幕間の物語<讐章 残火累葬>
―――ここは羨望ひしめく常夏の都市。一年を通して温暖な気候で知られるその地域に目を付けたある商団が50年ほど前から開発を行い、今や都市有数の観光地となるほどまでに発展した、争いとは無縁の平和な場所。
とある依頼でたんまり金を稼いだ俺達は海辺のある砂浜で屋台を開き、生計を立てていた。観光地の出店なんてシーズンを過ぎれば、あまり金を稼げないと思われがちだが、年中を通して観光客が訪れるこの都市じゃそんなものは関係ない。
毎日のように数千人の観光客が案内人に連れられて観光巡りをしていたり、金持ち連中がバカンスに来たりで年がら年中大忙し。三人の兄弟で切り盛りするには十分すぎる程の人の量で溢れた海の家、濃厚なソースの匂いと甘いソフトクリームの匂いが充満したその場所で今日も俺達は生きていた。
「―――兄ちゃん!!四番席で焼きそば4個とソフトクリーム2つ、あと激辛飯も一つ!!」
「あいよ」
「ラル兄さん、7番席には僕が持っていくよ」
「おう」
お日様が頂点に立つ昼頃というのもあってか人で溢れる海の家『珊瑚の入り江』は独特な雰囲気の三兄弟が切り盛りする名店として名を馳せており、長男のラルが料理をし、次男のリルと三男のレルが主に料理の提供や注文を行い、今日もまた同じようになんて事のない日々を過ごしていく。
「すみません、注文よろしいでしょうか」
しかし、その日は珍しく厨房に立つラル自身に注文を行ってくるある少女が居た。
本来であれば接客は顔も良くて頭も良いリルや、人に好かれやすいレルの仕事であり、不愛想な自分には不得手だからという理由で厨房から出てこない彼にとって、一週間で何度とない機会。
しかしわざわざここまで来てくれた少女の言葉を無下には出来ず、男は表情を変えないままに少女へ向き合った。
「見ない顔だな、そのバッチは観光案内人のものだろう。...新人か?」
「は、はい。ついこないだ入ったばかりで今は先輩の仕事を近くで見て勉強している最中です」
「そうか、あまり気負い過ぎるなよ。この都市の人間は比較的温厚だが、観光客の中には余裕のない者も居る。何かあればすぐにその先輩とやらに...」
「兄さん、注文。その子も急にたくさん話されても困るでしょ」
料理の提供を終え、空いた席から皿を下げに来たリルが話し込む兄の姿と困り顔で立つ新人の観光案内人の少女を見て、両者へ助け舟を出しに来る。
「ム...そうだな。すまん、注文を聞こう」
「じゃ、じゃあ激辛飯を一つ下さい」
「......。ああ」
世の中には物好きも居る。冬にアイスを好んで食べる者、夏だからこそ辛いものが旨いと言う者。前者は分からないでも無いがこんな蒸し暑い中で辛い物を食べたがる人間などそうは居ないだろうと思いながらも来客者のアンケートを頼りに激辛飯なるものを考案したが、これが予想以上に売り上げを上げている。
世の中分からないもんだと思いながらも男は農業都市から仕入れた香辛料と今朝採れたての魚介を使って料理を行い、先に四番席の注文を全て作り終えた後、少女の下へ料理を自ら運びに行く。
「注文の激辛飯と、これは当店自慢のビーチドリンクだ。暑い日にはぴったりの飲み物だろう。サービスだ」
「え、そんな悪いですよ」
「遠慮するな、うちでは新人には毎回サービスで何かを出すことにしているんだ。お前だけじゃないさ」
「...ありがとうございます」
そう、こんなのもなんてことの無い日々の一環。―――あの時の犠牲を糧に得た、俺達の日常に過ぎないのだから。
◀▶ ・ ◀▶ ・ ◀▶ ・ ◀▶ ・ ◀▶
夕方、人の出入りも少なくなり水平線の向こうで沈んでいく太陽を見ながら男は一仕事を終えた兄弟にねぎらいの言葉を掛けに行く。
「リル、お疲れ様。今日もよくやったな」
「兄さんこそお疲れ様」
そういって差し出されたドリンクを手に取り、空いた席で休息を取り始めるリルを確認したのち、次いで砂浜で海を眺める三男のレルへ夕食に差し障りない程度の量の焼きそばを渡しに行く。
「レル、今日も海を見ていたのか」
「...兄ちゃん。いやあ!!今日も俺達頑張ったね!」
「あぁ、お前の愛嬌は誰かの役に立っている。今日のお客さんもお前は可愛くて、良い子だと口を揃えて言っていたぞ」
「―――良い子...?そっか、なら良かった!!」
そう言って常夏の太陽にも負けない笑顔を見せるレルの頭を撫でて、ラルは看板を下ろし、厨房の片づけを行い始める。10分程して、小休憩を終えたリルとレルも加わり、店内の清掃を終えて店を後にする頃には時刻は18時を回っていた。
帰路につく三人はなんてことの無い会話をなんてことの無い日常の終わりにして、家についてすぐにラルの手料理を食べ、一日の疲れを癒すように湯船についた後、眠りにつく。
「......」
リルとレル、二人の弟が眠りについたのを確認してラルはこっそりベッドから抜け出し、街へと向かう。こうでもしないと二人は一緒に付いてくると駄々をこねて仕方ない為寝入りを見計らって家を出るのだ。
一番下のレルは16、次男のリルでも今年で19歳となり両方とも別に夜の街に出ても何ら問題ないのだが、やはりそこは兄としての心配心が勝ってしまい、なかなか二人を連れ出すことが出来ず、ラルは一人こうしてナルフリドを呷る。
「...どうした、そんなに飲むなんて珍しいじゃないか。ラル」
すっかり行きつけになったこじんまりとした飲み屋の中でラルの様子を気に掛けた店主が質問し、ラルは机の上に突っ伏しながら赤くなった顔で呆れたように笑う。
「俺は、あの子達の兄貴として何もしてあげれていない。リルはあの年で俺よりも頭が良いし、レルは人に好かれやすいのもあって客の中では評判だ。俺だけが浮いているような気がしてならないんだよ」
「そうかい?あたしから見りゃあ厨房で鍋を振っているお前さんも十分魅力的だと思うけどねぇ」
「そりゃあ婆ちゃんから見れば俺達は皆子供みたいに見えるだろうさ。けど、俺だって自分の事は自分で分かってる。多分、居ちゃいけないタイプの人間なんだ。少なくとも、あの子達の兄貴には絶対なっちゃあいけなかった」
思い出す、赤と煤に塗れた過去の記憶。
決して許されてはならない罪、取り返しようのないものを奪って、その結果手に入れた安寧を享受してもきっとあの子達は幸せになれない。そんな当たり前のことを分かっていても、男は誰かの不幸の上に成り立つ幸せを選ぶ事しか出来なかった。
「過去に何があろうといまのお前は十分に兄貴をやれているよ」
「...そう、かなぁ」
次第に睡魔へと誘われ首を落とすラルの背に小さいブランケットが掛けられ、その小さな寝息が聞こえ始めた頃、一番左の席に座っていたフードを被っていた少年が立ち上がり、勘定を済ませる。
「お客さん、ちょっと額が多すぎるよ」
「いえ、ご飯、とても美味しかったので受け取ってください。...どのみち、使い道のないお金ですし」
置かれた数枚の銀貨を見て店主が受け取れないと返そうとするもそれを跳ねのけられ、少年は店を後にする。恐らく16は超えているのだろうが、それでも若者が利用するには少々古臭すぎる店のどこが良かったのかと考えながら店主はその後ろ姿を見送るしかなかった。
「あの年で随分気前がいいのねぇ」
「金があぶれて仕方の無い商人の息子とかだったのかね。それでも何というか...」
料理を提供した時に感じた違和感。厨房で嗅いだことのある、何かの焦げたような匂いが一瞬したのを老人は覚えている。それだけじゃない、逆さにした鶏を絞める為にその首筋の頸動脈を切った時に嗅いだ鉄のような匂いと、どこか不気味さを秘めたその眼差しを思い出し、店主は常夏には相応しくない冷ややかさに身震いした。
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「―――ラル、そろそろ店仕舞の時間だ。今日は久々の休みなんだろう、家で弟達とゆっくり過ごしたらどうだ」
夜も更けて時刻が4時に差し掛かったまだ朝と言うには暗すぎる早朝の頃、体を揺さぶられて起こされたラルは寝ぼけ眼で勘定を済ませ、家に戻り、何事も無かったかのように二人を起こさぬよう定位置である左端のベッドに横になり、再び迫りくる睡魔に身を委ねて目を閉じる。
―――そして、夢を見る。夢にまで見る、遠い昔の出来事を。
焦げ臭い、誰のものかも分からない死臭と立ち上る屍を焼く人の業が為す灼熱によって生み出された炎の柱。木造の家が支柱を失い、崩壊していく最中、そこに倒れる男の死骸と物言わぬ母を見て子供が泣いている。
その地獄のような光景を造り上げたのは間違いなく自分達で、二人の弟は自分達の手を汚したことに対して何の疑問も持っていない。
俺達は幼くして両親を亡くし、親父の残した借金を返す為に子供でありながら裏稼業に手を出した。
動機は至って単純だ。そうするしかなかったのと、俺達のような子供でもナイフさえ握ってしまえば自分達よりも二回りもあろうかという大人にも太刀打ちできるから。
普通に働いたのでは返すのに十何年もかかり、そんなことに時間を掛ける程の余裕も、義理も無い。ただ当たり前のように訪れる不幸に対し、せめてもの抵抗とばかりに少年たちは長い反抗期を迎えた。
―――初めに、命に付いて考えたのは男が17になったある日の事。
傭兵として駆り出された戦場で弟達と同じような年齢の子供達が武器らしい武器も持たずに虚ろな目で行軍する姿を見た時だ。
東と西に別れ、都市の領土を奪い合っていたその都市では内部戦争は日常の事で、長期の雇用で十分な金を受け取れるという理由だけで俺達はその内部紛争で東側領土に加担した。
潤沢な資金のある東側領土に対し、西側の領土はその土地の4分の1程が作物も育たない砂漠地帯であることから食料面でも、生産面でも東側領土に後れを取り最終的には老人から子供に至るまで戦争に駆り出した。
