夢の中の夢世界
私は、産まれた時から『神経萎縮性鈍化睡眠症』という疾患がある。
この病気は体の成長につれ、体内細胞が急速に老化し、その老化現象により体が負荷に耐えられず、眠りについてしまう世界的に見ても数件しか例の無い程の奇病だ。
最初は3日や1週間と、今と比べれば短い眠りだった。
だが病気の進行が進むに連れ1年……そして2年と伸びていった。
高校1年生に進級した時は、中学生活全てを眠ったまま進級したものだから、ショックで姉である星空月に一晩中泣きあかした。
もちろん自分の知らない間に何年も歳をとった事が怖くて泣いたのもあるが、それ以上に“もう目覚める事はないかもしれない”という恐怖が、私には何よりも怖かった。
そしてその恐怖が現実になるのは、あまりにも早かった――
私が高校生となって2年目の春。17歳の誕生日を迎えた私は、そのまま二度と目覚める事は無かった。
これで終わってしまえばマシだったと、心の底から思う。
眠っているだけで何も感じないのであれば、それは死んだ事と同義なのだから。
けれど違った。
17歳で眠りについてから、私にはずっと意識だけが残っていたのだ。
それは死ぬ事よりもずっと恐怖であり、絶望であった。
目も開けられず、口も聞けず――真っ暗な世界の中で私は生きる事になったのだ。ずっと。何年も。
自分の意思ではどうする事も出来ず、失禁をしてしまった時に、私は羞恥心と自分で何もすることの出来ないもどかしさで気が狂ってしまいそうだった。
だが私の世話係である看護師達は、面倒くさがってそんな下の始末などしてはくれなかった。
機械で調べた結果脳波が感知されなかった私を“脳死”と判定し、医者達は私を人間と同じ扱いなどしてくれなかったのだ。
姉が忙しく、指摘する人がいなければ私はずっと蒸れた布団の中で、眠っているしか無かった……。
点滴を入れ替えられる時も、眠っているからと乱暴に針を刺され気絶してしまうような感覚だった。
だがどれだけの痛みがあろうと、私の体は目覚めてはくれなかった。
そしてその事で1番辛かったのは、姉さんの呼び掛けに何も答えてあげる事が出来なかった時だ。
目は閉じているので姉さんがどんな表情をしているのかは分からなかったけれど姉さんは毎晩私の隣で泣いていたから、姉さんが辛い事は見なくとも分かった。
そして姉さんの心を傷つけているのが自分という真実がつらかった。
死にたい――
いつしか私は、毎日その事ばかりを考える様になった。
だが自分の意思で死ぬ事すら許されない。毎日毎日、真っ暗な世界の中で私はずっと死ぬことだけを考え続けた。
そうしていつの間にか、10年もの月日が経った頃――私に転機が訪れた。
「み、み三日月さん!きょ、今日は空が晴れてて凄い良い天気ですよ!凄く!」
私の事を担当する看護師が、夏川彩音という女性に変わった。
少し緊張し過ぎる性格のようで、眠っている私にすら吃りつつ話しかける不思議な人だ。
そして私の自死を望む心境は、この彩音さんによって変えられた。
「わ、わわ!まずは点滴の入れ替え、でしたね!ご、ごごごめんなさい!」
歳は私と同じくらい。
彩音さんは要領が良いという言葉はお世辞にも言えないほど、少々間の抜けた人だった。
「きゃあ⁉︎ご、ごめんなさい!手が滑ってブスっと刺しちゃいました!い、痛かったですよね!ごめんなさい!ごめんなさい!」
けれど、どこか憎めない女性だった。
声の感じからしても、良い人なんだろうというのは感じ取れた。
そして彩音さんはいつも、眠っている私にまるで私が眠っているのを知らないとでも言うようにずっと、話しかけてくれた。
『それでね、こ、ここだけの話なんだけど……私、あの患者さん嫌いで……め、面倒くさいんだよね……お、お尻とか触ってくるんだよ……セ、セクハラだよね……』
話す内容は他愛も無い内容ばかりだっけれど、彼女の話に耳を傾けている間は、自分の動けない体のもどかしさを考える事が無くり、とても気が紛れて、とても楽だった。
『わ、私ね……神楽崎真直っていう将来結婚を約束してくれている人がいるんだよ』
そんな他愛の無い彩音さんの話には、決まって一人の男の子の名前が出てきた。
『で、でね。きょ、今日で真直くんとの約束の日まで1000日をき、切ったんだよ!』
その神楽崎真直という少年の事を、彩音さんはずっと楽しそうに話していた。
彩音さんの話によると、7年前にその神楽崎真直という小学生の少年と当時高校生だった彩音さんとは『神楽崎真直が20歳になったら結婚する』という約束をしたらしい。
どう考えても子供の約束で信憑性など無さそうだが、彩音さんは本気でその真直くんとの約束を信じていたようだった。
『真直くんはね、笑顔がとっても可愛くて、や、優しくて……私の、王子様なんだ――』
そして何より、その神楽崎真直の事を話す時、彩音さんはとても幸せそうだった。
