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イーリス・ブレンヒルトの自由で至福な最高の生き方  作者: 智慧砂猫
第二章 イーリス・ブレンヒルトと炭鉱の町の黒山羊

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第21話

 心機一転、リンを連れてメアリーウッドへ戻り、煤と煙の町を満たす濁った空気から解放されると気分は爽快だ。喉を通って体の中に入る空気の心地よさには、思わず目を瞑ってしまう。


 リンの大切な故郷となった場所であれば、なおさら格別な空気に感じた。


「畑のトマトも大きなのが実ってるよ。マクシミリアンたち、喜ぶかな?」

「それは知らんが、アタシは喜ぶ。砂糖をかけて食べると美味いんだよ」

「えっ、なにそれ! 全然知らない、ボクも試してみたい!」


 愛らしさ満点でぴょんぴょん飛び跳ねる。前へ進む覚悟を決めた少女は、ちっとも暗い顔をしない。イーリスはなんだか嬉しくなって、リンの頭を撫でた。


「うわーっ! 何するの、髪がくしゃくしゃだよ!?」

「良いじゃねえか。ところで、連中はいつ来るんだ?」


 イーリスの腹の虫がぐう、と鳴った。

 出来ていたツヤツヤのトマトをじっと眺めながら。


「先に食べちまわねぇ?」

「駄目ですよ、イーリス。待つことは覚えなくては」

「ちぇーっ。お前はそういうとこ融通利かねえよな」

「融通ではなく常識の問題です。あっ、ほら。言ってるうちに来ましたよ」


 がらごろと数台の荷馬車が重そうにやってくる。積まれているのは新鮮な野菜や肉類。長期間保存できる調味料など、必要以上の量だった。


「なんでえ、こんなに持ってきてどうすんだ?」


 首を傾げるイーリスに、馬車から降りてきたマクシミリアンが襟を正しながら、下らない質問だと呆れた目つきを向けた。


「ここで暮らそうという者を保護するために、必要な物資をついでに持ってきたのだが。我々がただ眺めているだけで保護だと言っても構わないのなら、回収させてもらってもいい。その方が経費が掛からないのでね」


「お前……なかなか可愛いところあるじゃないか」


 この男と肩を組めるほどの人間がいれば、まさか凄腕の暗殺者とは思うまいとイーリスがけらけら笑う。それをマクシミリアンは不服そうに睨む。


「まったく気に入らん小娘だ」

「お前より長生きしてるっつうの。ババアだよ、見た目より」

「精神年齢は外見に引っ張られるものだろう」


 誰がイーリスを見て老婆だと思うだろうか。会話の端々から知性は感じられても、それが年寄りの言葉には誰も感じない。言葉遣いも荒くて若い。


 着ている服も老婆が好むとは到底考えられないのに、見た目より年寄りだと言われても信じる人間などいるものかと鼻で笑う。


「すみません。ところで、何を作られるつもりなのです?」

「ウム。シンプルにバーベキューでもどうかと思ったのだが」

「まさか石炭を持ってきたのでは……」

「ハハハ、きちんと木炭を用意させてもらったとも」


 配慮はできていると自信たっぷりに返され、ユディットが胸をなでおろす。


「あなたが無神経な人でなくて助かりました」

「君の方はなかなかに神経を逆撫でするのが上手いな、気に入ったよ」


 そう言いながらも楽し気に笑いあう。出会いこそ険悪だったものの、今は仲間のように肩を組み、酒を飲んで、料理を楽しむ仲になった。


 宴も進み、飲んだくれたちが地面に寝転がる。一方、酒を飲まなかったユディットとリンは一緒に駆けまわって食後の運動だと遊ぶ。


「良い光景だよな。世の中がずっとこれくらい平和なら良いんだけど」


「まあ、現実はそうも上手くいかんよ。大陸北部の領地では、随分と戦争の準備が盛んだそうじゃないか。下らん土地の奪い合いにお盛んなことだ」


 どこもかしこも権力闘争で忙しい状況だ。領地を隣り合わせにする貴族たちが、鉱山の所有権を巡って争っている話はイーリスも耳に入っている。


 今、目の前にある光景が平和のままとも限らない。ある日に仕事へ出たきり帰らない者もいるかもしれない。そんなふうに思うのは、少し寂しかった。


「アタシはさ。お前が言ったように明確な死生観ってものがない。だから考え方も、普通の人間とはどこか違う。他人の死の重みは知っていても、その人生が辿ってきた道の大きな意味なんて想像がつかない。ただ胸が痛くなるだけだ」


