信仰都市編 最終話<ネヴ・スルミル>
「―――僕が、祭司に?」
ウーラの語った信仰都市が存続する為の唯一の道、それは先代祭司である祖父ダオの跡を自身が継ぎ、疲弊した民と統率者を失い弱体化したウルペースを束ねるというもの。しかし、その夢のような提案に対し雫と黒羽、両者が強い反発を見せる。
「ネオはまだ10才になったばかりだぞ、そんな重荷を背負わせていい筈がない!!」
「そ、そうですよ。こんな小さな子に祭司なんて...」
「それは貴女も同じ境遇だった筈ですよ、雫ちゃん。貴女に出来たのなら彼にも出来る、そう解釈は出来ませんか?」
「―――だから!!その苦しみを。辛さを知ってるから、そんな事はしちゃいけないって私が言わないといけないんです!」
必死にネオを想う雫の慟哭が響き渡り、アマテラスとガルナは顔を伏せ、アカツキは思い悩むように額を手で押さえながらウーラの提案を反芻しながらどうにか逃げ道を探そうとする。
「ガルナ君とアマテラスの二人は既に気づいてると思うけれど、分かれ道なんてもうありませんよ。これは誰かに整えられた一本道、その舗装された道を歩まないと大勢の人が死にます」
「...だが!!」
「黒羽君、君と雫ちゃんの事は個人的に気に入ってはいるんですよ。だから本当はこんな事を言いたくはありませんが、―――それとこれとは話が違う。貴方と雫ちゃんはこの狂った都市で自身の運命に決着をつけ、それぞれが進むべき道を見つけ出した。その選択が招いた結果に対し今更文句を言うのは違うでしょう」
黒羽勇也は巫女として偽りの任期を生き、死んでいくだけの雫を救おうとしただけではなく、その心に巣くう弱さをも祓ってみせ、天間雫はこれまで積み上げられてきた巫女の無念が生じさせた希死念慮を捨て去って、再び前に進む決意を手に入れた。
それは素晴らしい事だろう、彼ら以外でなければ為せなかった過ちを積み上げ続けた信仰都市からの脱却であり、救いを齎したのだから。
だが、同時にその救いが新たな火種の要因となったことも確かなのだ。
―――事実は揺るがない、ここに夢はもう無い。あるのは、たった一つの現実と言う一本道だけだ。
「...ですがまあ、お二人の言い分も勿論分からない訳ではありません。ですから、最後に決めるのは貴方ですよ、ネオ」
その金色の瞳が立ち尽くすネオの目を真っすぐ見て話さない。ネオもまた、その目を反らすことが出来ないままに過去へ想いを馳せ、月明かりに照らされた母の横顔を思い出して―――瞳を閉じる。
「―――分かりました。僕は祭司としてこの都市を纏め上げ、夢を見ながらも果たせなかった祖父と母に代わり、平和な都市を築き上げて見せます」
そして、その進むべき道の先に祈りと想いを馳せた少年の夢が重なって―――ここに第128代目祭司が誕生した。
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当面の課題を再確認し、ウーラによる助けを得ながら数少ない黒羽の伝手でアカツキ達が初めて信仰都市で訪れた町に舞い戻り、町長による口利きで提供された小さな宿、そこで彼等は久方ぶりの休息についていた。
未だ目を覚まさないナナもその傷の殆どはクレアの献身的な介護とアオバより教わった回復魔法により塞がり、アマテラスやウーラの確認もあって死ぬことは無いと太鼓判を押されている。直に目が覚め、いつも通りの生意気な彼女が戻ってくることだろう。
「...ったく、無茶するよな、お前も」
ナナが寝かされている寝室に介したアカツキ、クレア、ガルナの三人。目覚めてすぐに行われたウーラの提案から半日が経ち、窓から差し込む夕焼けが眠る少女の顔を真っ赤に照らす。
「なあ、ナナの奴は大丈夫かな」
「さあな。傷の治りは問題ないが...そればかりは奴の心持ち次第だろうな」
起きてすぐに彼女はきっと事の顛末を聞くためにガルナやアカツキから話を聞き、そして知る事になる。
雫を巫女の妄執から解き放ち、他ならぬ友として雫の本当の望みとは何なのかを問い、それを聞けないままに倒れたナナ。
彼女は倒れる間際に雫が何をしようと自分は味方であると笑いながら、滴る鮮血の中に身を投じた。間違いなく、天間雫の変化の一助となったであろうその選択が齎した結果、