そうして毎日彩音さんから世間の話を聞いているうちに、私はいつしか夢を見れるようになった。
ずっと暗闇にいた私の世界に彩の音が咲いたのだ。
窓の外から鳥の羽ばたく音が聞こえれば、その鳥がどこに行くのか想像した。
彩音さんが愚痴をこぼす患者はどんな顔をしているのだろうか――きっと不機嫌そうで卑しい顔をした人間なのだろう。そんな事を想像した。
近所の公園で花が咲いたと聞けば、その花はどんな花なのか想像した。
鼻歌を歌う声が廊下から聞こえれば、その人の心情を想像した。
そうして私は、眠りながらこの街一つ分の世界を創造した。
そしてその私の創造した夢の世界で暮らす人々の事を私は想像し、楽しんだ。
動けずとも、行き交う人々を想像する事は真っ暗な世界で過ごしている時よりもずっと楽しかった。
けれどそうして楽しんでいるうちに、私には一つ“夢”が出来た。
私もこの世界で、一緒に過ごしてみたい――
それが夢の世界で願った私の夢だった。
私も一人の登場人物としてこの世界の人々に関わりたくなったのだ。
だから私はこの現実を模した夢世界とは違う、もう一つの世界を創造した――私が神経萎縮性鈍化睡眠症を患う事なく、普通の17歳の女の子として幸せに過ごす世界を。
私はその夢世界で、クラスメイト達から頼られるクラス委員長というキャラクターになりきり、過ごす事にした。
現実世界ではずっと寝たきりで、皆から気味悪がれ友達などいなかったから、一度くらい友達が欲しかったのが理由だ。
そしてその夢世界を創造する上で、私はもう一つ創り上げたモノがある。
それは、どんな理由があっても私を愛してくれる理想の王子様だ。
クラス委員長である私とはあまり仲は悪くないし、素行の悪い問題児であるが、困難の末、私と結ばれ、私を愛してくれる理想の王子様――私はそのキャラクターを、
“二階堂歩夢”と名付けた。
彼の言動や正確の設定は、眠りにつく前に読んだ少女漫画の男の子からそのまま取った。
名前の語感が何処となく彩音さんの話に出てきた“神楽崎真直”と似ているのは、私が彩音さんの乙女心に惹かれたというのに他ならない。
私も彩音さんのように愛すべき対象、そして愛してくれる対象が欲しかったのだ。
そうして私はこの創造した夢世界でクラス委員長として、私は現実でできなかった学生生活を謳歌した。
文化祭では、クラスメイト達と協力し一つの事を成し遂げた。
修学旅行では、同室の女子達と恋バナをして夜中まで盛り上がった。
放課後には、テニス部で体を動かしとても良い汗をかいた。
そして卒業式の日――二階堂歩夢と私は、必ず恋仲となった。
そしてその卒業式の夜、私は眠りにつくと再び最初の高校2年生となり、この世界で再び幸せな学生生活を送る。
私は夢の中でその夢を何度もループした。
何度も、何度も、何度も……数千回、数万回……。夢だと忘れてしまう程に、その夢での生活は楽しく、満ち足りた日々だった。
そうしてもはや気の遠くなるほどのループをし続けていたある時、、ふと、私はとある違和感に気付いた。
この夢の中の夢世界に、私の知らない登場人物が現れたのだ。
最初は私の無意識が作り出した二階堂歩夢のような、架空のキャラクターなのかと思った。
だが、それは間違いだった。
『なんだよお前、話しかけないでくれよ。俺は無くし物を探すのに忙しいんだ』
その人物は、私を拒絶した。
私が創造し、私の為に存在するこの世界では、それはあり得ない事象だった。
だから私は、委員長としてのキャラクターで過ごすのを一度やめ、この世界の不純物である彼を観察することにした。
だが彼は特段目立った行動はしなかった。
ただただ毎日河原で石を収集しては捨ててを繰り返しているだけだった。
分かった事はただ一つ。
彼の名前が『六道華蓮』という名前だと言うことだけだ。
そうして六道がこの世界に来てから数週間が経った頃だ――
六道は忽然と、この世界から突然姿を消した。
町中を探し回ったが、彼の姿は本当にどこにも見当たらなかった。
だが一つ、彼が毎日通っていた河原――そこに置いてあった透明なガラスケースの中には、水流で綺麗に丸く削られた真珠のような丸石が入っていた。
彼は一体何だったのだろうか。
そう疑問に思ったちょうどその時、私の頭に現実世界の看護師の声が響いた。
『509号室の六道華蓮さん、今朝亡くなったって』
『え?あの心臓発作で倒れて意識不明だったっていう物理教師のお爺さん?』
『そうそう。倒れてからの5日間、ずっと危篤状態だったんだけど、ついに駄目だったって……』
『そうなんだ……趣味で探してたっていう丸石、見つけられなくて残念でしょうね……』
『そうね。ダヴィンチの作り出した神秘の法則に匹敵する石を探すって意気込んでだもんね……』
私はその二人の看護師の会話に耳を疑った。
もちろんその理由は、六道華蓮が現実に存在するという事が分かったからだ。
死者の魂が、私の夢世界に迷い込んだ?