しかしそれが教会の琴線に触れ、西側領土を治めていた貴族が大司教の手によって一族郎党、一人残らず殺害されその実権が完全に失われるまでにおおよそ二千を超える子供達が戦場で死んだと言う。確認できただけでもそれだけの数だ、恐らくはきっとそれ以上の子が何も知らぬままに、飢えたまま、愛を欲したまま死んでいった。
生まれが違ければ弟達もそのようになっていたのかもしれない。そう考えた瞬間に男は世界の見方を180度変えた。奪って当たり前の世界から、奪うに能うだけの理由を男は世界に求め、血に濡れたその生涯を払拭するように、しかし最早後戻りなど出来ない事を知りながら悪事に手を染め続ける。
ある夜読んだ本によると、何でも世間では如何なる理由があっても人を殺してはいけないのだと言う。古臭く年季を経てくたびれた誰のものかもしれないその本を読んで、男は思った。
本当にそうなのだろうか、と。
少なくとも、あの時物言わぬ子供達を戦場に駆り出した西側領土の貴族連中には死んでもいいだけの理由があったように男は思った。そして、平和を目指し、統一による安寧を享受がせんが為に無垢な子供を手に掛けた人間達もまた、その生涯を呪い、戦争が終ろうと一生その過去に囚われ続けるだろう。
「兄ちゃん!今日は三人も大人を殺したよ!!そしたらね、一緒に戦ってた人達が皆言うんだ。『お前は良い子だね』って。―――僕、今日も良い子になれたよ」
「レル...」
物心がつく前からナイフを握っていた三男のレルは道徳心が著しく欠如しており、それ以上に愛に飢えていた。他者からの評価、主に戦場を共にする傭兵仲間からの言葉に固執し、敵を殺す様は乳を求める赤子のようで、今更お前達には生き方を変える事などできないんだぞと、男に知らしめるように二人の兄以上の戦果と鮮血を上げ続けていた。
「レル、兄さんも帰って来たばかりで疲れてるんだ。ほら血を洗い流さないとまた匂いが取れなくなる」
レルの手を引いて質素な部屋に備え付けられたボロい浴室へ向かうリル。三兄弟の次男として少しでも兄の力になるべく知識を身に着けていた彼は幼くして自身の行いが世間一般で言うところの悪と認識しながらも、それでも愚かな兄を信じてその後を追いかけるように付いて回っている。
それゆえにラルの苦心にも気づいており、その傷に少しでも寄り添おうとしているのだろうか。笑顔で他者の命を奪ったことを報告するレルの世話をここ最近男に代わり引き受けている。
きっと、自分の弟に生まれて来なければ優秀な魔法使いや、もしかしたらかの有名な学院都市で教鞭を取っていたかもしれない。
その後悔が、そのもしもの光景がここ最近脳内から消えてくれない。昔は傭兵家業に没頭すれば忘れられていた無駄な思考にため息をつき、今日の仕事で得た銀貨と銅貨を数える手が僅かに止まる。
「...俺は何をしてるんだ。お前が逃げる為に利用したんだろ、ラル」
言い聞かせるように呟くラルはリルが持ってきた複数枚の依頼書へ視線を移し、その中の一枚の紙きれに書かれたある一文を見て、数秒程目を奪われる。
「報酬、白銀貨35枚...?」
傭兵家業の中でも下っ端に位置する自分達に手渡されるような額ではない報酬量に一瞬目が眩むが、こういうのは大抵報酬を支払われぬまま依頼主が雲隠れするか、そもそもが依頼としても怪しいような人体実験や体の一部を売る事が前提の人集めの文言に過ぎない。
それこそ考えるだけ時間の無駄だと視線を銅貨を集める手に戻そうとした時、古びた一軒家の隙間を通った風がその依頼書の上にあった数枚の紙を動かし、その下に隠された依頼主の名前を露わにさせる。
『依頼者 機械都市総取締役ナゼッタ・カルナイサ』
仮にも都市を治める人間による依頼、裏稼業にそれを流す時点で表沙汰には出来ないことなのだろうが、同時にその依頼の安全性も一定量担保されると言って良い。なんせ、大抵そういう人間は情報が外部に漏れるのを嫌がり、多額の口止め料として対価を払い、信用、或いは何かあった時に対処できる人間のみに依頼を行う。
恐らくは実力も浅く、金を欲しているラル達を知っての斡旋者による負の信頼によるもの。だが、同時に男はこれまで見ることの出来なかった暗闇に一寸の光を見る。
「残りの借金は20白銀貨と4金貨。払い終えても手元には14枚の白銀貨と6枚の金貨が残る。それだけあればどこかの都市で三人で...」
もしもの未来で大勢の人に愛され笑顔を振りまくレルの姿と学院都市で魔法や歴史を学ぶリルの姿を思い浮かべた男は、これまで数えていた銀貨の枚数さえ忘れて、救いを求めるようにその依頼書に手を伸ばした。
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依頼書には謀反を企てるとある組織の解体とだけ記されており、依頼を受ける者は斡旋した者から渡航費用と行き先の情報を受け取りその依頼を行う都市に向かう。
皮肉にも、その依頼者が提示した場所はラルも良く調べていた学院都市であり、数奇なこともあるものだと思いながら男は揺れる馬車の中で二人の弟と話をする。
「今回の依頼はこれまでにない大口の案件、ともすれば評価が上がり今後の依頼にも関わってくるだろう。だが、最優先は自身の命だ。これだけは変わらない」
「学院都市内で謀反を企てる組織の解体...。どうして依頼者は学院都市の人間では無いのに大量の資金を投じてまで依頼をしたのでしょうか」
「...恐らくだが、その組織に情報が流れるのを恐れたのだろう。仮に内容が『学院都市で謀反を企てる組織の解体』と明示していたのなら、何かしらの手段で依頼書の存在を知られた場合に逃げられる恐れがある。その者達が一堂に会する情報を入手した学院都市の統括者はその日に解体を行うつもりなんだろう」
誰一人として生存者は残さない、その決意の表れとも言えよう。だからこそ機械都市の統括者の名を借り、相手に悟られぬよう事前まで依頼場所を秘していた。そこまで入念に手を打っているのだ、この依頼は間違いなく人を集める事を目的とした偽の依頼ではなく、暗殺或いは武力による完全な制圧を前提とした本物の人殺しの依頼。
しかもその組織は都市の転覆を企て、大勢の人間を不幸にする死んでもいい人間の集団だ。心を痛める理由はなく、人を殺す為の理由も十全に満たしているだろう。
「...もし、この依頼が成功したらしばらく休暇を取ろう。三人でどこか遠くの都市へ行きバカンスでもして、ゆっくりと一日一日を満喫し、その後の事を考える。ようやく、糞ったれの親父から解放される時だ」
覚悟を決めた兄の姿にリルは安堵したように笑い、レルは初めて乗る馬車から見る外の景色を楽しそうに眺めながら、一行は学院都市に到着する。
「わあーーーーーー。すっごい人の量!!」
ついてすぐに行きかう人々の量に圧倒され息をのむリルとは対照に、レルは興味津々と言った様子で大声をあげ、通行人の目を引く前にレルの手を引き男は提示された宿に向かい、時間が来るまでの時間を潰すことにする。
「ねぇねぇリル、どうしてあの子供達は同じ服を着ているの?」
「あの服はね、制服と言ってその組織に所属している事を示す証みたいなものなんだ。僕等で言う戦場で敵味方の判別の為に付けるスカーフみたいなものだよ」
「じゃあじゃあ!!あの人たちは皆どこに行こうとしてるの?」
「学校さ、そこで将来大人になる為のお勉強をするんだ」
「僕、勉強きらーい」
初めて見る景色に疑問が尽きないレルと、本でしか見たことがない景色を実際に自分の目で見て興奮を隠しきれないリルが楽しそうにベッドの上で会話する中、男は椅子の上で肩肘をつけ、その光景を微笑みながら見守もり続ける。
そうして時刻は依頼にあった18時に差し掛かり、時計を確認したラルは二人を連れて提示された通路を通り、地下へ続く階段とそこで立つ二人の衛兵を発見する。
「ここは今工事中だ、ガキ共。さっさと帰りな」
出会って早々に門前払いを喰らいそうになりリルが戸惑いを見せる中、ラルは依頼の斡旋者から聞かされていた合言葉を口にする。
「あぁ、そう言えばネズミが出たと聞きました。ここがそうだったんですね」
「......お前ら、出身は?」
「機械都市南西の街システルニーナ」
現実の機械都市には存在しない街の名前を聞き二人の衛兵は顔を付き合わせたあと、一人の男が顎で中に入れてやれと若い衛兵に命令する。
「通れ」
一瞬怪訝そうな顔をし、道を開けた若い衛兵の横を通り地下に続く階段を下りていき、足音のよく響く一本道の地下通路を歩いていると、やがて少しばかりの人の喧騒と、自分達とは別の行きかう足音が聞こえ始め、三人の前に大きな地下空洞が姿を現す。
そこには簡素な木製のステージだけが置かれ、おおよそ100名ほどの人間が集められている。恐らくは彼等も自分達と同じように依頼を受け、集められた裏稼業に属した人間達。中には顔馴染みの傭兵も何人か居り、この依頼が正規のものであると確信したラルが緊張を解き肩を落とすと、その肩を軽く叩いて話しかけてくる男が現れる。
「よお、ラル、リル、レル。お前達もこの依頼を受けたんだな。ま、当然っちゃ当然か」
顔を両断するようにある大きな切り傷の痕が特徴の大柄な男。見知った人間に片っ端から話しかけていたであろうその男は近くに居た傭兵との話に区切りをつけ、軽く手を振りながら見送ったのち、再度ラルの方へと向き直ると嬉しそうに口角を上げ、その犬歯がむき出しになる。そんな気さくな男の仕草に懐かしさを覚えたラルも同じように笑いながらその名前を呼んだ。
「ガウストさん、お久しぶりです。東西戦争に居なかったので傭兵家業は辞めたものと思っていましたが戻ってきてたんですね」
「あんときは嫁の病状が安定してなくてな。娘一人で看病させるにはあまりに酷ってもんで、俺も家に居ざるを得なかったのさ。でも最近じゃあ少しずつ良くなってきてんだぜ。そこでこの依頼が俺んとこにも回って来た。これに成功すりゃあ、たんまり稼げて家族との時間も取れる。まさに一石二鳥ってやつだろ?」
