えても意味がない。今は……)」


 腕に抱えた少女の穏やかな表情を見て、思わず笑みがこぼれた。


「……ん、うっ……あれ、マクシミリアン?」

「目が覚めたかね?」


 うすぼんやりとする視界に目をこすり、周囲を確認する。燃え盛る町よりも、目に飛び込んできたのはワグナー子爵邸が焼け落ちていく光景だった。


「……マクシミリアン、ボクと一緒にいた商会の人は?」

「残念だが、もうすでに亡くなっている。君のことを私に伝えてね」

「そっか……。ごめん、ボクなんかのために」


 リンと一緒にいた男は、突然襲い掛かってきたアレンから咄嗟にリンを助けようと突き飛ばして斬られた。意識を失う瞬間に『大丈夫、ボスが来るからな』と弱々しい声がしたのだけは覚えていた。


 自分のせいで死んでしまったのだ、と強い後悔の念に駆られる。


「謝る必要はないさ。君のせいで死んだわけじゃない。牙を剥いた者がいれば、それが悪人なのだ。その悪人も、とうにこの世にはいないが」


「マクシミリアンが殺したの?」


 問われると、フフッと可笑しがった。


「ああ。君は返ってくる答えが分かっていただろう」

「うん、かもね。でも、あなたの口から聞きたかった。後悔してる?」

「していないと言ったら」

「そうだよね、って答えるよ」


 にひひ、と悪戯っぽく笑って、リンは抱える腕から飛び降りた。


「助けてくれてありがとう。はやくいこ、皆が待ってる」

「……泣かないのだな。この町が駄目になる意味が分かっているはずだ」


 エルフであれば森で暮らすのは難しいことではない。しかし、それは大人たちがいたらの話だ。リンはまだ子供で、狩りすらできない。むしろ動物たちと信頼を築いてしまっている。


 食生活が極めて人間と変わりない以上、ひとりで森で暮らすのは現実的ではない。仮に森の環境を意地できたとしても限界は来る。大人たちが残していったものはいずれ無くなっていく。それまでにサンドピットの復興が間に合うかと言われれば、マクシミリアンの見立てでは『不可能』と言うほかない状況だ。


 つまり、リンは森を離れなくてはいけない。分かっているはずなのに。


「泣いても失ったものは戻ってこない。だったら前に進まないと……。ねえ、マクシミリアン。ボクからひとつお願いをしてもいい?」


 小さな手が、しわだらけの分厚い手を握って繋ぐ。

 燃え盛る町を歩き、大通りを進んで町の外を目指しながら。


「ボクも連れて行ってよ。未練がないって言えば嘘になるけど、皆と一緒だったら此処を離れてもいい。だから……駄目、かな?」


 小さな手が震えている。本当は辛い。それでも前に進もうとしたのだ。何もかもを失ったとしても、まだ手の中に残る小さな希望を捨てずに。


「ああ、いいとも。そうだね、君のことも世間には知られるようになる。それならいっそ私の養子になるといい。私の夢もひとつ叶う」


「……夢? どんな夢?」


 少女の問いに、マクシミリアンは目の前から走ってくる黒山羊商会の馬車を見て、もう歩く必要はなさそうだと安堵しながら、小さく言った。


「────自分の子供を育ててみたかったんだ」

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