―――あの時、背を押した筈の友人が命を投げ打ったこと。少女を巫女の妄執から解き放ちながらも、これまで積みあがって来た悲劇によって、歪み形成された絶望までは晴らす事が出来なかったことを。
「どちらが悪いと言う話ではない。奴の悲観も、こいつの楽観もどちらも俺には分かる。ただ、仕方の無い事はあるものだ。それを割り切るのもまた、生きるという事だろうよ」
「けど...。こいつもまだ子供だよ。誰かが導いてあげないと歩くことが出来なくなってもおかしくない」
かつての自分を重ねながら真実を知った後のナナの心労を危惧するアカツキ。農業都市での暴走や、学院都市での一件と言いアカツキには精神的な危うさがつき纏っており、アニマの実体化に伴い幾分か軽減はされようと神器の使用に際する代償として精神の摩耗は避けられない。
故にこそ、心と言う曖昧で不明瞭なものの弱さに誰よりもアカツキは恐れているのだ。
「...お前とは違うさ。こいつは自分の弱さと強さをこの歳で十分理解している。それが良い事なのかは俺にも分からんがな」
学院都市で会う以前の彼女を知らないガルナにとってナナと言う人間は聡明で思慮深い少女というイメージが強い。
その言動こそ子供っぽく見えるだろうが15才にしては現実というものを理解しすぎている。判断に迷いが無く、自身のやりたいことを明確に話せる時点でアカツキとは違うだろう。
だが、アカツキもまた知っているのだ。彼女を旅に誘った日の事、農業都市で家族との別れに悲しみ、自死をしようとした少女としての脆さを知っているから、心配し過ぎてしまう。
「大丈夫ですよ。きっと」
アカツキとガルナ、双方の会話を聞きながらクレアは眠る少女の手を取り、薄く微笑んで言う。
「ガルナさんの言うようにナナちゃんが強くなったのならそっと手を貸して、もし一人で抱え込めないくらい悲しそうだったら私達で支えてあげましょう。皆さんにとっては同じ旅をする仲間。...そして、私にとってはもう一つの家族のようなものなんですから」
―――そんな、どこか父や母を想起させるクレアの言葉を寝室の外、背越しに静かに中の様子を聞いていた雫は中に入る事も出来ぬまま、静かに息を吐く。
「...やはりここにおったか、雫」
「アマテラス」
自身を探して現れたアマテラスの姿を見て雫は壁に背を付けたまま滑るように蹲り、膝の中に顔を隠しながら自身の行いの浅はかさにもう一度、大きく息をついた。
「...自分の弱さに、何度も何度も嫌になる。その場の感情に身を任せて、長い間自分から目を反らしてきたから」
いつだって、鏡越しに映る自分の姿は不鮮明で、そこには悲しい過去ばかりが映りこむ。歩むべき道さえ忘れてしまいそうになりながら生きていたのはこれまでの巫女の犠牲と歴史があったから。
けど、今の私にはもう、そんな重ささえなくなってしまった。
「―――だから、ちゃんと向き合ってナナちゃんに謝らないと。怒られても、殴られてもいい。もう一回、親友としてナナちゃんの横に私は居たいから」
けれど、いつの間にか鏡の前には自分の手を握ってくれる大勢の人が立っていて、その人達の声や仕草が形を持たない私に、天間雫と言う少女の姿を思い出させてくれた。そんな人達が居たから、これからも居て続けてくれるのなら私はもう間違わない。
「...そうか。なら、その時は一緒じゃな。巫女と神は昔から一心同体なのだから」
瞳の淵に小さく涙を湛えながらも前を向いた雫の手を取ったアマテラスがそう言いながら笑い、雫もそんな優しい少女の愛に答えるように薄く微笑む。
「だからこそ、これもまた言わねばならんな」
「―――?」
「なんじゃ、惚けた顔をしよって。―――まだ、説教をしておらんじゃろ?」
アマテラスの笑みがまた別の意味を含んだものに変わり、危険を察知した雫は咄嗟に走り出し、それを追いかけるアマテラスの声が重なり、その喧騒がしばしの間宿屋を賑わせながら、夜の帳が町を包み込んでいく。
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「...なあ、あいつら何してるんだ?」
