エピローグ③
◇◇◇
────黒山羊商会の首領、マクシミリアンが引退。その見出しがデカデカと乗った新聞がテーブルに広げられている。ひとりの女性が、コーヒーを飲みながらぼんやりと記事を眺めた。
「もう三十年か。時が経つのは早いね、マクシミリアン」
垂れた銀色の髪をそっと指で耳に掛け、ふうと息を吐く。窓の外に見えるサンドピットの人々が、今日も楽しそうにのんびりとした時間を過ごしているのを、女性はとても穏やかな表情で眺めた。
「お嬢、三日後に面会の予約がしたいとエーバーハルト公爵が」
「あの爺さんも懲りないね……。ボクがお父さんと同じように話すとでも?」
「でしょうね。ではお断りしておきます」
「もちろん。炭鉱事業については、少なくともボクが生きているうちは駄目だ、取り合うつもりがない。だけど手土産くらいは持たせてあげて」
サンドピットの大火災の後、完全に復興するまでは二十年が掛かった。煤と煙に満ちた町は炭鉱の閉鎖によって三十年の間にがらりと姿を変え、以前のように美しい緑のある町となった。まさに、メアリーが統治していた時代と変わらない光景。完璧とまではいかないが、大部分がそうなっている。
黒山羊商会の首領として支持の厚かったマクシミリアンは町の復興に最も尽力した者として石碑に名を残し、復興が終わると同時に全てを見届けて逝った。
その後、世間では愛娘が後継者となったと言われているが、実際にはいくらかズレている。まず、継いだのは養女だ。それも、殆ど年老いることのない。
「お嬢、こちらも受け取ってください。魔女様からのお手紙です」
「わあ……本当に? 久しぶりだね、会いには来ないくせに?」
やれやれと呆れた笑みで手紙を受け取り、部下が部屋を出ていくと封を開ける。何枚かの便せんに分かれていて、ゆっくりと目を通す。
『リン、元気か? マクシミリアンの葬式に出られなくて悪かった。アタシたちは今、遠い大陸でのんびり過ごしてる。この手紙が届く頃には、今の町を出てると思う。後十年もすれば帰ると思うから、それまで待っていてくれ』
そんな始まりを見て、手紙をくしゃっと握りつぶす。
「いやー、本当に、なんだろ。この約束すら十年後なのか怪しいじゃん。絶対来ないじゃん。前もそんなこと言って五年後にまた来るとか言って七年越しだったじゃん。……会いたいよ、イーリス。ユディット。ずっと待ってるのに」
机にごつんと頭をぶつけてため息を吐く。
二百歳を超えても、まだまだ子供────だったはずのリンは、途端に身体的な成長が始まった。今ではまるで二十代半ばの立派なレディだ。黒山羊商会の正統な後継者となった理由でもある。
エルフの身体はある一定のラインを超えると成長が始まり、数百年と今の姿を維持し続ける。しかし、そのペースは個々によって違う。長く子供の姿が変わらない者もいれば、あっという間に成長して、どこかでぴたりと止まる者も多い。
これからどうなるのだろうという不安はありつつも、リンはこれまで以上に黒山羊商会を支える存在になったのだ。
そして、もうひとつ。大きな変化があった。
「リンさん、こんにちは。今、お時間よろしいですか?」
扉を開けて部屋に顔を出したのは、二十代ほどの若い男だ。爽やかな顔立ちの好青年といった具合で、リンは彼を見てぱあっと顔を明るくする。
「グウィン! こんにちは、今日はどうしたの?」
「いえ、顔が見たくなって寄ったんですが、皆さんから押されてしまって」
「……ふふっ、ごめんね。ボクの仲間が迷惑を掛けちゃったみたいで」
「気にしないでください。俺もリンさんに会いたかったから」
リンは顔を真っ赤にして、恥ずかしいのを悟られないように愛想を振りまく。
「いやー、もう全然嬉しいこと言ってくれるね! アハハ、いいよ! ボクだって君に会うのちょっと楽しみにしてたし!? こ、紅茶淹れようか!」
リンには春が来ていた。グウィンは二十年前、リンの勧めでマクシミリアンが出資した先の孤児院で育った。その恩返しがしたいと数年前から黒山羊商会の近くでパン屋の手伝いをしており、度々、届けにくる口実でリンに会いに来た。