私はそう仮説をたてた。
やがて私ののその仮説は当たっていたという事は証明される事になった。
六道華蓮が消えてしばらくした後、再び私の知らないキャクターがこの世界に現れたのだ。
そうしてその人物は必死に何かを探した後、いつの間にか六道と同じように姿を消した。
そうしてしばらくすると、現実の私の耳に、その人物と同姓同名の人物の訃報が届いた。
この夢の中の夢世界では、死者の魂が混ざる――
それが確信となった時、私はこの夢世界に現れる存在達を“いずれ消えゆく迷い人”と名付け、この世界に害をもたらす存在か判断する為、観察する事にした。
それからヴァニタスたちの観察の日々が続き、この世界に訪れたヴァニタス達の数が両手で数えきれなくなった頃、私はその迷い人達のとある法則性に気付いた。
一つ目、彼等は誰一人変わりなく外の世界で今まさに死を迎えようとして、意識の無い者。
二つ目、そしてその迷い人達は必ず、私の入院するこの霞ヶ浦第三病院に入院している患者という事だ。例外は無い。
きっと私のこの夢の中の夢世界の存在は限定的であり、この病院の外の人達までへは届かないのだろう。
そして最後に三つ目。これが、一番重要な事だ。
その重要事項とは――ヴァニタス達は、この世界に干渉する気は無いということだ。
生前にやり残した事を追い求め、私の知らない所で奮闘し、そして満足すれば勝手にこの世界から消えていく――ヴァニタス達はそういう存在だった。
だから私は、ヴァニタスの存在を無視する事に決めた。
たとえ死者が混ざっていても関係無い。私が幸せでいられるならそれでいい……。
それが私の出した結論だった。
そして私はヴァニタス達の観察をやめ、また『クラス委員長の三日月弓流』というキャラクターに戻って、この世界の住人として役割を演じた。
そうして、また自分が夢の世界の住人である事を忘れた頃だった。
アイツが私の前に姿を現したのは――
『羨ましいな。アナタはこんなに良い世界を持っていて』
そいつは人間の形をした黒い影だった。
砂を口の中で潰したような濁声で気色悪くその影は話す。
『私には体が無い……。だからこの世界に干渉出来ない……。けど、すぐに私の体がやってくる。そうしたらこの世界を私にちょうだいね』
そう言うと、影は風と共に何処かへ消えていった。
不気味な奴だ――
その時の私はその影の事を、その程度にしか考えていなかった。
だがその影が言っていた事が本当だったと気づく事になったのは、そのすぐ後の事だった。
影が私の前に現れてから1週間後――この世界で5月1日の出来事だ。
「ああぁぁぁああああ――ッッ!」
血飛沫が舞い、空に赤い血が舞う――
二階堂歩夢が、私と同じ高校生の姿をした夏川彩音に殺された。
「あ、あぁ……ご、ごごごめんなさい……わ、わわ私……私……」
刺した少女が夏川彩音だというのは、独特の吃り癖から瞬時に理解した。
けれどどうして彼女がここにいるのかが分からない。私は彩音さんをこの世界のキャラクターとして創造していなかった。
だがそう私が疑問に思ったのと、現実世界の声が聞こえたのはほぼ同時った。
『急患です。刺されたのは神楽崎真直さん。そしてもう一名……加害者である夏川彩音さんが持っていた包丁で自死を図り、意識不明の重体です!』
私は耳を疑った。
あんなに良い人だった彩音さんが人を刺してしまった事を、そしてその刺した相手が彩音さんの愛していた神楽崎真直という少年だった事に――
「あははははは!彩音!よくやったわ!最高よ!」
直後、状況にそぐわない程の明るい高笑いが響いた。
「久しぶり――戻ってきたわよ。三日月弓流」
彩音さんと同じ顔をしたその少女の言葉を聞いて、私は瞬時にその少女がいつの日か会ったあの黒い影だというのを理解した。
「おいおいボーッとしてないで、早く生き返らせなよ。そして早くまた殺しておくれ。僕は人が死ぬ瞬間を見るのが1番好きなんだから」
もう一人、彩音さんと同じ顔をした少女の隣に、長髪の不気味な男が何処からともなく現れた。