軽い夕食を終えて、各々が眠る準備を済ませる中、口酸っぱくアマテラスの説教を受けている雫と黒羽の姿を眺めながら歯磨きをしているアカツキが事の経緯を知っているであろうガルナに説明を問う。
「見ての通り折檻だ。アマテラスはよっぽどあのバカ二人のやった行いにご立腹らしい。―――気持ちは分からんでも無いがな」
そういって睨むように自身へ視線を移したガルナに気まずそうに目を反らし、アカツキはそそくさと逃げるようにうがいをしに洗面所へ向かう。
二人よりも年下の少女の姿をしたアマテラスに怒られるその光景は何とも奇妙だが、アマテラスの言う事はどれもこれもが彼女達を思っての事であり、ガルナは特段止める素振りを見せず、本のページを捲る。
「お主達は人間だというのに無茶をし過ぎだ!特に雫、二度に渡る神格の取得、及び神化が人体にどんな影響を与えるかお前は分かっておるのか!!」
「アマテラスだって人間の体になっても無茶してたくせに...」
正座をし、一見反省の色を見せながらもボソリと呟いた雫の愚痴を聞いてしまい、より怒りの色を強く見せるアマテラスにこれまで為されるがままにしていたもう一人の少年が口を開く。
「ま、まあまあ二人とも。落ち着いて話を...」
説教を長引かせた雫と激昂するアマテラス、両者を宥める為に割って入った黒羽に、それまで静観を貫いていたガルナが一瞬在り得ないものを見るような目で黒羽を見つめ、
「...出方を間違ったな」
「え?」
宥める筈が逆に二人の怒りを買い、その毒牙の矛先となってしまった黒羽、それをガルナは憐れむと同時に自業自得だとでも言うように助け舟を求める黒羽の視線から目を反らし、読書へ戻った。
「...黒羽君、大丈夫でしょうか」
「まあ、この期に及んで何も話せず、お互いがお互いを避け合うよりはああやって言い合えるくらいが丁度いいだろうよ」
そんなガルナの言葉に、半ば喧嘩じみたその光景をどこか楽しそうに眺めていたネオはその視線をやや斜め下に向けたのち、ようやく戻って来たかつての風景を愛おしむように細めた。
「はい。きっと僕達にはこれくらいが丁度良いんだと思います。見栄っ張りで負けず嫌いなお姉ちゃんに、それに突き合わされていっつも可哀想な目に遭うお兄ちゃん。色んなものが変わってしまって、もう戻らないものもあるけれど、変わらない何かがあるのなら僕は、それだけで...」
かつての光景にはそこにもう一人、子供達を愛おしむ母の笑顔があったがそれはもう思い出す事しか出来なくなってしまった。けれど、変わらないものがあるように、変わった事もあるのだ。
それは、変わらない一つの光景に長い役目を終えて普通の人間のように振舞うかつての神の姿があるということ。
長い間手の届かぬ存在として崇拝され、信仰都市の為に戦ってきた神は今や兄や姉ともみ合いになっており、昔思い描いていたような威厳もへったくれもあったものではない。だからこそ、
「―――嬉しいんだと思います」
その変化も、変わらない風景も、全て含めてネオは愛おしく思い、嬉しそうに笑った。そんな可愛らしい子供らしさを見せたネオにガルナとクレアは笑い―――
「貴方は偉いわね、ネオ」
ウーラとの話し合いでも活躍を見せた剣神リア・アスバトロアの節操のない過剰なスキンシップが少年の頬を赤らめさせた。
「ちょ...!!」
「...あら、少し痩せた?激戦続きだったものね、これからはちゃんと食べるのよ」
そう言いながらネオを抱きしめ続けるリアにクレアは恥ずかしそうに顔を背け、ガルナは心底軽蔑した目でリアを見つめる。
「...お前のその性癖が無ければ俺はお前を尊敬していたろうさ。そうならなくて良かったと今は思っているがな」
「仮にも功労者の一人に酷い言い草ね。私はただ頑張った子供を褒めてあげているだけよ」
黒の獣というガルナもあずかり知らぬ未知の脅威に単身戦いを挑み、生還した英雄のあまりに気の抜けた顔にため息をつき、その間もリアに弄ばれ続けるネオを助けるべくクレアが手を伸ばすがそんな救いの手すらも引き寄せて抱きしめる光景にいよいよ身の危険を感じ始めたガルナは立ち上がり、部屋を後にする。