おかげで、周囲は『あの二人がいつかくっついてくれれば』と考えているのだが、リンは嬉しいと同時に、絶対に付き合えないという悲しさを背負っていた。
「(こんなに可愛い子がボクを好きになってくれるなんて嬉しいよねぇ。エルフじゃなかったら、すぐにでも結婚してたのかな……ハハ、残念)」
生まれ変わったサンドピットを見届け、マクシミリアンという新しい父親のおかげで、塞ぎ込むような悲しい日も乗り越えて。今度は自分の幸せを掴めそうだとしても、相手が人間では生きられる時間が違いすぎる。
エルフは外見主義ではない。相手の年齢などに興味もない。だが、共に生きられない、限られた時間を過ごすのは胸が痛む。父親が自分の目の前からいなくなってしまったように、彼もまたいなくなるのだと思うだけで。
「あっ、あの。それでリンさん。今度の日曜日、ひ、暇だったりしませんか。良かったら皇都に観光に行けないかと思ったんですが……」
「うん。いいよ、ボクで良ければ」
観光くらいならいいか、と手帳を開いてスケジュールを確認する。明らかに予定が入っているのだが、何もなかったかのようにペンで線を引く。
その後始末は黒山羊商会をマクシミリアンの時代から支えてくれていた者たちがやるのだが、そんなことはリンには関係ない。上手くやってくれるうちは頼ればいいと考えて、にこやかに手帳を閉じた。
「ねえ、グウィン。君はどうしてボクと仲良くしてくれるんだい?」
ほかに同世代の女性はいくらでもいる。グウィンは顔立ちも良く、周囲からもよくモテる。性格も申し分ない。穏やかで気配りができて、笑顔も可愛い。欠点があるとしたら、その優しすぎる性格で周囲を虜にしてしまうことだけだ。
なのに。誰を選ぶでもなく、リンを選んだ。彼女にはそれが分からない。
「ボクはエルフだ、君とは違う時間を生きてる。……見たまえよ、君が二十年前にボクと会ったときと外見が何も変わらない。君はそれだけ老いたのに」
寂し気に笑う。自分だけが取り残されていくのは辛い。だから出来るだけ、誰と関わるときも線を引く。なのにグウィンはいつも距離が近かった。
だから惚れたというのもあり、理由がどうしても気になった。
「それって駄目なことなんですか。魔女様も歳を取らないじゃありませんか。俺はありのままのリンさんが見られれば、それで嬉しいです」
純粋に、特に深くも考えていなさそうなのんびりした笑顔が、当たり前のようにそう言った。これにはリンも負けてしまったと手で顔を覆う。
「ごめん、ボクが馬鹿だった……眩しすぎるよ」
「はい?」
「なんでもない。ところで、デートはどこへ行く予定なのかな」
あまりの恥ずかしさに話を逸らす。頬を赤くして軽く咳払いする。
「あっ、それはですねぇ。実は日曜日にメアリーウッドで暮らしてるエルフの方々に、パンを届ける予定があるんです。せっかくですから、ピクニックでもどうかなって思ったんです。腕によりをかけて色々作ろうかなと!」
三十年の間に姿を取り戻したのはサンドピットだけではない。メアリーウッドには、人間との共存と安寧の暮らしを求めてやってきた新たなエルフたちが、少数ではあるが暮らしている。リンは、その橋渡し役となった。
「そっか……。うん、そうだね」
ずっと求めていた世界が、いつの間にか片隅で実現されていたことに気付いて嬉しくなり、思わず笑顔が溢れる。
「よし、じゃあ日曜日にはメアリーウッドに行こう。そうだ、実はメアリーウッドにはボクの別荘があってね。……よ、良かったら、二人きりで行こう?」
最初は戸惑いばかりだった。たったひとり森に残された時間の寂しさは、今も覚えている。だが、代わりに大きな出会いがあった。魔女を通じて人間の心の冷たさと温かさのどちらをも知り、そして愛する道を選んだ。
これからも、ずっと変わりませんように。そんな想いを胸にリンは、また魔女に会える日を心待ちにしながら、ひとときの熱を帯びた恋をする────。




