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イーリス・ブレンヒルトの自由で至福な最高の生き方  作者: 智慧砂猫
第二章 イーリス・ブレンヒルトと炭鉱の町の黒山羊

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第15話

 リンの保護は、魔女との取引において彼の正当性を示すものだ。最も警戒すべきエーバーハルト公爵が魔女と懇意なのは知っている。


 であれば、この好機を逃す手はない。黒山羊商会を守るため、ひいては自身を公爵の鋭い嗅覚をも搔い潜る手段になるのだから。


「しかし、だ。保護は構わないが、本人に許可は得ているのかね。彼女からしてみれば、私など家族の仇のようにしか見えていないのでは?」


「……朝、きちんと話したよ。納得してもらえた」


 メアリーにとって大切なのは場所だけではなく、人の縁だったはずだと。炭鉱の町は恐ろしく、黒山羊商会が敵でないとも伝えた。今の状況を細かく説明すれば、リンも渋々ではあったが納得した。


 状況が状況だ。放っておいて、もし炭鉱夫たちの目にでも留まれば殺されてしまうかもしれない。たとえ問題が解決したとしても、だ。黒山羊商会の協力があれば、リンはこれから安全に暮らしていける。


 イーリスとマクシミリアンが契約を交わすことの意味は、そこにある。


「なるほど、であれば構わない。騎士団の到着はいつ頃に?」


「皇都から此処までは往復で三日ってとこだな。その間に、アタシを炭鉱に連れて行ってくれないか。現場をある程度見ておきたいんだ」


 マクシミリアンは葉巻を灰皿に置いて立ちあがった。


「なら早速行こう。連中が監視しているように、我々も当時から目を光らせている。既にエルフの骨など残ってはいるまいが、周辺を探せば遺品くらいは出るだろう。君にはそれくらい、楽な仕事だと思っているがどうかね?」


 自信たっぷりにイーリスがニヤッとする。


「朝飯前だ。人を殺すような魔法なんざ持っちゃいないが、それ以外ならいくらでも良い魔法がある。だから便利屋の真似事をしてんのさ」


 魔女らしい答えだ、とマクシミリアンも仄かに笑みが浮かぶ。


「よろしい。馬車を用意させよう、少し待ってくれ」


 サンドピットも小さな町とはいえ、炭鉱までの道はいくらか遠い。マクシミリアンはすぐに馬車を用意させ、部下に御者を任せた。


 イーリスと共に乗り込んだ箱馬車はゆったりと進み、炭鉱までの道をのんびりと歩く。住民は立派な馬車の移動につい視線を奪われた。


「なあ、炭鉱に行くだけで、こんなに立派な馬車が必要か?」

「魔女を乗せるのに荷馬車では格好がつかんだろう」

「……どいつもこいつも、融通が利かねえったらありゃしない」


 不満を口にして、窓の外を眺める。気づいた住民が手を振ると、やんわり笑顔を作って振り返す。見目には穏やかな住民たちも、その裏側に抱えた闇の大きさは計り知れない。なんとなく、胸がもやもやさせられた。


「あまり深く考えないことだ、貧しい者への理解など捨てたまえ」

「お前には分かんねえだろうよ。あの貧しさがどれほど苦しいかなんざ」


 明日の食事を気にして夜も眠れない日々。カビたパンでさえ貴重に思えた。炭鉱夫たちはその点、まだマシだが、それでも厳しい生活には違いない。


 彼らもまた奪われたくないだけなのだ。大切な生きる糧を。


「だとしてもだよ、イーリス。君はいささか問題を大きく考えすぎている。彼らは利己的で他者を軽く扱っているのだ。君が経験したものがどうあれ、個人と集団では心理が異なるだろう。感情は捨てた方がいい、後悔するぞ」


 きっと、その通りだろうと思う。イーリスも頭では分かっている。


 彼らの貧しさは既に統制のとれないところまで来た。どこかで決着をつけておかなければ、サンドピットは今よりもずっと荒んだ場所になることも。


「嫌な気分になっちまうんだ。こうなるしかなかったのかって」


「もう歪んでしまった。これは変えられない事実だ。あとは我々が止められるかどうか。それだけのことだ。今後を正しい道に戻すためにはな」


 自由な生き方は簡単ではない。普通の人間が背負うものは多すぎて、魔女のように奔放に生きられたらどれだけ楽かと誰もが口にするだろう。マクシミリアン自身、そう考えていた。時間に縛られず、生きたいように生きられたら。叶えたい願いは叶ったかもしれない。限られた答えを選ぶ理由もなかったかもしれない。


 だが過ぎてしまったものは変わらない。変えられない。だから止める必要がある。今よりも悪くならないために。今よりも歪んでしまわないように。


「ボス、到着しました」

「ご苦労。しばらく待っていたまえ、すぐ戻るから」


 馬車は広い採掘場の入口で停まった。マクシミリアンとイーリスはそこで降りて、炭鉱まで歩く。仕事に勤しむ者もいれば休憩する者もいて、その全てが何かしらの作業の手を止めた。


