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イーリス・ブレンヒルトの自由で至福な最高の生き方  作者: 智慧砂猫
第一章 イーリス・ブレンヒルトと夢を抱く騎士

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エピローグ②

 さぞや苦痛に苛まれるのだろうと可笑しがりながら、呼び止められる声を背にクラウスはさっさと第三騎士団の執務室を後にする。

 それから向かった先は城内のだだっ広い中庭だ。美しい庭園に彩られ、その中央にあるガゼボの下で、お茶を嗜んでいる令嬢の姿を見つけた。誰よりも優雅で、誰よりも気品のある令嬢の名は、ハイデマリー。クラウスも自然と頬を綻ばせてしまう、心の奥底から笑顔を浮かべられるただひとりの女性だった。


「あら、クラウス。どうしたの、こんなところまで」


 メイドも執事も連れず、のんびりとお茶をする姿にクラウスはため息を吐き、困ったような笑顔で傍に駆け寄った。


「駄目じゃないか、ハイディ。護衛もつけずに一人でこんなところに?」

「城内は安全よ。少なくとも第一騎士団が近くをうろついてるもの」

「それはそうかもしれないけど、君にもしものことがあると思うと怖いだろ」


 本来のクラウスはひどく心配性だ。たったひとりの愛する女性が、城内でひとり誰の目もない場所で、のんびりティータイムを楽しんでいるなど信じられない。束縛するわけではないが、誰か護衛くらいはつけてくれなければと頭を悩ませた。


 ハイデマリーは簡単に他人の指図を受ける人間ではない。それが伴侶であっても、父親であっても。あまりに強い自信家なのだ。ただの令嬢ではなく、騎士としての振る舞いと技術まで叩き込まれているからに他ならないのは、ヴェルターに責任の所在があるといっても過言ではない。


「気にし過ぎよ、クラウス。それより、何かあったの?」


 せっかくの二人きりの時間だとは思いつつもハイデマリーは尋ねた。クラウスがやってきたのであれば、きっと大切な用事があるか、大きな問題があったのだと。それはある意味で正解だ。彼が重く口を開くのを見て心配さえした。


「大したことではないんだ。ただ、君に、伝えたいことがあって」

「かしこまって貴方らしくもないわ。話してちょうだい」

「うん。……実は、爵位を返還してきた。僕はもう伯爵ではない」


 大切に育んできた領地も。積みあげてきた財産も。地位も。名誉も。全部捨てた。ありふれた、どこにでもいるクラウス・ヴィンケルマンになったのだ。


 貴族でなくなるということは、その存在自体に価値(かがやき)を失う。地位や名誉を大切にしてきた人間が、無価値の男を愛してくれるだろうか。否、そもそも愛すべきなのだろうかとクラウスは自身に問いかけた。愛する人の幸せのためであれば正しい結末を選ぶべきだと。


「僕は旅に出ようと思う。公爵位を継ぎはしない。既に閣下にもお伝えしてある。もう、公爵令嬢である君に相応しい男ではなくなった。だから────」


「やめて」


 ぴしゃり、と言葉を遮った。突いた手がテーブルを揺らす。ハイデマリーは柄にもなく動揺していて、同時に怒りも感じていた。目の前の愛すべき男が口にしようとした言葉を自分は何よりも恐れて、嫌いだったから。


「私は他の男になんて興味はないわ。世俗に塗れた貴族の男などうんざり。でも、だからといって安っぽい騎士を婚約者になんて選ばない。私が惚れたのは、あなただからなのよ、クラウス。手放す気なんかないわ」


 相変わらず力強く尊敬できる人だな、とクラウスは微笑む。


「でもね、ハイディ。これまで公爵令嬢として生きてきた君が、僕と共に生きるのは難しいよ。騎士団と言えば美しい響きだが、やっていることは泥臭いものだ。だから僕は旅慣れしてる。でも君は────」