傭兵家業に仲間入りし、まだ日も浅い頃、当時まだ小さかった自分達を気に掛けて何度か家にも招かれた事もあるほどに親密な関係を築いていたガウストに出会い、少し安堵した様子でラルは小声で話を続ける。
「この依頼、どう思いますか?」
「まあ若干怪しいとこもあるが機械都市の名前とコネまで使ってやがんだ、相当依頼者は頭に来てるみてぇだな。しかしまぁ、あんまり良くない噂もあるみてぇだが...」
「良くない噂、ですか?」
「いや、俺もついさっき聞いた話なんだけどよ。この都市を治めてる理事長さんが居なくなって、実質今の学院都市の実権を握ってんのは副理事長ってやつらしい。そいつがまあ、あんまり評判が良くないみたいなんだよ。―――ま、噂は噂だ。気にしてもしょうがねえ、お互い頑張ろうぜ」
そう言って手を突き合わせ離れていくガウストを見送ってすぐ、急ごしらえの壇上に一人の男が立つとまばらな人の声が一瞬にして静寂に変わり、その視線がその男へ向けられる。
とてもではないが強そうには見えないひょろっちい体格で、薄い髪の毛が特徴のその男はどこか怯えた様子で辺りを見回し、挙動不審な素振りで自身が出てきた舞台袖をちらりと見ると意を決したように瞳を閉じ、口を開けて上を向く。
これほどの数の傭兵、暗殺者が一堂に会しているのだ。多少怯えても何ら疑問には思わないがそのあまりに弱々しい態度の男にラルは一抹の不安を覚え、握っていたレルの小さな手に僅かに力をこめる。
「...えー。では、これから依頼の内容をお話をさせていただきたいと思います。近頃、学院都市内で現副理事長クルスタミナ・ウルビテダ様に対し良からぬ思想を抱く者どもが現れ、ここに集まって頂いた皆さんには彼等と協力し、その首謀者達を誅殺して頂きたいのです」
その言葉を聞き、壇上に上がったのは黒いローブで顔と体を隠した数人の男女と思わしき人間達。しかし壇上へ上がる際に静寂な地下空間に響き渡った機械のような音と、その異質な風貌にこれまでどこか余裕を見せていた傭兵達が一斉に顔を青ざめさせていく。
「...黒服に、義足の集団。こいつらまさかジューグの?」
「おい、おいおいおいオイオイ!聞いてねぇぜお偉いさん、こいつぁどういう了見だ!!そいつらが誰か知ってて俺らに何も言わなかったのかよ!!」
数人の傭兵が驚愕に声を震わせながらも声を上げるが、中には何を言っているのか分からない傭兵もおり、まさにその中の一人でもあったラルの右手を咄嗟に誰かが握り、その握られた手に沿って視線を上げるとそこにはついさっきまで話をしていたガウストが青ざめた表情で立っていた。
「ガウストさん?」
「...てめぇらはここに居ちゃ駄目だ。地上に出て、すぐに人ごみに紛れて馬車に乗れ」
「え?え?」
何が起こっているのかも分からず手を引かれ、その場所から自分達を逃がそうとするガウストが唯一の出入り口である通路まで差し掛かった頃、その行く先を阻むように黒服の集団が現れる。
「兄さん...」
不安げなリルの表情が男を見上げ、目の前では今まさにガウストが道を塞ぐ黒服の集団に対して怒号を上げる。
「こいつらをてめぇらのイカれた企みに付き合わせんじゃねぇ!!見て分かんねぇのか!?9つの奴に、一番年上のこいつでも17だ。まだガキなんだよ!!」
「関係ない。ジューグ様はその者達も作戦には不可欠と仰っている。今更帰すわけにはいかない」
「どこがだよ!?こいつらが三人で掛かってきても俺の方がまだ強ぇ!必要なら俺がこいつらの分まで戦う、それでいいだろうが!!だからよ、頼む。...こいつらだけは地上に行かしてくれ」
最初は怒りに任せ唾を吐きながら叫んでいた男の言葉が最期には懇願へと変わり、その訴えを聞いても尚、表情を崩さない冷酷な黒服の男が襟元を握ったガウストの手を払い、その視線が三人の子供へと注がれる。
「戻れ。そして作戦を聞き、遂行しろ。それだけがお前達に出来る唯一のジューグ様への貢献だ」
出入り口で騒ぐ一人の男とざわめく周囲の様子など意にも介さない様子で壇上に立った黒服の女が依頼の全貌を告げる。その醜悪で、悪辣な、善なる人の心を踏みにじる悪意に満ちた作戦を。
「これより、諸君には学院都市でクルスタミナ・ウルビテダに敵意を抱き、愚かにもその地位を脅かさんとした人間達を私達と共に殺してもらう。勿論報酬に偽りはない、終わった後も諸君らには待機期間も監視期間も設けない。必要であれば追加の見返りも与えるとジューグ様は仰っている。中には機械都市での先端医療の提供、別都市への永住権、教会からの指名手配の撤廃なども含まれている」
先端医療、その言葉を聞きガウストがピクリと肩を震わせリルは提示された破格とも言える条件に反応を示す。
「都市の永住権...。兄さん、それがあれば僕等もまともに...!!」
希望を含み持ち上げた男の弟は見た。壇上で提示された複数の人間のリスト、そこに乗せられた複数の大人と子供の写真、それを見て呆然と立ち尽くす兄の姿を。
「兄...さん?」
何もわからずに手を引かれ首を傾げるレルと、この依頼のどこに悪いところがあるのか分からないリルが自身を見上げる中、男はその瞬間、心の中でこう思った。
―――あぁ、またなのか、と。
◀▶ ・ ◀▶ ・ ◀▶ ・ ◀▶ ・ ◀▶
罰とは、何を指すのだろう。罪とは、誰が定義したものなのだろう。
男が思うに罰とは自身の犯した過ちを正当化する為の理由、或いはその罪悪感を少しでも紛らわすだけの行為でしかない。
であれば罪とは何なのか。それは―――積み上げた死体の山と、そこに横たわる荒れ地を開墾する為の農具しか持たなかった少年少女らの死骸の上に立つ、己を差す言葉なのだろう。
「...う゛ぇ」
領土を巡る戦争において、東側領土を統括する依頼主の元まで真っすぐ進んでいた彼等を見逃す理由は雇われた身であるラル達には無い。自身の手を汚すことを嫌がった東側領土の貴族と兵はその少年少女らに対し、酷く合理的で残酷な決断を下した。
その歩みを止めることは出来ないが、大した武器を持たないのであれば一介の傭兵でも容易に対処出来る。集められた数十人の傭兵は、洗脳されたように襲い掛かるその敵兵を持っていた剣で斬り裂き、銃口を向け、魔法で息の根を止めた。
最期の一人になって尚、止まる事を知らぬ無垢な敵はそこで歩みを止め、その晩その男は手に残った柔らかな肌を切り裂いていく感触に吐き気を催し、誰も居なくなった戦場の片隅で嘔吐する。
「...リル、レル。お前達は、どこに...?今も生きて―――ゥェ゛」
半ば錯乱状態で過呼吸と嘔吐を繰り返すその男を慰めてくれる人間はここには居ない。補給地点として用意されたテントから抜け出し、一人その戦場へと戻った男を今頃野営地の者達は心配している頃だろうが、疲弊した彼等に探す為の気力は無く、雇い主の兵はそのような雑事に手を動かすつもりはないだろう。
「どこに...殺す必要があった。あの子供達を捕縛ではなく殺すことに、何の理由があった!!」
領土を巡る争い、思想の分かれる二つの民族を統一し、真に安寧を目指すというのであればこの悲劇は未来永劫両者に刻まれ続け、幼い子供を手に掛けた事実は再び戦渦を生むことになろう。
そんなことも分からない程依頼主は愚かだったのだろうか。
いいや違う。それだけは断じて違う。戦局を見極め、多くの兵を率いるその男には明確な知性があった。弟達とは違い、何を悪と見做し何を善と見做すのか知っていて、ただ違うからと言う理由だけで戦争に駆り出された子供達をも例外なく敵として扱った。
その目を、覚えている。未来を憂い子を守るのではなく、過去に囚われ敵を討ち滅ぼす事しか考えていない憎悪に溢れた男の目を。
この争いは、正義と悪のぶつかり合いなどではなかった。大義など存在しない、共存など実現しない。どちらか一方を滅ぼすまで終わらない人同士の争いだ。
後の世に民族浄化戦争と呼ばれたその地獄で男は悟る。この世には救いなど一つもない事を。
誰も彼もが何かを得る為に何かを奪い、その略奪と思想が尽きぬ限り世界に平和は訪れない。
―――どれほど焦がれようと、夢に見ようと、男の望んだ兄弟三人で笑って暮らせる未来など、どこにも存在しないのだ。
『こいつら!どこから現れた!!』
『スタンデさん、奥さんを連れて急いでガルナ達に報告を...』
声を聞いた。嘆きを聞いた。都市の平穏を守らんが為に話し合っていた場で突如として現れた黒服の集団により家屋に火を放たれ、仲間達が次々と命を散らしていくなか必死に未来へと繋げんとした彼等の声を。
『スタンデさん!ここは俺達に任せてあんた達は逃げてくれ!!』
『ミクが...。あの子がどこにも居ないの!!お願い、あの子を守ってあげて!!』
目の前で広がっていく業火と、野党紛いの男達により散っていく人の命を男はまるで上から見ているだけの神様のような視点でぼんやりと眺めている。
男がその小さい心の器で許容できる範囲を超えた出来事により、感情と理性は失なわれ、義足の女に言われたままに戦場に立ったその男は最後の任務としてとある夫婦の最期を見届けた。
『...子供!?何で、こんなところに』
『......!!』
『―――アレーナ!!』
実に、有効的な作戦だった。義足の集団と恐怖で従えた傭兵達で周りを取り囲み乱戦状態にし、都市の革命を起こさんと蜂起する者達の中でも特に秀でた力を持っていた男をリルとレルの居るところまで誘導し、巻き込まれた一般市民に扮して配置された二人が革命部隊でもとりわけ優秀かつ脅威を持った魔法使いを殺す。
―――男は見ているだけだった。言葉を発せず音も聞こえない女を庇った男が実の弟の手で殺される様を。
陽動隊として戦線を維持し、二人の作戦の遂行の可否を見届けるべく潜伏。仮に失敗するようであれば次なる手として男達が態勢を立て直す前に奇襲を行う。その役割の為、戦線を抜け出していた彼が見たのは不意打ちにも関わらず凶器を持ったレルを突き飛ばし、妻を魔の手から救い出した男が迷いなく杖をレルに向ける光景だった。
男はその瞬間、作戦の事など忘れ、この距離ではレルを救うのに間に合わない事を悟りながらも走り出す。
