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イーリス・ブレンヒルトの自由で至福な最高の生き方  作者: 智慧砂猫
第二章 イーリス・ブレンヒルトと炭鉱の町の黒山羊

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第13話

◇◇◇




 荷を積んだ列車は出発の時間が来て、乗組員たちが和気あいあいと乗り込んでいく。そこへイーリスとユディットはやってきた。


「おやまあ、もう帰っちまうのかい?」


 積み込みを終えた炭鉱夫が、座り込んでタオルで汗を拭う。


「アタシは帰らねえよ。ただ依頼が入って、ユディットがアタシの代わりにお遣いさ。せっかく港町を観光しようって時に困ったもんだよな」


「はは、すぐに帰ってまいりますので……」


 炭鉱夫は二人をじろっと見たが、優しく微笑んだ。


「残念だねえ。魔女様がいてくれるのは嬉しいけど、せっかくの旅行だったんだろう。黒山羊商会とも仲が悪いみたいだから心配だよ」


 またそれか、とイーリスはうんざりしながらも笑みを崩さない。


「こちとら魔女やって百年だ、あの程度の連中にデカい顔されたって大したことないよ。お前らこそ忙しいんだろ。休みはちゃんともらってんのか?」


「いやあ、俺たちは仕事してなきゃ生きていけないからねえ」


 男の表情に陰が差す。がっくりと肩を落としているのは本心だ。実際、黒山羊商会との関係以前に炭鉱夫は稼げても人並みの生活が関の山。大体の場合は明日の食事にさえ困るような労働環境にいるのだから。


「労うくらいしか出来なくて悪いな。アタシは魔女だが、なんでもできるわけじゃない。金を生み出すのは、いつだって働いてるお前らだろ?」


「ああ。別に何かしてもらおうって気はないよ、俺は……ただ、そう、なんというか、有難いんだ、来てくれたのが。この町は昼間だってのに、なんとなく薄暗いだろ。お日様の話じゃなくて、雰囲気がさ」


 炭鉱夫は頭をがりがりと掻いて、申し訳なさそうに笑った。


「呼び止めてごめんよ。さあ、乗りな。俺は見送りだから」

「ありがとうございます。それでは行って参ります」


 ユディットが乗り込んだら、列車は出発する。最初はゆっくりと、だが少しすれば、あっという間に遠くなった。小さくなった列車を眺めながら、イーリスは隣にいた炭鉱夫に尋ねる。


「お前はさ。なんで薄暗いって思うんだ?」

「……言えねえよ。でも、そうだな。ただ息苦しくてなあ」

「そっか。いつもは鉱山で仕事してんのか?」


 炭鉱夫は首を横に振って、がりがりの細い腕をばしっと叩く。


「俺は痩せっぽちで体力がないから、ここで荷を積む手伝いばっかりしてんのさ。だから、採掘作業とかで忙しい奴らには、ちょっと嫌がられてる」


 瞳に映るのは寂しさと悔しさ。救いを求めるような視線。イーリスは、この炭鉱夫は少し事情が違いそうだと察して、深堀りするのをやめた。


「大変だろうけど、応援してるよ。お前が正しいことだけをしていれば、きっと良い風が吹く。時間は掛かるかもしれないが……そうだ、これをやる」


 ぱちんと指を鳴らすと、炭鉱夫の頭上にふわっと纏まった紫煙が舞い、ころんと小さな石を落とす。小さく光る文字が刻まれた黒曜石の首飾りだ。


「魔女様、こいつは?」

「それを首から提げとけ。疲れがよく取れるまじないの掛かってる」


 驚きに固まっている男の肩をバシッと叩いて励ますと、イーリスは駅を去る。売りたきゃ売れよ、と笑いながら声を掛けて。魔女の魔法の道具など簡単に価値が付けられる代物ではない。最低でも少しばかり立派な家をひとつ買うくらいはできる額だ。それは神の助けにも等しいが、炭鉱夫はぎゅっとそれを握りしめて、大事にしようと心に誓って魔女の背中に頭を下げた。


「さて、まずはどこに行こうか?」


 サンドピットは炭鉱の町だ、見て回るような場所はない。イーリスの候補としては黒山羊商会か、炭鉱を直接見てくるか。それとも────。


「……会ってみるか。ワグナー子爵とやらに」


 既に機能していない領主など会ってどうなるものでもないが、なぜ今の町の状況に関して、見向きもしていないのかが気になった。


 人づてに道を尋ねてやってきた子爵邸はこぢんまりとしており、とても貴族の邸宅とは思えないほどおんぼろだ。黒山羊商会に一任しているとはいえ、その利益は炭鉱を所有するワグナー子爵に寄っていておかしくないのに、とイーリスは怪訝な顔をする。とてもいち領主と呼べる人間ではないのだろう、と。


