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イーリス・ブレンヒルトの自由で至福な最高の生き方  作者: 智慧砂猫
第二章 イーリス・ブレンヒルトと炭鉱の町の黒山羊

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第20話

 商会に着くと、いつ帰ってくるのかと待ちわびていたリンを守るように、男たちが並んで立っている。何があっても守るという強い意志が感じられた。


「なんだありゃ。親衛隊か?」

「愉快な奴らだろう。真面目で馬鹿だが根が明るいから退屈しない」


 マクシミリアンの自慢の部下だ。中にはカラムのようなごろつきになった者もいたが、商館で真面目に働く男たちはそれとは真逆。柄は悪いし、裏切り行為には容赦ないが、基本的には誰に対しても友好的な者たちばかりである。


 ボスと呼んでマクシミリアンを慕うのは、彼らが共に汗を流してきた仲間であり、尊敬できるだけの恩を受けているからなのだ。


「イーリス、おかえり!」

「皆と遊べて楽しかったか?」

「うん。想像してたのと違って、優しい人たちばかりだから」

「そりゃよかった」


 伝えるのは心苦しい。あどけない笑顔は子供そのものだ。

 エルフの二百年など人間に換算すれば幼い。背負わせるには、重すぎる。


「伝えたまえ。そのために回収してきたのだろう」

「……わかってるよ」


 屈んでリンと目線を合わせてから、イーリスはやんわりと微笑む。


「あのな、リン。今からすごく大事な話をする」

「うん」

「だから心の準備をしてほしい」

「……うん」


 表情を見て察した。炭鉱から戻って、悲しそうに微笑まれては、何を言い出されるかなど分かり切ったことだ。リンはぎゅっと小さな拳を握った。


「炭鉱で大勢のエルフたちの遺骨が見つかったんだ。あいつらは、やっと家に帰れる。それから……これをお前に渡そうと思って」


 そっと小さな手に握らせた翡翠のネックレス。リンは、そのときになって、とうとう現実の壁にぶつかった気がした。


「こ、れ……おかあさんの……」

「やっぱりそうだよな。形見になるだろ」


 受け取ったネックレスをぎゅっと胸に抱きしめて、膝から崩れ落ちた。声を出して泣きたいのを必死に堪える。分かっていたはずだと。


「イーリス、ボクね。ボク、本当は知ってたんだ。あの炭鉱に埋まってるの。でも、心のどこかで見なかったふりをしてたの。認めたら全部終わるって」


 メアリーの別荘でマクシミリアンが言葉なく現実を突きつけたときも、そんなはずがないと自分を慰めた。炭鉱に行った仲間は、変えられない現実に見切りをつけて去って行ったのだと。出ていきたくないと駄々を捏ねる自分を捨てていったのだと思い込んで、自分の傷を浅くした。


 だが、本当は一度だけ、夜に採掘場へ忍び込んだことがある。そこで見てしまったのだ。ボタ山に見える汚れた黒いオーラを。怨みと悲しみに満ちた残留思念とも呼ぶべきオーラが、そこに留まっていた。


「皆、あそこから出たがってた。でも、ボクだけじゃどうしようもなかった。あの人たちに見つかったらボクも殺されるって、だから炭鉱が閉鎖できれば違うんじゃないかって、邪魔ばかりしたんだ。だけど、こんな、こんなのって」


 握りしめたネックレスの冷たさは痛みを感じて、喉で声が詰まる。何を言っていいのかも分からない。溢れる涙が止まらない。本当に傍にいてほしかった人たちはもういないのだと自分に言い聞かせても、どうしようもなかった。リンの心はズタズタになっていて、必死に継ぎ接ぎで誤魔化してきただけ。我慢してきただけ。


 今、やっと、何もかもが終わった。自分に嘘を吐きながら痛みに知らんふりをしてきた今日までの全ては、魔女の手によってあるべき未来へ還った。


「それで、泣いているところ申し訳ないのだが、これからどうするのかね。このまま商会で保護するのも構わないが……」


 マクシミリアンが現実的な言葉を添えるように尋ねる。家族がいない以上、リンが孤独に暮らしていくのは哀れだ。商会で引き取れば、少しは苦しみを和らげられるだろうと提案すると、リンは涙を拭って立ちあがった。