アマテラスの説教にリアのスキンシップ、あれが数時間前までは信仰都市で激戦を繰り広げていたと言うのだからお笑い草だろう。ガルナ自身、その光景を悪くないと思っていることに、たった一ヶ月弱の旅路で自身がアカツキ達に感化されていることにも笑う他ない。
そう思いながらガルナはふと通路の窓から外を見て―――たった一人で宿屋を抜け出すアカツキの姿を見る。
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―――信仰都市の問題は解決した。最初は自分の体を侵していた神器メモリアの欠片を切除するべくこの都市に訪れて、黒羽と出会い、その夜に暴れ狂うメモリアの残骸によって自我を失ったアカツキは信仰都市の中枢、天間雫の住まう神社の一角にあるネオたちの母屋で目を覚まし、そこから信仰都市の問題に深くかかわっていくこととなり、
ダオの生者と死者を反転する計画の打破、ネクサル・ナクリハス率いる教会の手勢から市民を守る為に戦い、混迷を極める信仰都市で起きた数々の事件の当事者となり、その解決の為に尽力した。
結果、予言では滅びると言われていた信仰都市は首の皮一枚で繋がれ、全員とまではいかないが多くの人を救う事ができ、救う事の出来なかった多くの命に対して許しを乞いながら、きっとこれからもアカツキの旅路は続く。
最早、何一つとして思い残す事などない。―――唯一、彼を除いては。
「やあ、ネヴ」
幾分か地獄の攻撃の余波が残る街並み、破壊しつくされたとまではいかないが幾つかの家屋は倒壊しており、その一つにあたる家屋に隣接する古びた馬小屋でアカツキの姿をした何かの赤く光る瞳が流血で赤くなった藁の上で息も絶え絶えに横たわる男を見下ろした。
「...は。まだ、生きていたのか英雄ネヴ・スルミル」
「まあね、地獄との接続を途切れさせ、君を現世に送り返した時点で僕個人のやりたい事は終わっているけれどこれは英雄としての最期の役目。それを果たさないままに消える筈が無いだろう」
同じ名前、同じ妹、同じ親友を持ち―――スルミルの妄執に囚われた父によってその運命を狂わされた信仰都市の始まりにして終わり。この都市の呪いを初めに背負わされ、その呪いを持って壊滅に導く筈だった地獄の主は最早死に絶えも良いところで、英雄ネヴ・スルミルが直接手を下さずとも数日で息を引き取っていたことだろう。
だが、こうして彼はアカツキの姿を借りて再び自身の前に現れた。―――今度こそ、自分に終わりを告げる死神として。
「...ようやく、死ねるんだな」
グルーヴァとの戦いで生じた火傷で全身を常に灼熱に包まれたような熱と痛みが巡り、その炎で塞がれなかった複数の傷跡から流れ出る血は、まるで報いかのように自身を苦しませ続ける。それでもここまで来たのは―――。
「ここはハデスと初めて会った馬小屋があった場所だから。最後はその想い出に浸りながら死にたいと思ったんだろう」
「...さあな。奴との戦いでも死ぬことの出来なかった愚かな男の考える事など、知る筈がないだろう。俺にはもう何もない。生きる理由も―――死ぬ為の理由さえ、見つけられなかったんだ」
その矛盾が傷をなぞり、過去を這いずり進ませてここまで誘った。きっともう、地獄の主ネヴは既に死んでいるのだろう。ここに居るのは過去を捨てきれなかった愚かで哀れなただ一人の青年でしかない。
「もう終わらせてくれ英雄。他の誰でも無い、お前自身の手で」
数百年に渡る巫女の無念、祭司の想いを背負った最後の英雄は今この瞬間を持って信仰都市の因果に決着をつける。意味なき巫女継承の儀、民の洗脳に扇動、一柱の復活を為すために多くの命を奪い去ったその男を殺すべく伸ばされた手が、火傷で白くなった首元へ伸ばされて、
「さようなら、ネヴ・スルミル」
―――譲渡が行われる。
。。。
.............................................。
「は?」
突如として湧き出した光と力が死に体だったネヴの体に再び宿り、目の前の青年から吸い取られて消えていくようにその魂から色が消えていく。それはアカツキ本人のものではなく、その膨大なスペースを間借りしていた英雄の魂そのものであり、彼が持つ知識、力、能力、全てがネヴへ譲り渡されるように消失しているのだ。
