第14話
イーリスは炭鉱に向かうかを少しだけ悩んで、後回しにした。
先に足を運んだのは黒山羊商会だ。
待っていたかのように葉巻を吸って退屈そうにしていたマクシミリアンが、魔女の来訪に素早く人払いする。灰皿に葉巻を置き、部屋の隅に置いてあった椅子を引っ張り出して、イーリスを座らせた。
「来るような気がしていたのだが、思っていたより遅かったね」
「先に寄るとこがあったんだよ。お前が罵りまくってる無能に会った」
「ハハハ、そうかね。では、私の言葉に共感頂けたのでは?」
まったくだと呆れるほかない。アレンは領主としての立場を失い、もはや飾り物なのだ。全て、マクシミリアンに奪われてしまったから。
「あいつと交わした契約書はあるか」
「おお、それは残念だが見せてやれないな。持ってはいるが」
「どうせトカゲの尻尾切りに使うつもりだろ」
マクシミリアンがきょとんとして、直後に大声で笑った。
「それは素晴らしい考えだ、よく私のことをそこまで見抜いてくれる。その通りだとも、今回の件が解決すれば、私も非を免れない。契約は私の一存で破棄できるものであり、いつ破棄したかも問うものとしない。今ある運営権の全てはいつでも返却でき、その責任の在り処は常に彼にある」
商人というよりは詐欺師だなとイーリスが苦笑いを浮かべた。
床に伸ばした足で椅子を傾け、はあ、とため息を吐く。
「こんな日のために準備してたってのか」
「いやいや、それは違う」
葉巻を吸い、マクシミリアンは椅子に掛けて楽しそうに言った。
「元々、出来ればあの炭鉱は閉鎖するつもりで動いていた。だがエルフを殺害した件で取り沙汰しても、取り合ってくれるわけがないだろう。こっちの頭がおかしいと思われてしまうよ」
「そりゃそうだが……じゃあ、なんのために?」
ふーっ、と息を吐いて煙が部屋に漂う。
僅かな間を置いて────。
「以前からある炭鉱の問題をこちらから取り上げて騎士団を上手く呼び込めれば、この領地は子爵の手から離れる。新たな誰かが領地を運営するとなれば、町全体の空気も改善されるはずだ」
子爵が領地を運営するに適していないとなれば、没収は目に見えている。そして新たに、適任である者が領地を与えられることになる。その第一候補は炭鉱で手に入る石炭燃料の利益を部分的に得ている、エーバーハルト公爵家だ。
「エーバーハルト公爵とは石炭の取引をしていてね。都市で売られる石炭の大部分は公爵家に由来する。他にいくつも鉱山を抱えているような人間だ、ひとつ増えたところで、片手間にこなしてみせるだろう」
皇国では皇帝に次ぐ権力者とまで囁かれているエーバーハルト公爵家の介入があれば、いくら炭鉱夫たちでも閉鎖的な知性で以てしても容易く捻り潰される。騎士団が相手となると、途端に狩られる側になるのだ。
「でも、お前は騎士団の介入は嫌なんじゃなかったのか?」
「もちろん、身元を調べられるのは困る。だが、それは炭鉱の問題を我々が意図的に放置したと知られたときくらいなものだよ。子爵に上手く矛先を変えられれば問題ない」
本来であれば騎士団に協力を仰ぐべき案件だ。エルフたちが炭鉱に向かった後から戻ってこなかったとき、マクシミリアンは視察を装って彼らが殺した事実を突き止めている。問題はサンドピットの人間の結束力を侮っていたこと。
視察に赴いたその日から、町中の監視が厳しくなった。黒山羊商会全体が、だ。何かおかしい、視察に来るにも理由があったはずだと警戒された。
おかげで騎士団に密告することも出来ず、ずるずると現状が続いてしまった。彼らの警戒心を僅かでも緩めるために、これまで厳しく締め上げていた雇用条件を緩くして融通を利かせたが、それでも身動きが取れないでいた。
そんなときに現れたのが、イーリスとユディットだ。彼女たちほど自由に動ける人間はおらず、騎士団との繋がりも強い。利用価値があると踏んだ。