「い、いい嫌です!ど、どうして生き返らせて、また殺すなんて……そんな酷い事、するんですか⁉︎」
彩音さんは泣き出しそうな表情でそう訴える。
するとその男は、氷のような冷たい眼差しを彩音さんに向け睨んだ。
「はぁ……?それがキミの贖罪だからに決まっているだろ」
「しょ、贖罪……?」
その彩音さんの言葉に、今度は女性が口を開く。
「そうよ。贖罪――人を殺めた貴方が神様に許して貰うためには、永遠に地獄を経験してもらうしかないの。最愛の人を自分の手で殺し、最愛の人を自分の手で救い、最愛の人を自分の手で再び殺す――これこそがアナタの贖罪」
そう言って彼女は楽しそうに微笑んだ後「『蘇らせろ』」と彩音さんに命令した。
「あ、あぁ……!いやぁ……!」
彩音さんは拒絶するが、彼女の意思とは関係なく、彼女は二階堂歩夢を蘇らせる。
そしてすぐ、
「『殺せ』」
少女の命令により、彩音さんは体を操られ、二階堂歩夢の事を刺し殺した。
「『蘇らせろ」
再び少女が彩音さんに命令する。
「嫌……ッッ!もうやめてッッ――!お願いッッ!」
彩音さんが絶望の顔を浮かべ、絶叫した。
「やめろッッ!」
私は黒髪の少女に向かって叫んだ。
「お前達は何者なんだ!土足で私の世界に踏み入り、このような事を……私の世界から即刻出ていけッッ!」
激昂する私に、クスクスと少女と長髪の男は笑った。
「私は魔女――この“死者と夢が混ざる世界”の支配者よ」
「ふざけた事を言うな!この世界は私のモノだ!」
「『消えろ!』」
と私は魔女に命令する。
すると魔女達の周りに巨大なブラックホールが現れ、彼女達を飲み込もうと引力によって引き寄せる。
この世界の創造主である私は、この世界を自由に操る事ができる。
そのはずだった。
「『拒絶』」
魔女がそう言うと、ブラックホールがガラスのように割れ、粉々になった。
「なっ――⁉︎」
動揺する私に追い打ちをかけるように、魔女は言葉を紡いだ。
「『跪け』」
「ぐっ……⁉︎」
突然体が重力なもので潰され、私は両膝を地面につき拘束された。
「『どうして創造主である自分より、お前の方が能力を上手く使えている?』とでも言いたげな顔ね」
と私の方に近づきながら魔女は微笑を浮かべた。
「私はこの世界を夢だと知覚している。何千回とこの世界で過ごし、夢の中の登場人物となってしまった貴方よりも、私の方が支配者としての能力を扱えるのは当然のことなのよ」
「……キミは何なんだ。こんな事をして、一体何が目的なんだッッ!」
「目的……?」
と魔女は彩音さんと同じ顔で可愛らしく首を傾げた。
そしてややあってから、口を開いた。
「そんなの決まっているじゃない。夏川彩音に絶望を与える事よ」
「夏川彩音に……絶望を?」
「そうよ。だからあの子の一番辛い事をさせているの。あの子が現実世界で愛していた神楽崎真直――こっちの世界では二階堂歩夢という存在であるみたいだけれど、その子を自らの手で殺め続けさせる事で、あの子に最大の絶望を与えるの。それが私の目的」
私は言葉に詰まった。
彩音さんの愛していた神楽崎真直に寄せ、二階堂歩夢を創造してしまったばかりに、二階堂歩夢と神楽崎真直のヴァニタスとが歪な形で繋がってしまった事に。
そのせいで二階堂歩夢が魔女の策略により殺される事になってしまった。
「大丈夫よ。どうせ貴方もすぐに自分の本当の姿など忘れ、どうでも良くなるわ」
と魔女は微笑む。
「私は貴方には興味は無い。今まで通りずっと幸せのままでいられるの。だから心配なんてする事ないわ」
「『眠れ』」
魔女は最後に、私にそう命令した。
「おやすみ。三日月弓流――」
薄れゆく意識の中で、私が最後に聞いたのは彩音さんの絶叫だった。
そしてそれから、魔女と続木は彩音さんに絶望を与えるだけでは飽き足らず、この世界のルールを書き換え、ヴァニタス同士が自分達の寿命を伸ばすために争うように仕組み、戦わせ、その悩む姿を見て楽しんでいた。
だが最後には二階堂歩夢を彩音さんに殺めさせ、そしてまた一から、死のループを始めるのだった――