「こりゃあ、商会長さんじゃないの。そっちは魔女様じゃあ?」

「すげえ、本物か。へへっ、握手してもらわなくちゃ!」

「なんでまたこんなむさっ苦しいとこに……」


 炭鉱夫たちが集まって取り囲み、物珍しさに興奮が隠せない。


「下がれ、下がれ。魔女殿は君たちの仕事ぶりを見に来たのだ。動かすべき手がどこにあるかは考えれば分かるだろう、さっさと仕事に戻らないか!」


 マクシミリアンに言われると、彼らは慌てて炭鉱に戻った。


「まったく……。おい、そこの君はこっちに来なさい」


 若い炭鉱夫が呼ばれて周囲をきょろきょろ見渡してから、自分を指さしてマクシミリアンに首を傾げた。


 頷かれると、ぱあっと顔を明るくして駆け寄った。


「へへっ……! な、なんでしょうか!」


「魔女殿は炭鉱の見学に来ている。彼女が聞きたいことがあるそうだ」

「えっ、ええ! お安い御用ですとも、なんなりと!」


 若い男の顔は明るく、決して擦れていない風に見えた。


 イーリスは周囲をぐるっと見渡して、いくつかの質問を考える。当たり障りなく、彼らを刺激しないように。


「お前ら、朝から晩まで働いてんのか?」


「大体の人はそうっすね。時間通りやめちゃう人もいますけど、家族のいる人なんかは特に遅い時間まで働いて、次の日も早くから来てますよ」


 元気よく語る若い男の言葉にイーリスはふーんと適当に相槌を返す。


「此処じゃお前が一番若そうだな」


 ああ、と自分を指さして男がにっこり笑った。


「俺は三年目です。他はみんな、五年以上働いてる方ばっかりで……頭があがらない先輩ばっかりですよ。優しく教えてくれるし、手伝ってくれるし」


 聞くだけでは、とても閉鎖的共同体と言われても信じがたい。和気藹々とした空気のある良い職場。環境こそ過酷だが、皆が協力しあって誰かを排斥したりしない雰囲気がある。それだけに、駅前で見た炭鉱夫のもの悲しさが引っ掛かった。


「……あっちの、あれはなんだ?」


 隅っこで山のように積まれた石ころを見てイーリスが尋ねる。


「あれはボタ山です。石炭以外の砕石とか、品質の悪い石炭なんかが積まれてまして。まだ十年も掘ってないから小さいですけど、いずれは黒山羊商会の商館も埋まるくらいのボタ山になると思いますよ」


 見た目にも二階建ての家が何軒かは埋まりそうな量のボタ山を見上げて、これで小さいのかとイーリスは関心を寄せる。


「へえ。てことは二、三十年後に来たらもっと積みあがって……」


 関心は風に吹かれたかの如く飛んで消えた。近寄ったボタ山から漂う空気の悪さにゾッとする。漏れ出す魔力に似た何かは、まるで汚されてしまった川の水のように濁っていた。つい、言葉に詰まってしまう。


「どうしたのかね、イーリス?」

「いや、なんでもない。いきなり喉が詰まったみたいに声が出なくてさ」


 イーリスがふと視線を感じて横目に見ると、また背筋がひやりとする。作業中だった炭鉱夫たちが、ぎょろっと感じる目で見つめている。そこに近づくなと言わんばかりの狂気を孕んだ目だった。


「(ちっ、なんつう気味の悪い目だよ……)」


 恐ろしさを感じつつも、イーリスは表情を微動だにせず平静を装う。


「色々聞けて面白かったよ。そうだ、せっかくだから礼をしてから帰ろう」


 手のひらを空に向け、宙に渦巻いた紫煙から魔導書が落ちてくるとバシッと掴む。ぱらぱらとページを捲り、炭鉱の入口へ向けてぱちんと指を鳴らす。


 ふわりと舞った紫煙が炭鉱の中へ飛び込んでいくと、内部に設置されていたカンテラが次々と灯りを強くする。油を吸った芯が燃え、炎は普通よりもずっと明るく周囲を照らす。炭鉱夫たちがおおっ、と歓声をあげた。


「本当は火なんか点けなくてもいいんだけどな。雰囲気だと思ってくれ」


 自分の表情が崩れて警戒心を察知されないよう気を逸らす。


「ありがとうございます、魔女様!」

「これで作業が楽になる!」

「はは、採掘場が夜でも明るくなるなんて夢みたいだな!」


 口々に讃える声にイーリスは笑顔で頷きながら。


「じゃあそろそろ帰るよ。また来たときには、中も見せてもらおうかな」


 炭鉱夫たちは、その言葉に機敏に反応して首だったり手だったりを振って否定する。「中はだめだ、危険すぎる」と言って。


 実際、落盤事故などもよくあることで、命を落とした者は多い。


 そうして安穏な空気を取り戻してからマクシミリアンと共に馬車へ戻った。そこでようやく、イーリスは安堵の息を吐いて全身の力を抜く。


「かあ~っ……。なんだありゃ、バケモンの集まりか?」

「ハハハ、言い得て妙だね。確かに、そのような連中ではあるが」


 老人の達観した笑いにイーリスがムッとする。


「お前さ、人がマジにビビってんのに黙って眺めてたろ」

「さて、どうかな。それより、あのボタ山に何か見たのかね」


 鋭いな、とため息を吐き、窓から流れる景色を眺めながら────。


「あいつらは死体を処理してない。骨すらそのままにしてやがるぜ、あれは」

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