「君たちのおかげで、私たちは魔女に助けを乞うた哀れな羊になれる。炭鉱夫の暴徒化に加え、彼らの監視はワグナー子爵の領地運営能力の低さの象徴としてエーバーハルト公爵に訴えるつもりだ。炭鉱夫たちの事件が同時に明るみになれば、炭鉱を閉鎖するか、あるいは新たな労働者を迎え入れるだろう」
葉巻を灰皿に置いて、椅子にどっかりと体を預けて腹の上で手を組む。
天井を仰ぎ見ながらマクシミリアンは疲れた顔をした。
「私は愛する故郷でもっと自由に商売がしたいのだよ。上手くやれば皇都や近辺の町に比べれば見劣りするだろうが、豊かな町になるはずだ」
「……そうまでして、なんでサンドピットに執着してるんだ。元々は皇都で立ち上げた商会なんだろ。帰ってくるほどの理由があるのか?」
ただ愛しているだけならば、その土地を離れる者はいくらでもいる。強烈な執着に違和感を覚えて尋ねると、マクシミリアンは懐かしむように────。
「メアリーへの恩を返したい。彼女は黒山羊商会を立ち上げた頃からのお得意様でね。こちらの素性を見抜いていながらも懇意にしてもらった。そんな彼女が真に愛する故郷くらいは、良い形に留めておきたいのだよ。思い出に浸りたいだけの、棺桶に片足を突っ込んだ老人臭いセリフかもしれないがね」
イーリスは、なんとなく。ただなんとなく、老人の言葉に頷いた。これまでとは違い、彼の言葉が感情的だったからか。寂しさを語るような苦痛を吐き出すような、薄っすら浮かべた笑みが、どこか哀れだったからか。
正しくない人間であっても、気持ちは理解できた。
「まあ、なんだ。あれだよな。────お前みたいな悪党でも、必要なときはあった。アタシはユディットみたいに否定はしねえよ。今回だけは手ぇ貸してやる。アタシを利用しな、マクシミリアン」
ふと。なぜ魔女が今まで自由に生き、誰にも縛られないのかを知った気がした。人生の半ばをとうに過ぎて、いよいよといった頃になって、初めて。
「それはなかなかどうして悪くない。羨ましいよ、イーリス。君ほど私の憧れる最高の生き方をしている人間はいない」
善と悪の区別はつく。だが、善と悪を分けて考えない。どう必要とされ、どう切り捨てられるか。世の中の全ては正否だけで割り切れないことがいくらでもある。戦争で人を殺すことは悪であっても、そのときは正義だ。守るための戦いならば仕方ないと皆が目を逸らし、口を閉ざす。
マクシミリアンがやってきたことも悪事だが、その汚れ仕事によって救われる人々がいたのもまた事実で、その全てを否定することはできない。
だからイーリスは否定しない。むしろ認めている。それが人間らしいと。
「いいだろう、イーリス・ブレンヒルト。神の下僕が憎み、皇国が愛する魔女よ。取引をしよう、私がお前を利用する対価を払おう」
よしきた、とイーリスは椅子からぱっと立ちあがって、マクシミリアンを前にして机にばんっ! と手を置いて告げた。
「アタシが求めるものは、リンの保護だ。何があっても殺すな、殺させるな。せっかく繋がった縁を台無しにされたくないって気持ちは分かるだろ?」
少女のか細い、救いを求める声を知っている。たったひとり取り残され、失望感に苛まれる姿を見た。それを老人は哀れに思わなかったが、大切にしたいと思う人間の気持ちは理解できる。ただ幸せな普通の日常が欲しかっただけの少女と同じように、マクシミリアンという男も、そうあればどれほど良かったかと願ったことが、今までに何度かあったからだ。
「……私は未だ独身だ。結婚できなかった。手が汚れているからではない。愛した者との間に、子供を授かれなかった。結局、後継ぎは必要だろうと私から姿を消したのだが、まあ、蓋を開けてみればこのザマだ」
サンドピットの景色は歪んでいる。美しく緑に溢れた心の豊かな町はもうない。炭鉱という煤だらけの世界で、強欲な人間が犇めいていた。愛した者は既に亡くなり、残されたのは出来の悪い跡継ぎとボロボロに荒んだ町ひとつ。
「本当なら殺すつもりだった。厄介ごとを持ち込まれては大勢が迷惑を被る。だがあれがメアリーの守ったものであるのなら吝かではない。魔女からの預かりものとして、堂々と迎えさせて頂こう」