 誰かが死んだ。悲しかった。それだけ。イーリスは、いずれ自分に死がくるとは考えない。永遠を生きているし、これからも生き続けるからだ。あらゆる生物が滅び、全てが灰になる、そのときまで。


「だけど、それは悪いことばかりじゃねえんだ。色んな出会いがあって、色んな別れがあって。アタシはあらゆる歴史を辿り、今を生きる。全ての目撃者になれるってのは、他にない経験だと思わないか?」


 見事なまでの観測者精神。マクシミリアンは、もはや魔女の精神が人間の領域から逸脱しつつあることを見抜くと、ふう、と困り顔で葉巻を吸った。


「その経験が、君の見つけた最高の生き方なのだな。やれやれ、困ったものだ。世の中がどれほどの進化を遂げるか、想像をしたことはあるかね」


「さあ……。お前は想像つくのかよ?」


 どうせ自分と同じだと高をくくっていたイーリスに、マクシミリアンはふーっと空に向かって煙を吐き出す。


「人間の想像するものは必ず生まれる。切っ掛けがなんであれ、どれだけの時間が費やされるのであれ、必ず。遠くまでより早く移動できる列車が造られたように、いつかは此処にいない誰かと話をすることもできるかもしれない。魔法の技術に頼らずとも世界が発展し、おおよそ全てのものが便利になる時代が来るとも」


 少しでも、こんなものがあればと思えば、他の誰かも同じことを考える。人間の脳はどこまで行っても人間だが、その中から天才が現れれば時代は進む。


 ないなら作ればいい。そんな想像が。一言が。世界を変えてきたのだから。


「だったらアタシは良い時代を生きられるんだろう。魔女狩りもない時代に」


 今は神殿が魔女をけん制するが、時代が進めば彼らも寛容になるかもしれない。そんな淡い希望をマクシミリアンがあっさりと一蹴する。


「それはどうだろうな。どれほど時代を遡ろうと神がいて、信仰があるものだよ。君が見る未来があらゆる未知の技術に彩られていても、信仰だけは消えまい。あれは毒にもなるし、救いにもなるのだ」


 葉巻を足下に捨てて踏み潰しながら、くくっ、と笑って。


「つまり、魔女を殺そうとする人間も、どの時代にもいる。君はどこまでいっても異端なのだ。今より激しい魔女狩りの時代が来る可能性さえある。特に穏健派の皇帝が崩御すれば、時代は大きく動くだろう」


「けっ、商人様は先が見据えられてて良いね。羨ましいくらいだ」


 聞いてられないとイーリスが口先を尖らせる。新たな時代の到来の良し悪しなど分からない。だが、示唆された可能性は決して無視のできない。商人である前に、マクシミリアンは七十年という時間を生きてきた男だ。


 いくら自分の方が長く生きているとはいえ、無碍にするのは違う。


「それでもアタシは自分を信じてんのさ。百年先も、百五十年先も至福で最高な生き方って奴を貫いてやるよ。それに────そうじゃなきゃ、悲しい想いをするかもしれねえ奴が、今はいるもんでね」


 共に不老不死を誓った女性がいる。

 これから千年以上を生きねばならないエルフの娘がいる。


「……立派なものだ。ぜひとも私の分まで楽しんでくれたまえ」


 リンのために生きながらえることはマクシミリアンにはできない。せいぜい生きて、あと十年だと本人も自覚があるほど衰えを感じている。


 黒山羊商会も誰かが受け継ぐよりは潰えて消える可能性の方が高い。

 ほんの少しだけ。イーリスを羨ましいと思って自虐的に笑う。


「君が百年先もずっと楽しく生きている姿を見てみたかったものだ」

「へっ、あの世で見てやがれ。そんときゃあ、墓に酒でも供えてやるさ」

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