「何を、いや...だ。やめろ、やめてくれ!!」
「......」
「どうしてだ!!もういいだろう!!俺は殺したんだぞ!?アシャや、グルーヴァだって...」
「黙りなよ、気が散る」
子供のように喚き散らすネヴにその青年は酷く冷たい言葉と視線を送り、闇夜に輝く赤い瞳がその奥に潜む英雄の本質を映し出す。
何を受けてもその波が凪ぐことはなく、雪の降る真冬の海のように冷たい冷徹さが活力を取り戻していく体を震わせ、全く事態を飲み込むことが出来ずに恐怖と絶望が思考を満たしていく。
「...な、んで?」
体に力が戻っていき、今まさに目の前の男は消えていく最中だというのにネヴは身動き一つ取ることが出来ず、困惑の言葉を口にする。
「俺を殺せばそれでいい筈だろう!!そうすれば...」
「―――異世界からの来訪者にして、一度は自身の存在する世界へ帰還した呪いの神ベルメリヨン・セレーノスが復活するだろうね。彼が君に掛けた呪いはハデスと君を融合させ神の座へと引き上げ、その死を持って再び現世へ復活すると言う呪いの中では有り触れた部類の呪法だ」
「ぁ...」
英雄アシャによって破壊された地獄と現世を繋ぐ正門、本来そこで地獄との接続が切れる筈だったネヴに再び力を与え、あまつさえハデスを利用することで神格を為したその凶行を思い出したネヴは小さな声をあげる。
「...グルーヴァやこの都市の人間がその意思で君を殺すのなら構わなかった。だってそうだろう?君が狂わせた人間による断罪は正当なものだ。そうなれば問題は増えていたけれどアカツキや教会、剣神や巫女を使用すれば世界人口の半数は死に絶えるだろうが、まあ殺すことは出来ると思っていた」
「な...にを言ってる」
「...?損得勘定の話だよ。君が信仰都市の人間に殺されると言うのなら僕はそれは受け入れるし、ベルメリヨンの復活で大勢の犠牲は出るけど、少なくとも君を殺した人間の心はその瞬間だけは救われるだろう」
それは、常人には決して理解することの出来ない。否、常人であろうとなかろうと、男の言う言葉に正当性も実利もあったものではないだろう。だが、目の前の男はさも当たり前のようにその持論を語り続ける。
「けどね、こうなった以上、誰も君を殺そうと思う者が居ないのなら君を死なせておく理由が無い。それだけの話で、それ以上の話でも無いだろうに」
「い、いいや、間違っている。だって、そうなっていれば確実に信仰都市の人間からも被害が出る。大勢の人間が死ぬんだぞ!?」
「でも、滅びないよ?」
―――あぁ、全く。何を勘違いしていたのだろうか、と今更ながらネヴは心の中で思った。永い間そのような使命を持った人間を、巫女と祭司を利用しておきながらどうして理解できなかったのか。
この男は、目の前の存在はどこまでも―――英雄でしかない。
信仰都市の存続、その為ならば如何なる犠牲も問わない都市の守り手。彼の手は、とうに救うべき人間の血で汚れている。
それも全ては信仰都市と言う一つの広大な土地を守り抜き、そこに繁栄をもたらす為に。
人として扱うべきではなかったのだ。逸脱した理論、決して理解の出来ないその言葉を理解しようとする行為にはきっと何の意味も無い。
ただ、そうあるべしと佇む理のような何かに男は今も縛られ続けているだけに過ぎないのだから。
「―――ネヴ?」
そんな狂気の渦巻くその場所には似つかわない少女の声を聞き、二人の視線が一斉に同じ場所を向く。
「...アマ、テラスか?」
ネヴが突如として現れた少女と思わしき存在の名を呼び、アカツキの体を借り受けている青年は何も言うことなく、存在の譲渡を早め、その光が強まっていく光景を前にアマテラスが叫ぶ。
「なんで!!生きてるなら、まだ、そこに居てくれるのなら...。私の所に戻ってきてくれなかったの」
少女の目から大粒の涙がボロボロと流れ、その悲しみと共にこれまでひた隠しにしてきた本心が初めて英雄の前で曝される。そんな事をさせてしまった罪悪感に英雄は目を反らし続け、唇の端を噛み締めながら言う。
「君とまた話してしまったら、僕はきっとこの道を進めなくなってしまう。...必要の無い、ことなんだ」