―――だが、弟の死は訪れなかった。代わりに見たのは自分達を殺そうとした子供を見下ろす男の悲痛な顔。
突き飛ばし、その口端から血を流すレルの顔に男は何を思い浮かべたのか、数秒間動きを止め、その隙を逃さなかったリルが叫び声を上げながら背後から男の心臓を一突きし、女に覆いかぶさるように男の死体が倒れ込むとその下で女が声にならない声を上げる。
近くまで来ていた男はすぐさま弟達の手を取り、茂みの中に逃げ込み、騒ぎを聞きつけたクルスタミナの息の掛かっていない衛兵たちが到着する前にこの場から離脱しようとした時だった。
『―――――キャァァァァ!!!』
後方から甲高い子供の叫び声が聞こえ、二人の弟の手を引き走っていた男の歩みが緩慢になっていき、その歩みがまるで地面に縛り付けられたように動きを止めると男は理性が見ることを拒絶するのも振り切って、来た道を這いずるように振り返る。
そこには轟々と燃える炎の柱とその中で崩れ落ちていく家屋の前、物言わぬ父の亡骸と廃人と化した女の子供と思われる少年が亡骸に縋り、慟哭にも似た泣き声を上げていた。
少年の両親を奪い、彼を終わらぬ地獄へ突き落したのは間違いなく自分達で、名も知らぬ少年への罪悪感にその光景から目を反らすように両の手に握られた弟達の方を見る。
『...これで、幸せになれるんだ。もう、兄さんも苦しまないで済む』
リルはうわごとのように同じ言葉を繰り返し、レルは目を奪われたように両親の側で泣き続ける少年のことを見つめている。
―――その二人の少年の絶望を最後に男は急浮上する漆黒と、そこに添えられた絶望の一輪を幻視して目を覚ます。
「―――っは。はぁ、ハァ。夢...か」
額を押さえ、滲む冷や汗に不快感を抱きながら男はベッドから出て洗面台へ向かい、汗ばんだ顔を冷水で洗い流す。
寝起きでも鮮明に聞こえる蛇口から流れる水の音とは対照に、朦朧とした視界では夢で見た光景が何度もフラッシュバックし、男は立っている事すら出来なくなり、崩れるように倒れ込みどれだけ洗い流そうとも消えることのない血に濡れた両の手を見る。
「...今更普通の人間の振りか、ラル。お前が導いたんだ、罪を知らないあの二人を―――お前が!!」
勢いよく床を叩きつけ、その痛みに耐えるように強く握られた左手から血が流れ始めると、大きな音を聞いて台所から走ってくる音が聞こえ、洗面所の扉が勢いよく開かれる。
「兄さん!!」
「リル...」
左手から流れ出る鮮血と涙を流すラルの顔を見てすぐにリルは状況を理解し、その体を支えながら居間まで運び、ソファの上に横たわらせながら左手に包帯を巻き始める。
「...ごめん。ごめんなぁ、リル、レル」
数か月に一回訪れる過去のフラッシュバック。様々な教会を訪れ、何度となく禊の儀を行ってもラルを過去の妄執から救い出すことは出来なかった。自分達に出来るのはその痛みに兄が慣れるまでの時間をただひたすら待ち、寄り添い続けることだけ。
―――兄は今も戦場に立っている。誰も居ない無人の荒野の中、独りぼっちで。
...だから。
「大丈夫ですよ、兄さん。今度はずっと側に居ますから」
そのあまりに冷たく、無骨な手を握りしめてリルはその暗がりを灯す炎であれるよう、現実の世界で一人しかない兄に寄り添い続ける。
それこそが、自身の犯した世界で最も許しがたい罪。あの時、ただ兄の後ろをついて回る事しかせず、善悪の基準を兄に背負わせ続けたリルという男がその人に出来る唯一の贖罪だと信じて。
◀▶ ・ ◀▶ ・ ◀▶ ・ ◀▶ ・ ◀▶
ラルの発作が収まり、いつも通りの家族団欒の時間が訪れてから少しして、男はそこにレルが居ない事を疑問に思い、夕食の準備をするリルへ質問をする。
「レルは買い物か?」
「今日はお友達と外へ遊びに行っています。夕方には帰ると言っていたので兄さんが心配しなくても大丈夫ですよ」
「...そう言えば、前にそんなことを言っていたな。そうか、友人が出来たのか」
それはきっと喜ばしい事だろう。これまでリルとラルにべったりなのがおかしかっただけで、普通であればあれくらいの年齢の子供には友人が居り、休日はその人間達と共に過ごす数少ない機会だ。
「お前は外へ遊びにはいかないのか」
「...もう、兄さんってば。レルはまだしも僕はもう19ですよ、もう立派な大人なんですから。それに、僕にはやらなくちゃいけないことがあります。少なくとも、それを書き終えるまでは外で友人を作るつもりはありませんから」
リルが休日の大半を当てるやらなくてはいけないこと。本人からもその話は聞かされており、時折その執筆活動の手伝いをしていたことをラルは思い出し、珈琲を飲み干したカップを机の上に置く。
「...俺達兄弟の半生を書いた自伝か。そうか、もうそんなに時間が経っていたんだな」
そう言って窓へ目を移し、そこから見える海の景色に男は目を細める。
あの日、少年の両親を殺して得た平穏が今の自分達を形作り、どうしようもない悪党を人様を喜ばせることが出来るくらいの人間に押し上げた。
それも全てはあの犠牲が無くては得られなかったものなのだと分かっていても後悔はつき纏い、過去は容赦なく今を蝕んでいく。
「...忘れない事がきっと僕等が命を奪ってきた人達の為にもなります。本にすれば永遠とまではいかずとも、僕等が死んでも少しの間は残り続けられるでしょうから」
コトコトと鍋の中でシチューの煮立つ音が聞こえ、耳を澄ませば小さな波の音が微かに耳を打つ。二人はその時間をまるで今を取り戻していくように会話をし、レルが戻ってくるまでの時間を穏やかに過ごしていく。
やがて時刻が19時を回ると勢いよく玄関の扉が開かれ、陽気にステップを刻みながらレルがリルのシチューの匂いを嗅いで、居間まで訪れる。
「―――ねぇねぇ聞いて!!最近ね、信仰都市って場所で大きな事件があったんだって!!」
帰ってきてすぐ、レルは椅子に座りながらも足をぶんぶんと振り回し、今日聞いてきたであろう話を二人にするため大きな声で話し始める。
「信仰都市と言うと...。あの教会が目の敵にしてる場所か」
「そうそう、そこでおっきな戦いがあってアカツキとかいう人がその戦いを収めたコーローシャ?」
「功労者」
「そう、功労者として教会にショーカイ?」
「召喚かな」
「ショウカン!されて裁判を受けることになっちゃんだって!!」
「待てレル、文脈と話の最期が嚙み合っていない。どうしたら都市を救った功労者が裁判を受けるんだ。きっとお前の友人は途中に他の事も言っていた筈だぞ」
「―――忘れた!」
堂々と胸を張ってそう言い切るレルにリルが吹き出しそうになり、シチューをよそう手が止まる。ラルはと言うと最早呆れを通り越して笑うしかないのか、しかしどこか満足げに微笑んで「そうか」とだけ言い、レルの弾丸のように放たれる話に付き合い、その日もそうしてなんてことの無い夜を迎える。
夕食を終え、レルが鼻歌交じりに食器を洗うなか、ようやく執筆に着手したリルが眼鏡をかけながら思い悩む様子を見せる。
「どうした、何か気になるところでも見つけたか」
「...いえ、どういう風にお話を締めくくるか悩んでいるんです。僕等の過ちを書く以上、最後に幸せそうに過ごす僕等を書くのは違うし、かといってどんな最後にすれば、より誰かの心に残るものになるのかなって」
何でも本人曰く完成までに何度か読み返す内、要所要所でおかしなところを見つけてしまい、その度に手が止まってしまう事があるらしく、ラルは報告書や帳簿を書く以外に字を書くと言う経験が無い為にその事の大変さも辛さも分からないが、リルの助けになるならと何度も相談に乗っており、今日もその類かと思っていたが予想が外れる。
「...まあ、確かに終わり方は大事だな。無理に幸せな終わりを書いても俺達の自己満足に過ぎない話に捉われても仕方が無いし、かといって悲しいまま終わるのでは悲劇としての側面が強くなる。お前が書きたいのはそうじゃないんだろう?」
「きっと、どんな絶望の中にも希望はある。人の根幹には優しさがあると信じたいんです。だから、どうすれば僕のこの気持ちが、想いが見ている人に伝わるのか...」
頭を押さえて真剣に悩むリルにラルがどう声を掛けたらいいのか考えているなか、台所に立っていたレルが二人の兄の間からにゅっと顔を出し、途中まで書かれていた原稿に目を落とす。
「ねぇねぇ何してるの?」
「ん?あぁ、いつのものだよ。リルの書いてる絵本のお話だ」
「そっか!僕はね、海が大好きだよ!パチパチと燃えてるあったかい炎も好きだし、綺麗な景色を見てるとそれだけで楽しい!!だから絵本も大好きだよ!!」
「...どうして、楽しいんだい?」
まるで悩む事など一つも無いと言うようなレルの言葉に、思い悩んでいたリルの顔に小さな笑顔が戻り、弟の持つ純粋な子供としての感性に理由を求めたリルに対し、レルは一瞬動きを止め、窓際まで滑るように移動しその先に在る海の方へ指を差す。
「海ってね、色んな人が死んでるんだって。僕の知る海にはいつも大勢の人が居て楽しそうに泳いでるのに、その底にはその人達と似た死体が沈んでるかもしれない。夜になると真っ暗で怖いのに、朝になるとキラキラ輝いてまるで絵本の中から飛び出してきたみたい。同じ場所なのに全然違うんだ。―――だから僕は海が好き!!」
暗闇があるから光が輝いて見えるように、光があるからより暗がりがその黒を深めていくようにその無垢なる少年はその相反する要素を同時に孕んだ何かを愛していた。恐らく理性ではなく彼自身の本能が導き出したその答えにリルは何かを思い出したようにペンを取り、スラスラと空白の最期に物語を書き足していく。
「...お兄ちゃん?」
「どうやら問題は解決したみたいだな。レル、お前がリルを助けたんだ。それは誇っていい事なんだよ」
そういって男に頭を撫ぜられたレルが嬉しそうに笑い、見上げたその笑顔を愛おしむように目を細めた男が時計を見ると、その秒針は21時を指していた。
◀▶ ・ ◀▶ ・ ◀▶ ・ ◀▶ ・ ◀▶