「ボク、あの家で暮らしたいんだ。でも、森は……もう……」


 もう帰ってもだれもいない。心の支えであった動物たちでさえ、住処としては不適格だと離れ始めている。別荘の周りだけが生きていても、森が滅んでしまえば、エルフが暮らすのに不自由は多くなってしまう。


 取り戻そうとしても、元の姿が帰ってくるまでには何十年も掛かる。エルフにとっては大した年月でないが、その間に森がどうなるかの保証はない。開拓のために伐採されるかもしれない。炭鉱が続いて完全に死ぬかもしれない。


 選択はひとつ。森を離れる、それだけだ。たとえ愛した家であっても。


「なに、土地など買い上げればいい。炭鉱もあの状況では封鎖だろう。曰くつきというのは避けられるものだ。使い道がなくなれば、二度と誰も使えないように権利書を譲ってもらおう」


 発想は良い。黒山羊商会が土地を購入した場合、誰も簡単には手出しできなくなる。ただひとつの懸念を除けば。


「ですが、マクシミリアン。あなたはもう七十歳を過ぎておられますし、いずれは後進に席を譲るでしょう。その後まで保証がないのでは」


 ユディットが尋ねると、ふふんと鼻を鳴らしてマクシミリアンが見下す。


「ヴァルトシュタインのご令嬢は頭が固いね、まったく。購入した土地や鉱山の権利書を、我々が誰に譲り渡そうが自由ではないか。────なあ、魔女殿?」


 ユディットが、ムッとしながらも納得する。魔女ならば不老不死で、その権利書が魔女に帰属するものとなれば、誰も手出しはできなくなる。リンを守るのには、これ以上ない都合の良さだ。


「アタシは貰えるもんは貰うよ。けど、どうせタダじゃねえんだろ」


「もちろん。そうだな、億は欲しい。なにせ開発事業を行うには今後重要な土地だ。私たちとて慈善事業者ではない。多少の旨味はなければ」


 金貨何枚積めばその額になるんだ、とイーリスは笑って肩を竦める。


「いいさ、アタシは散財したっていくらでも稼げる。……それで、問題は」


 皆の視線がリンに集まった。結局、どれほど話を纏めても決定権はリンにある。彼女が森で暮らし続けることを選ぶのか、それとも過去と決別して新しい人生を歩むのか。彼女も深く考えさせられた。


 なにしろ、森には思い出が多すぎる。良いことも、悪いことも。ときどき仲間を思い出して笑うだろう。二度と戻らない仲間を悼んで涙を流すだろう。町を見るたびに胸の傷に憎しみを抱くこともある。人々の幸せを見て寂しく羨む。


 その全てを捨てて新しい人生を歩けば、きっと新しい仲間に囲まれる日々が来る。もう寂しくないと自分に言い聞かせる必要もない。


「────ボクはやっぱり、森で暮らしたいよ」


 涙はもう流れない。もちろん、悲しくはあった。失った痛みもあった。それでも自分を支えようと必死になってくれる人たちがいる、心強さに胸を打たれた。今はただ、心は温かく、立ちあがって前を向けた。


「ボクにとっては、あの森が故郷だ。全部が始まって、全部が終わった場所なんだ。……失わないで済むんなら、暮らしていきたい。皆が見放してしまったとしても、その最後をボクが見届けるために」


 決意の宿った瞳に、もはや他の言葉を掛ける必要もない。

 マクシミリアンがぱんっと手を叩いてから擦った。


「では食事の用意でもしよう。ちょうど今日の列車で色々と届いたそうなのでね。先に聞いておくが、嫌いなものはあるかな?」


 幸いにも、皆が好き嫌いは特になかった。

 確認が済むとマクシミリアンは部下たちに指示を出す。


「馬車に食材を積み込め。せっかくだ、友人の家にお邪魔するとしよう。過去と共に生きることを選んだ者の旅路の祝福だ」


 なかなか良いことを言う、とイーリスも笑みを浮かべて肘で小突く。


「もっと冷たい奴だと思ってたぜ、爺さん」

「私は君が思うよりは冷たい人間だと思うが。あくまで利益の話さ」

「ははっ、それもそれで悪くねえよ」


 うまくやったと讃えて、イーリスはリンの手を引く。


「じゃあ後は任せて、アタシたちは先に帰ろうぜ!」

「……うん!」

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