「そうやってまた英雄を気取ったまま死ぬつもりなんじゃろう!!お主はいつも、残された者の事など考えず、後を託す。―――私の気持ちなんて、知りもしないで」
英雄を気取る。それがどれほど残酷で、しようのない事かを知りながらも男はかつて都市を復興させる為に三年の月日を人の命と自身の心を消耗させていきながら奇跡を為した。
―――ずっと、父の言葉が耳にこびりついて離れなかったから。
自身を英雄と呼び、スルミルを引き継ぐに相応しい存在と褒め称える父の姿に縋って、そんなありもしない虚構にまた、褒められるのならと。
けど、今はもう違うだろう。父の愛が、自分ではなく英雄と言う存在そのものに向けられたものだと知っている。その醜さも、愚かさも知って尚、英雄として生きると言うのなら。―――生きると言うのであれば。
「―――ネヴ、ちゃんとお別れを言おう。英雄としてじゃなく、お前自身の言葉で」
英雄が借り受けている体の主が譲渡を行う青年の手を止め、同じ都市を愛し、同じ時を生きた二人に見合った終わりを望み、アカツキは体の主導権を奪い返し、現実ではアマテラスの方へと向かい、心の中では英雄に向き合った。
『無理だよ。今更どうアマテラスと話せばいいのかなんて分からない...』
『それが本心だろ。ったく、何が英雄だよ。そうやってうじうじして、まともに目も合わせられないくらい恥ずかしいからアマテラスには会えませんでしたって、言えばいいのに...。いや、まあその気持ちも分からないでもないよ。けどさ―――本当に最後がそれで良いのか?』
とてもではないが英雄として見えない青年本来の気質、それを知りながらもアカツキは彼が望むならと最後に体を貸したが、まさか別れの一つも言わずネヴの下へ行くとは思わず焦っていたところ、アマテラスの登場で体の主導権に綻びが生じ、こうして彼の善行を直前で止めることが出来た。
『...最後くらい、本音で話してやれよ』
そう言い、蹲る青年の手を取り立ち上がらせるとアカツキはその背を押し、現実の世界でただの青年は目の前に立つ少女に向き合い、その大粒の涙を前に少し固まったのち、恥ずかしそうに上を見上げた後―――その小さな体を精一杯抱きしめる。
「ごめん、アマテラス。長い間独りぼっちにして、残された君とシズクの気持ちも考えず、死に際にあんな言葉を残して、本当に申し訳なく思ってる。正直合わせる顔が無かったんだ。原初の檻で会った時も君に良いところを見せたいから格好つけてたけど、本当は逃げたくて仕方なかった」
けれど、そうすれば何もかもが手遅れになってしまう。ダオの儀式は成功し、過去に死んだ人々の気持ちなど考える間もなく蘇り、その者達は自分達を蘇らせる為に犠牲になった人間達の分まで背負いながら生きていく他なくなる。
そうなれば、自分達のようにその使命に殉じる以外の生き方を彼等は出来なくなってしまうだろう。それを止めんがために地獄の主を止める前の戦い、ダオの反転の儀式を止めるべくクレアに力の一部を託し、ダオとアマテラスの前に姿を現した。
本当なら、最後までアマテラスには会わないまま消えたいと願っていたのだ。―――だって。
「...君と話すと、いつも僕は止まってしまいたくなる。英雄としての焦燥感、残った月日で残せる多くの役目。全てを投げ出してしまいたいと何度思ったか分からない。この気持ちの正体が、それが何を意味しているのかも分かっている。分かったうえで、何も言えないんだよ」
―――元来、英雄に備わっている機能の一つとして言われている生殖本能の喪失とそれに連なる感情の欠如。ただ信仰都市の為に消費される彼等はそれを知りながらも、役目に殉じる他なく、その者達の子孫がこの世界に存在することは無い。アシャも、グルーヴァも、それ以前の英雄も全て等しく子を成すことなく一代で家系を終えて、新たに異世界から流れ着いた子供が英雄となる。
それはネヴ・スルミルという少年の名を奪った英雄も例外でなく、彼は愛を知ったまま、誰かを愛したまま死んでいく。そうするしか出来ないのだ。それが摂理であり、道理。決して揺るぐことの無い、一つの真実だ。