「それが何よ。私は公爵令嬢である前に、ひとりの人間よ」


 傍にあったカップを手に取り、中に入っていた紅茶をドレスにかけて汚す。じわっと色が染みていくのを、まるで気にも留めない。


「私を誰だと思っているの? ハイデマリー・エーバーハルトは貴族としての誇りではなく、私であることの誇りで生きている。それを証明してあげるわ」


 欲しいものは全て手に入れてきた。手段は関係ない。法が許す限りのあらゆる手段を以てして、今のハイデマリー・エーバーハルトは存在する。ともすれば、同時に捨てることも容易い。ドレスなど着なくてもいいと、捨てられた。


「いいかしら、クラウス。ドレスはお金で買えばいい。素敵なデザインに出会えなければ仕立てればいい。茶器も、家具も、家でさえお金を積めば済むのよ。でも、喉から手が出るほど欲しいあなたの愛情は、あなたとの人生は?」


 返す言葉がなく、クラウスは俯いて、ただ話に耳を傾けた。


「人はいつか老いていくわ。私だってしわくちゃの御婆さんになるし、あなただって若い時のように剣さえ持てなくなるときが来る。足腰が弱くなって一人で立てないときが来る。それでも、私はあなたを支えたい。あなたと手を繋いでいたい。────あなたは違うの? 私といっしょに居たいと願ってはくれないの?」


 騎士として。男として。ひとりの人間として。これほど嬉しい言葉があるだろうか。何も得ようとしてこなかったクラウスにとって、いつだってハイデマリーは輝いて見えた。ここまで素晴らしい人には二度と会えないだろう、と。


 素直さが悪かのように感じてきた。自由が傲慢のように感じてきた。それをいとも容易く突き崩した者たちに深い感謝をすると同時に、クラウスは顔をあげる。


 贅沢でもいい。傲慢でもいい。身勝手だと言われようと関係ない。清廉な男は令嬢の前に片膝を突き、全てを捨ててきた者の覚悟と意地で向き合った。


「────どうか私と共に旅をしていただけませんか、レディ。その代わり、必ずやあなたのことを生涯を掛けて守り抜くと誓います」


 心から。心から。愛した女性の言葉を待ち望む騎士は、手を差しだす。待たずとも返ってくる答えは分かっている。ハイデマリーは、その優しく大きな手を取り、目に涙を浮かべながら────。


「どうか退屈させないでちょうだい。あなたの旅路に必要だと言うのなら」

「もちろんでございます、レディ。このヴィンケルマンが保証いたしましょう」


 二人のやり取りを陰から見守っていた誰かが、ごほんと咳ばらいをする。振り返った先にいたのは、皇帝ジーモンと、彼が連れ歩いて来た第一騎士団の面々だ。二人が新たな旅路に就くのを祝うように姿を見せた。


「願わくば、そなたらの結婚式で祝辞を述べたいところではあったが、こうも見せつけられては止めようもないな。今日にも出ていく者たちを見送ることさえ難しいとは、ときどき自分の立場に頭を悩ませてしまう」


 わざわざ婚約のときから堅く口を閉ざしてもらっていたにも関わらず、二人がそろって出ていくというのはジーモンも残念だった。名のある家門同士であれば祝福する者も多いし、今後の皇国を導く皇帝の剣と盾になったやもしれない。その頃には自分がいないと分かっているがゆえに、ジーモンは肩を落とす。


「申し訳ありませんわ、皇帝陛下。ですが、この人生は一度きり。魔女のように自由を謳歌してみたいというのも、ひとつの夢でありますれば、どうぞご理解下さいますよう、お願い申し上げます」


 ジーモンは仕方なさそうに首を横に振りながら。


「なに、野暮なことは致さぬ。ただ、せめて我々の誠意は受け取りたまえ。多くの者は君たちを愚かだと言うが、余はそう思わぬだろう。さあ、行け」


 第一騎士団の騎士たちがずらりと整列して並び、道を作った。彼らは無言のまま、ただまっすぐ空を見上げる。彼らの旅路を祈るように。感謝を告げるように。


「ヴィンケルマンの子よ。これまでご苦労であった」

「……はい、皇帝陛下。願わくば、その御身が長く健やかにあられますよう」

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