「そ、そこの貴様! いったい何しに此処へきた!?」


 突然、声を荒げて誰かが駆け寄ってくる。どこかみすぼらしさを感じるが、着ている服だけは立派なものだ。やってきた男を見て、イーリスが目を鋭くする。


「アタシはイーリス・ブレンヒルト、どこにでも現れる気まぐれな魔女だよ。……ワグナー子爵ってやつに会いにきたんだが、まさかお前か?」


「い、い、いかにも……。私がアレン・ワグナー子爵だが……」


 若く美しい女性を見て、アレンが頬を薄っすら赤くして唾をごくりと呑む。見え透いた欲望と不遜な態度にイーリスはひどく呆れた。


「態度がなってねぇな。無能な領主がアタシを胸張って見下ろすな」


 凄まれると、アレンはひゅっと息を吸い込んで顔を青くさせた。足はがくがく震えて、狼でも見たかのように怯え始める。


「すっ、す、すみません! 何か御用でしょうか、魔女様……!」


「ちょっくら話をしたくてね。この町じゃ随分と黒山羊商会が実権を握ってるみたいだ。それに邸宅がみすぼらしい。無茶苦茶な契約でも結んだのか?」


 アレンは周囲を気にするような素振りを見せてから。


「その話は中でしましょう。商会の連中に聞かれたくないので……」

「んだよ、領主のくせに肝の据わってない野郎だなあ」


 こんなにも気の小さい男は初めてだな、とイーリスもため息が出た。アレンは明らかに臆病で、とても領地の運営ができそうな人柄ではない。マクシミリアンがいなければ、サンドピットは今よりずっと苦境に立たされたのが目に見えるような気さえする。黒山羊商会の支配が敷かれるのも納得だった。


 イーリスを小さな家の中に招き入れたアレンは玄関を閉めて鍵を掛け、ようやくホッと安心したように胸をなでおろす。


「すみません、私は黒山羊商会の方々が苦手で……ほら、威圧的でしょう。マクシミリアン殿は穏やかな方ですが、他の方はちょっと」


 それが作り物の穏やかさで、きっと部下を嗾けてアレンが話を飲みやすいよう仕向けたのだろうなあとイーリスはうんざりする。マクシミリアンのやり口ではなく、むしろ気が弱すぎる領主に対して。


「あいつらに領地の運営を任せてるってのは本当か?」


「え、ああ、はい。……恥ずかしい話ですが、私には商才もなければ貴族としての品格もありません。さきほどのように虚勢を張るのが精々でして」


 がっくりと肩を落として、自分の情けなさに涙を浮かべた。


「何もかも明け渡す方がマシだったんです。なにしろ、私には事業の才能がない。そんなことにも気づかず、両親の真似事をして失敗を繰り返してしまい、国に治めるべき税さえ厳しくなっていましたから」


「情けない……。それで鉱山開発も放棄して商会に任せたってか」


 言い訳をするようにアレンが顔をあげる。


「あれは、私にもどうしようもなかったんです! 始めは善意で、皆が困らないように給料の前借りも許していましたし、備品についてもこちらで無償で提供していましたが、段々と要求が大きくなって……!」


 もっと良い道具を用意してほしい。給与をあげてほしい。休暇がほしい。言い出したらきりがない。最初こそ従順だった炭鉱夫たちの声は次第に大きくなった。それもそのはず、領地の運営が上手くいっていないのを知っていたからだ。


 ワグナー子爵の最も痛いところを突いて、領地を我が物の如く扱うようになってしまった。そのときに、さも救世主のような顔をしてやってきたのがマクシミリアン率いる黒山羊商会だ。


 最初は信用したものかと思案もあったが、現実はこれまでの悉くを覆すほどの手腕で、炭鉱夫たちをあっという間に抑え込んでしまった。


「もう彼らに任せておけば、我が領地は安泰だ。そう思ったんです。国に治める税と、私自身が多少のまともな暮らしさえできれば良いと……」


「その結果が、このくたびれた家ってわけだ」


 今にも崩れそうな家の壁にもたれかかりながら、こんこんと壁を叩く。


「そのあたりの話が事実なら、お前、マクシミリアンと契約書を交わしたな?」

「え、ええ。名前を書いてくれれば綺麗に整えてくれると」


 契約書に署名したときのことは、もはや二つ返事に近い。近づいてきた相手に欠片ほどの疑念を手にもせず、それが当然だとばかりに。


 無能の領主。そう言わざるを得なかった。


「さんきゅ、聞きたいことは聞けたよ」

「あっ、はい。もう行かれるのですか?」

「他に行くべきところがあるんでね」


 外に出て、日差しを見上げて、顔をしかめる。


「嫌な天気が続くじゃないの。面倒くさいったらありゃしねえ」

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