その日は疲れていたのもあってか気づけば男は眠りについていた。いつも三人で眠る大きなベッドの真ん中、ふと感じた人の気配と居間から香る焦げたような匂いで目を覚ますと時刻は既に23時を回り、あれから二時間ほど経っていたことを男に思い出させる。
「リル...は作業部屋か」
ラルが寝室へ向かい休む前、今日中に作品を完成させると息巻いたリルは海の良く見える小部屋に向かい、レルは時間が来るまで居間で待っていると言っていた。
という事はこの焦げた匂いはレルがまた居間で料理を失敗させたと言うことなのだろう。
料理をする二人の兄に憧れてか度々創作料理をする彼はその生涯の作品の殆どを炭化した食材で終わらせており、その度に深く落ち込んで二か月ほど時間を置き、また創作料理に励み出す。前回は確か一ヶ月ほど前に作ったサラダだったろうか。
レルにしては珍しい原型を留めた料理に感動し、のちに短期メニューとして海の家に登場し、人気を博したレル特製サラダの再販を求める声に応じてまた料理に手を出したのだろう。その結果がこの匂いだとしたらきっと深く落ち込んでいるに違いないと思い男は居間に向かう。
「レル、あまり落ち込むんじゃ...」
扉を開けた瞬間、ぶり返す過去の光景と匂い。男がその短い生涯で幾度となく嗅いできた、血と肉の焼ける咽返すような死臭が鼻孔を犯し、扉の前で立ち尽くす男の前では赤黒い液体が飛び散ったように天井や机の上を濡らしており、より濃い鉄の匂いがした場所に視線を移すとそこには―――。
「レ...ル?」
―――頭部が失われた小さな子供の死体がパチパチと音を立てて燃えていた。
「あ、アァァ!!」
態勢を崩し、後ろに手を付いて倒れた男はそのまま数歩後ずさり、首を震わせながら何度も嘘だと口にする。その度に鼻をツンと刺す血の匂いにむせ返り男は咄嗟に口を手で塞ぐが、消化不良でドロドロに溶けた夕食のシチューが塞いだ手の間から零れだし、我慢できなくなった男の口内から吐き出されていく。
床に手を付き、嘔吐のたびに過るレルとの思い出が胃の中の残留物と共に外へ吐き出されていき、それが吐き出される度に男は必死に寄せ集めるように手で搔き集め、その記憶を手放さんと必死に弟の名前を呼び続ける。
「―――レル、レル、レル、レルれるレルれるレルれるれるレルレルレルゥ!!」
―――消えていく、無くなっていく。積み上げたものが、これまでの思い出が、男が何度も夢想した幸せが時間と共に過ぎ去り、弟を奪い去っていく。
炎はやがてレルの体を焼き尽くして床にまで延焼し、吐き出すものも無くなったあと男は呆然とした表情で立ち上がり、壁に手を置きながらもう一人の弟が居るかもしれない作業部屋まで歩いていく。
これは何かの悪い夢だと、男は自分に言い聞かせるようにボソボソと呟き、リルの待っている作業部屋までたどり着き、そのドアノブに手を掛ける。
きっとその先にこの悪夢を抜け出す為のあの暖かい掌があることを信じて。
「――――――」
そこには、確かに弟が、リルが居た。悪夢を見る度にこの手を握ってくれ、過去の妄執に囚われ続ける男をあの暗闇から掬い上げてくれるペンだこまみれのやや凸凹とした弟の手。それが、一冊の本の上に置かれている。
―――その手首だけが。
そして、空気を入れ替える為か開け放たれていた窓に付けられた白いカーテンが揺れ、運ばれる磯の香りと共に嗅ぎなれたシャンプーの匂いを辿り、震え狭まった視界で男が窓際まで視線を動かすと。
―――そこには居間に転がっていた一部が存在しない子供の死体、その頭部が芸術作品のように飾られていた。
穏やかな顔で死んでいるレルの首の周りには花が飾られ、男はおぼつかない足取りで窓際まで向かい、震えた手で弟の亡骸へと手を伸ばすと、その一秒後、伸ばした手が僅かな熱と共に消失する。
「え...?」
同時に体を支えていた二本の支柱がその先端から切り刻まれていくような感覚と共に男の体が床に投げ出され、両手両足を失った男の脳内に痛みよりもまず疑問を示す信号が送られ、次いで訪れた痛覚が人間として彼を無理やり現実へ引き戻す。
「が、アァァァァァァ!!!!!!」
痛みに呻く男が悶える中、廊下から小さな足音が聞こえると半開きだった作業部屋の扉がゆっくりと開けられていき、―――灰色の死神が男の下へ訪れる。
「―――夢は見れたかい」
首元に巻かれるように出来た火傷の痕、かつては黒かったであろう瞳は色がくすみ、白と黒を散りばめたその髪の一部が誰かの返り血で赤く濡れている。
「...だ、れ?」
「初めまして、ラル。僕の名前はアレット・スタンデ。君の弟のお友達さ」
二人の命を奪ったと思われる少年はこの状況に似つかわしくない笑顔を見せるが、この状況で何故笑っていられるのかを問うよりも前に空っぽになった腹の底から煮えたぎるような感情を吐き出して男は叫ぶ。
「なんで、殺したんだ!!」
「...なんでって。君もレルみたいなことを言うんだね。あの子、死ぬ前に何て言っていたと思う?折角だから教えてあげる。『お兄ちゃん、おにーちゃん、痛いよぉ助けてよぉ』ってまるで赤子みたいに泣いてたよ」
レルを小馬鹿にした物言いで貶めるその少年に男は痛みさえ忘れ、手足を失っていながらも少年の首元へ飛び掛かり、その喉元を食い千切らんとするがそれを事前に擦れる床の音で察知していたアレットはその髪を掴み、地面に叩きつけて耳元で呟いた。
「リル、だっけ?あの子実は好きな子が居たんだって。だから死ぬ前のプレゼントに指輪を嵌めた彼女の手を見せてやったら、あの子、泣いて喜んでたよ」
その瞬間、男から完全に理性と共に善も悪も失われ、白目を剥きながら唇を噛み締めた男の顔がアレットに向けられる。怒りで我を忘れ、その醜い顔を見せた父の敵にアレットは高揚したように頬を染め、喜びの声を上げる。
「―――そうだよ、その顔だよ!!犯罪者が今更後悔したように笑ってんじゃねぇよ!!それがてめぇらの本性だろうが!!」
そう言って男を強く蹴り飛ばしたアレットは怒りの形相を湛えたままの男の首元に剣を当て―――躊躇う事なくその首を斬り落とす。
怒りを灯したままの男の首が床の上に落とされ、それが勢いを殺せずに廊下の手前まで転がっていくと、いつの間にかそこに立っていた少女の靴にぶつかり動きが止まる。
「何で、殺したの」
「...」
その胸元に常夏都市の観光案内人のバッチを付け、今まさにその仕事を終えて帰って来た彼女はいつもの拠点に彼が居ない事を疑問に思い、家を飛び出してアレットが執着していた両親の敵の母屋までたどり着き、開かれたままの玄関を越えてここまで訪れ、そこで罪のない子供の死体とその兄として不器用ながらも導かんとしていた男の死体を見る。
「...レルって言う子とお友達に、なったって言ってたよね」
ポロポロと涙を溢し、どうしてこうも残酷な事を出来るのか分からない少女が弟達を奪われた男の悲しみを体現するように力強く踏み込み、何も言ってくれないアレットの襟元を掴み上げる。
「ねえ!!何とか言ってよ!!どうして罪のない子供達まで殺したのかって私は聞いてるでしょ!」
その女は復讐者アレット・スタンデの協力者として共に学院都市を離れ、彼の長い復讐の旅路に贖罪として付き添う事を決めた。その時点でアレットが望むのなら如何なる非道にも手を染めることは決意していた。しかし、望まぬ復讐にまで手を貸すつもりがあった訳では無いのだ。
「レルって言う子と仲良くなって、あの子達が何にも悪くないジューグの被害者だっていうことも知ってたんでしょ!―――それに、殺すのは当時成人していた男一人と決めたのは貴方でしょ、アレット!!」
裏切られたことによる怒りと、友人を殺す事さえ躊躇わなかった少年の復讐心を恨むように少女はアレットを壁際まで追い込んでその是非を問う。
そうしてアレットが為されるがままに壁に叩きつけられると灰色の髪の下に隠された本当の少年の心が露わになる。
「...なん、で」
少年には、この期に及んでなお感情と呼べるものが存在していなかった。復讐を果たす為に敵を殺して回っていた頃の彼と同じ目つきでミクを見下ろし、この都市で取り戻しかけていた人間性をも捨て去って、その復讐を果たしたのだとでも言うようにただ無感情だけをそこに映し込む。
「...仕方の無い事だ、これも全部彼等の為だったんだから」
「―――これのどこが仕方の無いことなの!!罪もない子供達が死んで、その中の一人は君が言っていた大切な親友だった!!」
「罪ならあっただろう。彼等は僕の父を殺したその主犯格で、それ以前も大勢の人間を殺めている」
「...ふざ、けないで!!」
この期に及んでふざけたことを言うアレットを少女は投げ飛ばし、その体が床の上に放り投げられると少女はアレットに馬乗りになり、その首元に呪詛が込められたナイフを突きつける。
学院都市での一件以降激情を抱くと現れるようになった一本の角がその額から生え揃い、事と返答次第ではそれを振り下ろす事さえ構わない。それだけの事を彼はしたのだ。
彼は自身と友人の家族を大勢死に至らしめたクルスタミナとジューグに関係する人間に恨みを抱いており、友人たちの誰もが望まぬとしても尽きぬ怨嗟の道を突き進むと決めた。
クルスタミナの親縁関係を殺して回り、度々現れる黒服の集団に対しても一切の慈悲を見せず焼き払う彼から完全に人間性が失われてしまわないよう、彼に寄り添い、贖罪を果たす為にその旅路に同行した彼女は知っている。
どれだけ復讐に狂おうとも、彼が小さな子供達を殺すことは無かったことを。
それが続く限り、彼はまだ神器に飲み込まれず、アレット・スタンデとしてこの世界に生きているのだと確信し、忘れ去られた笑顔さえもこの都市に訪れて、レルと言う少年との出会いで取り戻したことに少女は喜んでさえいたのだ。
きっと、あの子供がいる限りは大丈夫。少女も直接この目で見たように善悪を知らない無垢なままのレルならばやがては彼をその地獄から救い出してくれる。