抱きしめる青年の鼓動とは別の、英雄の持つ魔力や温もりを感じ、アマテラスの瞳から流れる涙の粒はより大きく、より多く流れていき、愛を伝えられない不器用な青年に代わって、数百年を生きた少女は告げる。
「―――大好きだよ、ネヴ。お前の事が、ずっと。ずーっと好きだった」
「うん。僕もだよ、アマテラス。だからどうか幸せに生きてね」
あの日、すれ違ったまま終わる筈だった二人の道が今度こそ正しい道に交わっていき、その短い抱擁を終えて青年が今一度男に向き合うと、時を同じくしてアマテラスをこの場に呼んだガルナが到着する。
「アマテラス、一体何が...」
先んじて彼女が良く知る存在の魔力の発生源へと向かっていたアマテラスと、地獄の主ネヴの本体と思わしき青年の姿にアカツキの体を使って表面化している誰かの意思。
「英雄、ネヴ・スルミルか」
「やあ、ガルナ。今代の君とは初めましてだね。まずはアマテラスを呼んでくれてありがとう。きっと君が呼んでくれなければ僕はまた間違った終わり方をしてしまっていた」
目の前の男が何をしようとしているかは状況を見れば馬鹿でも分かる。赤く濡れた藁の上で身動きを封じられながらもその生命力を少しずつ取り戻していく英雄と同じ名を持った地獄の主とは対照に、ここまで接近するまで感じられない程に弱まっている英雄の魔力。
これは継承、或いは譲渡と呼ばれるガルナ自身も良く知るものだ。
「...理由を聞いても良いか。何故、今更その男を生かす必要がある」
「一つは個人的な感情だ。確かに彼は大勢の人間を殺したが、初めにスルミル家と言う信仰都市で原初の呪いの被害を受けた人物だ。そして、彼の死がベルメリヨン・セレーノスの復活に関わる以上、殺しておくことは出来ない。―――最後に、これは英雄としても、僕個人としても言える事だが、彼をここで生かしておくことが最も彼への罰になるだろう。奪った命に見合うだけとは言わない、今後彼が人として生きる数十年全てを贖罪と後悔で埋め尽くし、人を救い続けるように呪いを掛ける。未来永劫、僕が消えようとも続く呪いをね」
それは英雄らしからぬ人間の持つ悪意と呼ぶに相応しいものだった。現にアマテラスが来なければその真実を誤魔化したまま男を復活させていたのだから、それを本人も自覚しているだろう。だが、英雄ネヴ・スルミルとして生き、その全てを譲渡するに辺り隠すことを止めた彼はその醜さをも言葉にし、より現実味を帯びた恐怖がネヴを支配していく。
「死んで...やる。お前が人を救うよう呪いを掛けようとも俺は―――」
「あぁ、すまないね。君の意見は聞いていない。あのような痴態を見せた手前説得力は無いだろうけど君に対しての意見は何ら変わらないよ。可哀そうだとは思うけど、同情はしない。それは全て君が選んだ結果だからね」
その掌が触れ、今度こそネヴ・スルミルに関わる全ての譲渡が行われる。アカツキを介して行われるそれはある種の人格統合でもあり、借り受けたネヴ・スルミルという名前を持ち主に帰すと言う至極当然の行いでもある。
『じゃあね、アカツキ。健やかに育ち、その旅の行く末に君の望む結末が訪れることを彼方から祈っているよ』
『...うん。さようなら、ネヴ・スルミル。お前はどこにも行けないんだろうけど、俺がずっと覚えてる。グルーヴァも、アシャも、ネヴも。お前達の軌跡を知る人間として後世に語り継ぐよ』
『それはちょっと恥ずかしいかな。うん、でもまあ―――悪くも、ないや』
消えていく、戻っていく、別れを告げて、空に溶ける。そうして英雄は消え、ここにただ一人のネヴ・スルミルだけが残って、今度こそ信仰都市の問題の全ては終わりを告げた。
※以下、本編に関係のない独り言です。
はい。という訳で信仰都市編はこれにておしまいです。あとは幕間の物語としてその後を書いたり、幾つかのお話を書いて次の編に進みます。ふと見返してみたら信仰都市編は2019年に9/27に書き始めて実に七年程続いてしまいました。道中3年程個人的な理由で失踪してしまいましたが、戻って来れました。
その間のお話だったりは信仰都市編の物語のテーマに関わるのでおいおい話しますが、まずは何より信仰都市編を終えられて自分でもホッとしています。
今後もマイペースに更新していきますので、是非ともよろしくお願いします。では。




