第19話
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思いがけない夜は過ぎ、皇帝の生誕祭は最終日を迎えた。昼間は普段と変わらず何事もなかった。ときどき騎士同士の小競り合いは見かけたものの、その程度だ。何人かの貴族に声を掛けられたりもあったがイーリスは応じなかった。
そうして時間は経ち、とうとう最終日の祝宴が始まった。準備は滞りなく進み、午後には巡回に出ていたヴェルターとも言葉を交わして状況の確認は済んでいる。公開処刑まではいささか時間が掛かるが、祝宴が終わるまでには始まるだろうと伝えられており、イーリスが顔を出したのは祝宴の進み具合がほどほどになったとき。初日と同じ漆黒のドレスを身に纏って登場してみせた。
「やはりお美しいですね、イーリス。目立っています」
「だろ。お前ほど顔が整ってはいないが」
「ははは、それは買い被りすぎです。お世辞にも聞こえませんよ」
「別に世辞じゃないんだけど……まあいいか」
貴族たちはやはりイーリスに釘付けだ。その美貌というよりは、存在感にだが。
声を掛けるにはどうすればいいかを考えあぐねていると、最初にすり寄っていったのは例に漏れなく、ユディットの婚約者であるテオボルドだった。
「これはお美しい装いですな、実に素晴らしい」
「よう、今日はちっとも酔ってないじゃないか」
鼻で笑って挨拶を返す。テオボルドはバツの悪そうな顔で咳払いをする。
「昨日は部下に任せきりでしたが、最終日は第二騎士団も殆どが敷地の巡回に出ておりまして……。みっともない姿は晒せないでしょう」
「ん、それはそうだな。第一騎士団が警備にあたってるみたいだし?」
貴族たちの中には、何人かの騎士が混ざっているのが見える。テオボルドが不愉快そうに一瞥して、下らないとため息を吐いて笑みを浮かべた。
「彼らは腕っ節だけが取り柄ですから。我々第二騎士団のように品格を重んじるわけでもないようですので、いささか目立っている気はしますがね」
「確かに、アタシにも分かるよ。品格ってのは人格をより良く造るもんだ」
決して第一騎士団を揶揄したわけではない。そんなことも知らず、テオボルドは多少は話が分かるではないかと一緒になって笑った。
「じゃあ、アタシは他に挨拶したい連中がいるから」
「ええ。失礼いたします、またお茶でも」
「もちろん、その機会があればいつでも呼んでくれ」
テオボルドから離れて、イーリスはチッと小さく舌打ちする。
「相変わらず鼻に衝く野郎だ、人を見下さなきゃ会話できねえのか?」
「まあまあ。今日で最後なのですから気に留めずとも」
「……間違いない。アイツには道化として最高の見世物になってもらわないと」
楽しい時間はすぐそこだ。怒りはすうっと鎮まって、今は口角があがった。
しかし、騒ぎを起こす前に、一通りの挨拶は済ませておきたい。イーリスは最初にクラウスと楽しそうに話しているジーモンのところへ向かった。
「よう、ジーモン。楽しめてるか?」
「ようやくきおったか。寂しかったぞ、我が友よ」
「悪いな、ちょっと忙しくてさ」
軽い握手を交わす。ジーモンは最終日は無礼講だとばかりに酒を飲み、既に頬をうっすら紅く染めている。楽しい日に水を差すのは申し訳ない気持ちもあったが、それこそ彼のための贈り物になるだろうとイーリスは本音を隠す。
「ヴァルトシュタイン卿、そなたも今日まで魔女の護衛、ご苦労である。団長補佐となってそれほど経っていないというのに、イーリスと心を通わせるとは中々だぞ。この者は人を見る目があるゆえ」
「恐縮にございます、皇帝陛下。イーリス様の慈愛あってこそでございます」
普段通りに見えるが、クラウスは僅かに表情を渋くさせた。その穏やかさは、まるで波風を立たせまいと振る舞っているふうに映る。
「ユディット、あなたに任せた私としても誇らしい成果です」
「はは、団長まで。私は幸せ者でございますね」
ジーモンが何人かに声を掛けられて会話は中断される。クラウスがそれを良いタイミングだとばかりに「二人とも、少し話せますか?」と場所を離れようとする。イーリスは目ざとい奴だな、とほのかな不快感を示す。
「あはは、そう嫌がらないでください。何かあったのかと心配で」