―――だが、彼はそんな罪のない、罪を知らない親友まで手に掛けてしまった。
「貴方が完全に狂い果てて、何もかも忘れてしまい復讐の悪鬼に墜ちるくらいなら、ここで一緒に死のう?だから、教えてよアレット君。―――どうして、殺したの」
少女の瞳から落ちた一滴の涙がアレットの頬を伝い、その苦しみと悲しみが持つ冷たさを感じた少年は押し殺したような僅かに震えた声で喉の奥から絞り出すように言った。
「...お願い、だったんだ」
戻っていくのは少年としての、友人としてのアレット・スタンデが本来持つ人の情。意識的に切り離し、装っていた道化の化粧が涙で剥がれ落ち、その下に隠された真実を暴き出す。
「―――全てはあの子が願ったことだから」
◀▶ ・ ◀▶ ・ ◀▶ ・ ◀▶ ・ ◀▶
思い出す、初めての出会い。クルスタミナの悪事を知りながら利権と地位の為に目を瞑っていたウルビテダ一族の約七割、その罪に加担した人間の殆どを殺し、とある地方を収めていたクルスタミナと血縁関係にあった男の屋敷で見つけた数枚の資料。
あの日起きた惨劇、父が死に母が廃人と化したその真実の一端とその依頼を受け、特別待遇を受けた数人の傭兵達の情報がそこにはあった。
載せられた幼い少年達の顔と名前、そして作戦の遂行に当たり障害となるスタンデ夫妻を無力化した見返りとして彼等が常夏都市の永住権を獲得したことが記載された一枚の紙きれが、少年の手の中で復讐の炎と共に燃えていく。
『常夏都市...。そこって確か水上都市に並んで海で有名な観光地だったよね』
その情報を手に入れてすぐに常夏都市へ向かう馬車の中、学院都市からついて回るかつての旧友にして、アレットが最後に殺すと告げた少女が少年の持つパンフレットを覗き込み、その事に僅かな嫌悪感を抱きながらも少年は事の経緯を説明する。
「...ここに父さんを殺した人間達が居る可能性が高いことが分かった。君が姉をジューグに囚われ、情報を流したことで起きたあの日の惨劇。それに加担した君と同じような人間が他にも居たという事さ」
少女の罪悪感を突き刺す鋭い物言いにも慣れた様子でその少女は「ふーん」と言いながら腰を下ろし、アレットの事を刺激しないようにかそれ以上何も言うことは無かった。
自身の犯した罪の贖罪としてアレットの旅に同行する彼女は長い間幼い体のまま成長することが出来ず、その身に宿す鬼の呪いと共に長い時を過ごしておりこの世界で確認されている異世界人の中でも特筆した異常性を持っていることは旅の中で知っている。
そも、それを忌み嫌われ長い間迫害され、時には教会からも命を狙われながら学院都市に流れ着き、そこで安らぎの時を手に入れ、それを手放してまで復讐の道に進む自分の為にここまで来てしまったのだ。
彼女が今も生きているということは教会から逃げ遂せるだけの力と知恵を持っていることに他ならない。そして、長い年月を経た経験として他者から浴びせられる悪意というものに慣れてしまっているということにもアレットは思い至っている。
そうでなければああも一方的な事を言われて嫌な顔一つせず居られようものか。
―――少年の苛立ちにも気づかない様子で外を眺める少女の姿に一抹の怒りを覚えながら、常夏都市への潜入は始まった。
常夏都市に着いてすぐに宿を取り、当面の活動拠点を確保したアレットは記憶に残る三人の顔と、その名前を頼りに情報を集め始めるとすぐに彼等が海の家と呼ばれる場所で働いている事が分かった。
遠巻きにその光景を眺めるとそこには幸せそうに切り盛りする少年の笑顔が見え、アレットはその事に何の感情も見せないままその場を去る。
次の日から彼等と接触する為の機会を伺い、ミクは観光案内人として内側から、アレットは三人の中でも取り分け扱いやすいと判断したレルと言う少年からその拠点と彼等の過去を知ろうとし、買い出しで一人街へと出た純粋無垢な少年が一枚の紙を凝視し、何やら悩んでいる様子で立ち止まっているところに声を掛け、その出会いが始まった。
「いやー、ありがとねアレット!おかげで助かっちゃった!!」
「...いや、まさか字が読めないとは思わなかったけど困ってる人の助けになれたのなら良かったよ」
情報通りであれば今年で16になる人間がまさか字を読み解くことが出来ず立ち止まっていたとは思わず、その事実に驚きを隠せなかったアレットの事など気にもしないようにレルは笑いながら海へと歩いていく。
「...海の方に家があるのかい?」
優しさを装った殺意が僅かに滲む灰色の瞳にさえ気づかないまま、レルは歩みを止めず、後ろを振り返ることなく前に進み続けながらアレットの問いに答えを返した。
「違うよ!!僕達の家はさっき通り過ぎちゃったからね!!」
「???」
買い出しに出かけているというのであれば、帰るべきは家の筈だろう。しかしそんなアレットの予想を裏切った少年の言葉に、まるで何を言っているのか分からないアレットが困惑を浮べるなか、レルは砂浜が見える否や走り出し、何かを勘ぐられたのかとその後を追いかけたアレットはその先で人のいない砂浜を裸足で走るレルの姿を見て、理解する。
「アレットも来なよー!楽しいよー!!」
―――きっと、彼は何も分からない少年でしかないのだと。
どこかでレルの時間は止まってしまっている。きっと少年のまま彼は大きくなり、死ぬまでその純真さを忘れないままに死んでいくのだろう。悪意も、善意も、殺意も、全てが彼には存在していない事を知り、アレットは言いようのない感情を覚えてしまう。
復讐と呼ぶには似つかわしくない、否。常に後ろを振り返り、来た道を戻る事しか出来ないアレットにはお似合いの感情。
―――人はそれを罪悪感と呼ぶのだろう。
「あぁ...。今行くよ」
だからこそ、止まる訳にはいかなかった。己の心など捨て去って、彼の純真さすら利用して然るべきだと凍てついた手足で役を演じる。
「ねえアレット!!僕達これで友達だね!!僕の事を好きって言ってくれる人はたくさん居るけど、友達が出来るのはこれが始めてだよ!!」
夕焼けに染まる中、何度目かの外出で同じように砂浜で共に遊んでくれたアレットにレルが心の底から笑い、どこまでも嬉しさを隠さないレルの姿を見る程に、アレットの心の中で自身の復讐に利用していく事への罪悪感が募っていく。
「そっか。君はこんなにも優しくて可愛いのにどうして誰も君と遊ばないんだろうね」
「...優しい?どうだろうね、僕はアレットの方が優しいと思うけどなぁ」
「そうかい?自分で言うのも何だけど今の僕って不気味だろ、あんまり優しいと思われない気がするけど」
黒髪と白髪が混ざり合い、鏡に映った眼は黒から灰へ。何も知らず学院都市で馬鹿をして騒いでいた頃の自分を知っていれば知っている程乖離したその見た目は世間一般的に見れば恐怖を抱きこそすれ、ポジティブな感想は抱きにくいだろう。
そんなアレットの自虐染みた言葉にレルはぱたりと足を止め、出会ってから初めて後ろに立つアレットの方へと振り返り、笑いながら恥ずかしがることなく本音を言葉にする。
「―――だって、君は僕と友達になってくれたから」
「...そりゃあ、まあ。うん、そうだね」
どこか歯切れの悪いアレットにレルが不思議そうに首を傾げると「何でもないよ」と誤魔化しの言葉で場を乗り切ったアレットは再び前を向いて砂浜を歩きだしたレルの後ろについていく。
彼が言っていたようにこれほど溌溂で心地の良い人間に友人が出来ない理由は彼と話している内に自ずと分かった。
きっと、彼の純粋無垢さに耐えられる人間などこの世には存在しないのだ。彼が笑顔を振りまく度、その傍らに立つ人間は己の醜悪さに耐え切れず彼から離れていく。友と語る事すら烏滸がましいと、レルを天涯孤独の海の中に放り出してしまうのだ。
その異常性を長い間側に居ながらラル達が認知できないのはきっと―――。
「君は愛されてるんだね、レル」
己がそうであるように。ガブィナがそうであるように。血の繋がった世界で唯一の同族をラルとリルは心の底から愛し、その欠点すらも見ないふりをすることが出来てしまっている。
或いはもっと致命的なズレが、彼等しか知り得ない何かがあるのかもしれないが。
「そうだよ!!」
レルの笑う顔が、どこかで嗤う復讐の髑髏の影に飲み込まれていく。まるで目を背けることを許さぬように。怨嗟を忘れて今を生きようとする愚かな人間を嘲笑うように地の底から鳴り響く復讐の音が止むことはない。
「―――アレット君!!」
レルと別れ、宿屋についてすぐ割れた鏡の前で頭を搔き毟るアレットを止めるように手を伸ばした同行者の少女がその体を抑え込む。
神器という常外の力を行使するに辺り代償として支払われる心の欠損、アカツキの持つアニマ=パラトゥースとは違いアレットの所持する神器には主への忠誠も思いやりも存在しない。
神器ウルティオー。その製造元となった地の彼方で嗤う骸骨は復讐の化身の二つ名に相応しい炎と怨嗟を主へ与え続けることしかしなかった。
アレットが復讐者として在り続けるのであればこのような事は起き得なかっただろう。しかし、僅か一ヶ月のレルとの語らいはアレットをかつての少年へと戻しつつあり、神器に備え付けられていた代償と罰が今や彼をここまで追い詰めてしまった。
「うるさい、うルさいウルさいうるさイんだよ!!」
その激情が寄り添った少女を吹き飛ばし、尽きぬ骸骨の声に強迫観念を押し付けられたアレットの体から炎が立ち上がる。そうして顔の半分を飲み込んだ炎骨の面が少年の心を喰らい、その侵食を広げていく様を少女は見上げ、ようやく復讐にしか興味のなかった彼がかつての心を取り戻しかけていたことを知る。
「...嘘。だって、ガルナ君もラルースちゃんでも出来なかったのに...」
だが、考えている暇などは無かった。これ以上神器による浸食が広がれば彼はまさしく怨嗟の鬼と化す。そうなればその炎は都市を飲み込み、そこに住む人間を全て焼きながら世界を滅ぼそうとするだろう。
神器ウルティオー、その本質に在るものを全て知っている訳ではないがアカツキの持つ神器とは違い、彼の所持する神器には明確な人類への殺意が含まれていることは短い旅路で嫌となる程理解している。
「それはアレット君のやりたいことじゃないでしょ!!」
頬を僅かに切り裂いた炎を纏ったガラスの破片、そこから感じる痛みと熱にも耐えて少女は叫ぶ。
「今更誰かに復讐を譲り渡すつもり!?それは貴方の呪い、自分の意思で犯すべき過ちでしょう!!」
「―――ッ!!」
少女の発した言葉に当てられたように顔の殆どを骸の面で覆ったアレットが僅かに動きを止め、浸食のされていなかった片目が大きく見開かれる。
その右目から流れ出した血涙を見てまだ完全にアレットが消えていない事を確信した少女は手を腰の裏に隠してある小刀まで伸ばし、言葉を続ける。
「...最後に私を殺すんでしょ?だったら消えちゃ駄目だよ、アレット君」
その復讐に正義は無い。大義は無い。元からそれを承知の上でこの死に向かう旅路を彼女は歩いている。
彼の心を誰も理解できないし、理解しようともしないだろう。だからこそ、自分がここに居るのだと高らかに告げる為に握られた小刀から鬼の力が流れ出し、それが少女を伝って空間まで侵食するとアレットの中で燃え続ける骸骨の炎が巨大な羅生門の奥で佇む一匹の鬼の手によって両断される。
『...おしかったのぉ』
消え入る間際、そう言い残して消えた太古の亡霊から解放されたアレットが力なく倒れ込むと少女は迷わずその体を抱きかかえ、体のどこにも異常がないか確認する。
「...ミクっち。何で、そこまでするんだよ」
完全には意識をうしなってはいなかったのか、か細くはあるが言葉を発するアレットを背負い、炎の跡が残る洗面所から寝室まで運ぶ少女はその疑問に移動しながら答える。
「そうだね。アレット君は酷い奴だよ。私の気持ちなんて考えもしないで悪口ばかり言うし、事あるごとに暴力で解決しようとして今回は乙女の顔に傷までつけてさ」
「......」
言い返すことすらも出来ないアレットは沈黙を貫き、そんな少年に顔を合わせないまま少女は言葉を続ける。
「でも、友達だからね。一緒に地獄まで落ちてくれる人が居ないと君も寂しいでしょ」
長い間一人生きてきた少女だからこそ分かる孤独というものの辛さ。痛みと言うものは次第に慣れ、慣習化すれば忘れる事さえ出来るが心の痛みというものはどれほど年月が経とうと消えることは無い。だから、復讐に身を投じると言うのであればせめて最後までアレットを一人にしない為に彼女はこの旅に付いてきたのだろう。
「...ごめん」
「許さないよ。何回謝ったって絶対に許してあげない」
謝るアレットの言葉を否定する。それこそが彼女に出来る唯一のアレットへの贈り物だとでも言うように。
「うん...。ありがとう」
だから、少年はそんな気遣いに感謝をし、今はゆっくりと体を休め、今度はあの骸骨に乗っ取られないようにと摩耗した心と体を癒し、次にレルと会う日までミクに事の経緯と共に作戦の一部を共有する。
そうして迎えたレルの休日に、いつものように待ち合わせをしている観光客が誰も寄り付かない砂浜まで向かいそこで一人座り込むレルに声を掛ける。
「遅くなってごめんね、レル。色々と手間取っちゃって」
「アレッ......ト?」
そこに立っていたのは不気味な出で立ちをした灰色の死神などではなく、髪を黒く染め、やや抵抗はあったもののカラーコンタクトを友人の手を借りて付け、学院都市で過ごしていた時と同じような姿でレルに向き合うアレットの姿があった。
「なんかすごーくかっこいいね!!ねぇ、髪は分かるけどどうやって目を黒く染めたの!?」
少年は変わらない。周りがどれほど変化しても、時代が大きな節目を迎えて尚その残酷な純朴さを抱えながら生きていくのだろう。
―――その事に罪悪感を覚えるというのであれば、隠すことに自身が罪を見出さざるを得ないと言うのであれば。
「―――僕は君の兄であるラルという男を殺す為にこの都市へ来た。君を利用して過去を探り、君が帰る場所を奪う為にアレット・スタンデという人間は友人を騙り近づいたんだ」
その罪も罰も、全てを飲み込んで復讐者は変化を許容する。ただ燃え盛る炎に飲み込まれるのではなく、その炎を完全に支配してこそ、アレットの目的は果たされるのだから。
「ごめん、レル」
謝るアレットの前でレルの太陽のような笑顔が海に吸い込まれるように消えていき、その脳裏に過った過去の憧憬に囚われたかつての少年の表情が宿る。
「...そっか。アレット・スタンデ。―――スタンデかぁ」
その名前を忘れてはいなかったのだろう。レルはゆっくりと海の方へと視線を移し、沈みゆく夕日がその顔を真っ赤に染める。
「じゃあ、僕達も殺したい?」
「...いや、君ともう一人の兄であるリルは当時成人していなかった。だから殺すのは当時成人を迎えていたラルという男だけだ。...それが何だっていう話だけどね」
殺されることは無いとしても、ラルが死ねばそれに近い苦しみを二人の弟は味わうことになる。この一ヶ月でミクの潜入工作やレルとの昔話でおおよそ彼等の出自と成り立ちは理解している。
幼い頃に両親を亡くし、その血塗れの道を歩むしか生きる術を教えられてこなかった幼子達。ラルと言う男も決して好んで両親を奪ったわけではない事もレルの話を聞けば理解できた。―――理解した上で、例外を出すことは出来ないとアレットは判断したのだ。
「大人...。ねぇアレット、大人になるってどういうことなんだろうね」
誰も彼もが言う。レルは可愛らしい子供のままだと。
海の家に来る人、買い出しで出会う八百屋のおばさんに、優しい駄菓子屋のおじいさん。皆、レルと言う少年を可愛がって甘やかし続ける。
それは血の繋がった二人の兄も例外では無い。リルはその感性を、ラルはその無垢さを愛しているのだ。
―――見ているのはきっと、僕じゃない。
「アレットはさ、あの時僕達が殺した男の人の前で泣いてたよね」
「うん。だって大好きだったから。都市を救うお仕事だとかで毎日会う事が出来なかったからこそ、月に何度か寮へ顔を出しに来てくれるその日がたまらなく愛おしくて、あの頃の僕は次にお父さんとお母さんに会える日をカレンダーで眺めながら眠りについていたくらいには大事だったんだと思う」
その幼き日の記憶すらも今は焼き焦がすような怨嗟の炎が生み出す蜃気楼に惑わされ、直視することが出来なくなってしまったのだろう。レルの隣に座り、同じように水平線を眺めるアレットの目がもう戻らないものを見るように細められる。
「...その時、兄に手を引かれていた少年は何を想ったと思う?」
「罪悪感。いや、君であれば何も思わなかったんじゃないかな。だって君は純粋で、残酷な子供のままなんだから」
そのどこまでも透き通る純朴さがアレットに再び心の火を灯し、その生じた弱みに付け込んだ髑髏が目を覚ました。そのことも受け入れた上でアレットは彼の前に姿を現し真実を告げた。
レルに罪悪感なんてものが無くても、父の死に何の負い目も感じていなくてもそれを糾弾する資格はアレットにはなく、幼い日から死というものに慣れていた子供ならば何も感じなくても不思議ではないのだから。
―――だからこそ。その言葉が信じられなかったのだろう。
「―――――綺麗だと、思ったんだ」
「え?」
―――夕日が海に溶けて消えていく。揺れるさざ波が過去も未来も連れ去って暗い海の底へ沈んでいく。絶え間なく海辺の砂を浚うその波には小さな海老や貝殻の死骸が横たわり、アレットの顔が悲しみで海と同じように青く染まっていく。
―――それが嬉しくてしょうがない。炎のようにパチパチと燃える何かを持っていながら、この海のように蒼白に染まったアレットの顔。その対比に、その矛盾に心が喜びと悲しみで咽び泣く。
「大人になるって言う事が命を知るって言う事なら僕はずっと昔から大人のままだよ。だって、僕は大勢の人間を殺してそれを二人の兄に嬉々として報告していたんだから。命の価値は、お金になる。お金の価値は僕の価値になる。誰かに認められたいから誰かを殺して回った」
二人の兄を大きく超えた戦果もその表れであり、レルは幼くして命というものの重みを知っていた。
その大柄な大人の体がドクドクと血を流しながら自身の上に覆いかぶさり、その流れ出る鮮血と血の温もりが凍えるレルの体を癒し、人が死に際に上げる絶叫や悲しみの声がレルの情欲を煽った。
―――レルという人間は、純粋無垢な子供などでは無かったのです。その生まれからして間違っていた人間の成りそこない。二人の兄に勝ると劣らない人の屑にして、この世の癌。
「だからさ、アレット」
僕を殺すことが怖いと言うのならその必要は無い。だって君はゴミ掃除をしただけだ。
僕を殺す必要が無いと言うのならそれは間違いだ。だって僕はとっくの昔に大人になってる。
僕に殺す価値が無いと言うのならそれは合ってる。だって僕だってそう思うから。
けど、君にはそれをするだけの必要があり、僕の命は復讐を果たさせるという一点でのみ価値を持つ。その復讐にあるものが大人になった人間達への罰だと言うのなら、その復讐を果たすうえで僕は避けては通れない試練に他ならないだろう。
純真を装った男は踊るように砂浜を駆け、月明かりに照らされて輝く漆黒の海を背に大きく手を広げ、どこまでも透き通る残酷さを眼前に立つ少年に見せつける。
「――――――僕達の事、綺麗に殺してね」
涙を流し、この期に及んで僕を友人だと言ってくれた君の言葉を忘れない。その悲しみを秘めた表情に僕は嬉しくなりながら涙を流し別れを告げる。
この醜さすらも君の炎で燃え尽きてしまいますようにと、そう願いながら。
◀▶ ・ ◀▶ ・ ◀▶ ・ ◀▶ ・ ◀▶
そこには、二つの墓石が並んでいた。海の良く見える丘に建てられた荒い石の下には二人の兄弟が眠りについている。
その傍らでアレットはレルから最後に手渡された紙切れを眺めながら、それを手の中で燃やすことが出来ず、柔らかく握りしめると背後から人の足音が聞こえ振り返る。