「お前は気配りができすぎるのが問題だな。隠し事ができそうにない」
「お褒めに与り光栄です。それで、何かあったのですか?」
イーリスが周囲をくるりと軽く見て、ぱちんと指を鳴らす。一瞬、よく見ていないと気付かない程度の紫煙が待ったのをクラウスはしっかりと見た。
「今のは魔法ですか、何をされたのです」
「アタシたちの音を消した。回りには何を話してるか分からない」
元々騒がしい祝宴の中で、声が聞こえないくらいは不自然に思われない。よくできた手段だとクラウスが感心を示す。
「やはり何かあったようですね。ユディットが少し暗いのもそれが?」
「まあ、そんなところ。でも元気がないわけじゃないさ」
話すべきかどうかの線引きをイーリスには出来ない。主導権はあくまでお前にあるぞと伝えるように、ユディットを軽く肘で小突く。
「……実は」
言うべきか黙っているべきか、迷いはあった。信じていたものが脆く崩れた今、その信仰はイーリスに縋るものだ。第一騎士団でさえ、正しさの在処なのかどうかも判断できないでいる。それでも。信じなければ始まらない、と前へ進む。
「テオボルドに国から支給のある騎士団の運営費について、横領の疑いが出ています。以前から常習的に行われていたようで……。その横領した資金の一部は既にツッカークランツでの賭博で流れたと思われます」
「第二騎士団がそのような真似を? それは国家に対する裏切りです」
思わず驚いて声が大きくなり、クラウスはつい口を手で覆った。
「……あぁ、聞こえないんでしたね。すみません、恥ずかしい真似を」
「いや、いい。お前もこちら側だよな、クラウス?」
詰められて、クラウスは普段通り冷静に仕方ないなと肩を竦めた。
「そう仰られるとお断りできませんね。協力できることがあるなら任せてください。ですが、まだひとつだけ。それならユディットが暗い顔をする理由にはなりません。テオボルドの失脚は家門のためにもなるでしょうに」
家門のために生きてきたのだ。たとえば、その失態で『ヴァルトシュタインは人を見る目がない』と言われたとしても、悪いうわさは二か月もすれば消えていく。結婚してから不利益を被るよりも『娘は出来がいい』と思わせれば、家門の名誉を回復するのは難しくない。にも拘わらず、それを素直に喜べていない姿を疑った。
答えにくさを感じるユディットは、手が僅かに震えた。
「大丈夫だ、ユディット。アタシがいるだろ?」
「……はい。そうですね」
優しく握られた手の温かさに、ユディットが深呼吸をして落ち着く。
「すみません、団長。どうやらテオボルドの運営費の横領はルッツ・ヴァルトシュタインの関与によるものと思われます。昨晩、中庭にて二人の会話を聞きました。既に第三騎士団の協力も得ています。帳簿が回収されれば、全てが明るみになるかと。────よって、本日を以て第一騎士団を除名して頂きたい」
クラウスは今日ほど衝撃を受ける話を聞いたことがない。会場で他の貴族たちと談笑するルッツを遠くに鋭く睨み、呆れた気持ちがため息となって出た。
「……そうですか、そのようなことが」
同じ爵位を持つ騎士の家門として、ルッツは恥ずべき行為に手を染めた。クラウスはそれが許せず、初めて他人を腹立たしいと感じた。真面目に生きる者ばかりが泣きを見て、彼は当たり前のように面白可笑しく生きているのだから。
しかし、それもほどなく喉の奥に消えた。そのことでユディットを処分しなければならないという直面した現実に、今すぐにでも頭を抱えたくなる。
「親が罪を犯した以上、子であるあなたに罪はなくとも謗りは免れない。他の貴族や騎士たちから注がれる奇異の視線も考えれば……守るためにも除名をすべきなのでしょうね。このような形になるとは残念です、ユディット」
除名をしようがしまいが、ヴァルトシュタイン伯爵令嬢としてのユディットは必ず死を免れない。騎士である以上、その身を処分せねばならないのは分かっている。だが、その後をイーリスが守れる可能性はある。二人の心が通っているのを見れば、誰でもそう信じられるというものだ。クラウスは残念に思ったが、同時に希望を感じてこのまま託そうという気になれた。
「イーリス様、ユディットのことをお願いします」
「任せとけ。最初からそのつもりだよ」