「やあリル、君とはこれが初めましてだね」
「ミクさん越しに文通をしていたので初めて会った気はしませんけどね。...二人の最期はどうでした」
「君達に言われた通りさ。ラルは二人の弟を失って怒りに飲み込まれ、最後まで後悔なんて抱かずに死に、レルはその最愛の兄の死に立ち会うことなくこの世を去った。親しい者の死程美しいものなんてこの世界にはないから、それを見ることなく死ぬのが自分にはお似合いだってさ」
レルは自身の欠陥と人間性の欠如を理解していた。だからこそ、その矛盾に苦しんでいたのだろう。
何故ならば、レルの死に際の顔は、憎悪と怒りに飲み込まれたラルとは違い、思ったよりも晴れやかでどこか満足をしていたように見えたから。
それを彩り、ラルの死に一役を買った彼の片腕はその演出の為だけに支払われた一見必要の無い犠牲に見えるが、彼等兄弟には振り回されてばかりできっとそれにも何かしらの意図があったのだろうとアレットは予想し、質問を投げかける。
「二人のことを愛していたんだろう?どうして僕に協力してくれたんだい」
レルが持っていた人間としての欠陥も、ラルという男が持っていた弱さの本質も、全てアレットは最後になるまで知り得ることはなかったが、彼等が兄弟に向けていた愛情が偽りでは無かった事だけは確かだった。
だからこそ、リルが二人の死に関与した事実が未だアレットの内では濾過できずにいる。
「...それが僕達に相応しい罰だと思ったからです。僕等の今は全て、君の不幸の上に成り立つ虚像でしかない。なら、レルは世界で最も美しい瞬間に立ち会えず死に、兄さんはその最期を救いようのない終わりでしか清算出来ない。その罪も罰も、全部、ぜんぶ兄さんが...」
最期は涙で掠れ聞こえなかったが、アレットは胸元から取り出した彼等の半生を記した自伝を眺め、あの最後がラルが最も望んだであろう己への罰であるとリルが考えたことを知り、顔を伏せる。
「それで君は最愛の家族を失いながらも生きていく、か。まあ確かにそれ以上の苦しみは世界中どこを探しても無いだろうさ」
2人の墓標の前で許しを乞うリルの姿を横目にアレットは彼が執筆した自伝の最期のページにレルが残したもう一枚の紙きれを張り付ける。
―――そこに描かれていたのは三人の兄弟が海辺で遊ぶ、小さい子供が描いたような幼稚で乱雑な落書きのような絵。
それをアレットはこれまで見てきたどのような絵画よりも美しく、綺麗だと思いながら表面を撫ぜて、リルの傍らに置く。
「これ、返すよ」
そうしてその場から離れたアレットは丘を降りていき、その先で自身を待っていた一人の少女を見つけ、変わらぬペースでミクの前まで行くと小さく息を吐く。
「...君も物好きだね。あんなことをしたっていうのにまだ付いて来ようとするなんて」
少女の頬に残った傷痕を見て視線を落としたアレットにミクは何も言わずそっと傷跡を服で隠し、昨日の事を思い出してか悲し気な表情を見せる。
「レル君の事、ごめん。何にも知らないのにあんなこと言って」
「何にも思ってないよ。君に何も言わなかった僕が悪いし、リルとの文通の内容を知っているのなら止めに来ると思っていたけれど、君は最後まで僕を信じて手紙を覗き見ることはなかった。ほんと、こんな男をどうしてそこまで信用できるんだか...」
どこか呆れた笑いを見せるアレットにミクはどこか懐かしさを覚え、その変化に戸惑いながらも風が吹く草原の下で空を見上げ、これで最後の質問だとでもいうように言葉を溢す。
「レル君の事、君は大人だと思った?」
罰を欲し、己の人間としての欠陥を知りながらも生きてきたレルの為に彼がその命を奪ったことは明らかになったが、果たして彼がレルの死に際に何を抱いていたのか少女は知らない。その知らないを知らないままにしておきたくなかったのだろう。
そんなミクの問いにアレットは、胸元から取り出したレルが不器用ながらも自分がどう思っていたのかを書き記した手紙を再度眺めて断言する。
「...大人じゃないよ。彼はずっと子供のままだ。だから僕は―――子供のまま、死なせてあげることにしたんだ」
成熟した心が大人になった証拠だと言うのなら、きっとそれは間違った考えだろう。レルがどうしてあそこまで歪んでしまったのかはリルの本に書かれていた通り、幼少期から他者の死に慣れ、誰かからの評価の為だけに命を奪っていたレルを想えば自ずと理解でき、その上でレルが言った言葉を否定する。
「あの子は多分、大人を憎んでいたんだ。自分達を置いていった両親に対し、与えられなかった愛を求めると同時に憎悪を抱いていた。どうして僕達を置いていった、なんでこんな暗闇の中に放り出したんだ、って」
だからこそ、浴びた血に温もりと安堵を抱き、二人の兄も自分と同じように大人を憎んでいると思い、今日殺した大人の数を嬉々として報告した。
それはきっと万人から見れば歪んだ思考だと思われてしまうだろう。けど、少年は二人の兄を喜ばせる為に大勢の人間を殺して回り、その事に何ら疑問を抱くことは無かったのだ。
「僕があの砂浜で分かったのはレルが大人だったことなんかじゃない。彼も大人になるということだ。どれだけ今が純真無垢であろうと、年月は例外なく人間を大人にする。きっとどこかであの子も気づいてしまうんだよ、『あぁ、大人になっちゃったなぁ』って」
そうなる前にアレットは少年を少年のまま殺してやることにした。彼が両親を憎んでいたと思い至る前に、最後までその悲しみの矛先が彼自身の狂気にあるように見せかけて。
「...そっか」
「リルはこれが自分達に最も相応しい罰だと言っていたけれど、少なくともラルは死に際に過去の無念を抱きながら死ぬことは無かったし、レルは最後まで両親への憎悪を知らぬままその生涯を閉じた」
殺した人間が言えることでは無いけれど、その僅かな救いを見出す事しか今のアレットには出来なかった。だからこそ―――。
「―――僕の最期にはきっと救いなんてものはないだろうね。惨たらしい結末と救いようのない絶望だけが僕にはお似合いだ」
その生涯を復讐でしか清算出来なかったアレット・スタンデの旅路の果て。そのいつかはそう遠くない未来に訪れる。
ジューグの手下に無残に殺されるか、はたまた同じように旅をしているガルナ達にその凶行を止められ、復讐を果たすことなく故郷へ帰らされ、そこで首を吊るか。きっとどの終わりも自分には救いを見出す事など出来はしないだろう。
「...アレット君」
少女は何も言わない。何も言えなかった。
アレットの復讐の旅に付いて回る以上、その最期を考えなかった訳ではない。
きっとアレットは誰にも望まれないままに復讐の道を歩み、その果てには誰も望まない終わりを迎える。そんな分かり切った結末をこれまで思わないようにしていたのはその終わりに救いがあるようにと願っていたからだろうか。
けれど、友人を手に掛けてもう後戻りなど出来なくなってしまった今、彼は一人でその道を進み続けようとするだろう。元より大勢の人間を殺してしまっている以上、教会がアレットを見逃すことなんてない事、少し考えれば分かっていたことなのに、私は未だあの頃を夢見ているのだ。
学院都市で五組の皆と一緒に馬鹿みたいに騒いで、寮に帰るとラルースちゃんが居て、ナギサさんが居て、リナちゃんが居て、―――お姉ちゃんが居る。
クラスの皆と大好きな人達が笑い合うその光景を眺めながら、私はゆっくりと目を閉じて眠りにつく。そんないつかが、もう訪れないのなら。
「うん、そうだね」
遠くで波の音がする。静寂を装った海辺にはやがて人が溢れ、二人の人間の死なんて気にもしないで世界は回り、そこに変わらぬ今を映し出す。
そんな残酷な世界でやがて訪れる結末に向かうアレットの傍らに少女が立つ。背負った幸福の夢は彼方へ消え、少年の抱く最悪の未来で断頭台に並ぶ二つの影。
「―――私達にはその最期がお似合いだ」
その果てに絶望を見出した復讐の旅路は続く。
すべからくはその旅路に尽きぬ怨嗟と呪いがありますようにと、そう願いながら。
※以下、物語に特段関係ない作者の戯言です。それでも良いよ、と言う方は是非お読みください。
はい。ということで幕間の物語、引いてはアレットの旅のお話でした。学院都市で神器を獲得し、復讐の旅を始めたアレットの物語はどこかで書きたいなと思っていて、丁度一つの章の終わりに書く幕間の物語があるじゃん!と思い、書き始めたものが自分でも思っていた以上に筆が乗って、ああでもないこうでもないと試行錯誤した結果、自分でも珍しく良いものが書けたんじゃないかなと思っています。
どちらかというと信仰都市編も序盤辺りではこんな終わり方にしようかなって思っていましたが、それは書いている内にあまりにも救いがないなと思い、没にしました。なので演出や物語上、書けなかったものをこうして別のお話で表現できて良かったです。
今後も必ずと言う訳ではないでしょうが一つの都市のお話の終わりの後、幕間の物語でアカツキ達とは別の道を進んだ者達のお話を書くことになるとは思いますので、そちらの方も楽しみにしながらお待ちいただけると幸いです。
もしこのお話を読んで面白かったと感じて頂けたり、どんな作品か気になった方はブクマや評価をしていただけると嬉しいです。
もし過去話を読んでみようかなと思った方は学院都市編から読んでいただけると良いんじゃないかと思います。農業都市編は学生の頃且つ書き始めて日が浅かったのもあって、今の自分でも見返せないくらい恥ずかしかったり、文章としてもちょっとあれなので。
その内大幅な加筆修正をしようと思っており、その時にまたTwitterや後書き、活動報告などで告知しますのでその時に読んでいただけると良いんじゃないかなと思います。
かといって既存の過去話もあの時にしか無かった勢いだったり、当時を思い出せて自分的には気に入っているところもあるので何らかの形では残そうとは思っていますので仮に無くなってしまうのを不安に思う方がいらしゃったら安心してください。
では。




