⑦勇者、決断する
ミルの作ってくれたご飯はシンプルな水炊き鍋だった。具材は森で取ったであろう山菜と、何かの生き物の肉。
「今日はお肉入りだよー。お兄さんが居るからってメルが狩ってきたんだよねー?」
「お、お姉ちゃん!」
「そうなのか。わざわざありがとう」
「別に、違うから……」
ミルが木の皿によそって俺に手渡す。
「いただきます」
スプーンで掬って、一口食べる。
「どう? 美味しい?」
「ああ……美味しいよ……」
「でしょ? 良かった」
……嘘である。
いや、メルが食材を取ってきてくれて、ミルが作ってくれた。俺にとってはそれだけで地上のどんな飯より価値がある。それは間違いない。
ただ、味として応えるなら、塩すら入っていない水炊きだ。当然他の調味料などは一切入ってないだろう。不味くはないが、それ以上でも以下でもない。
塩や香辛料みたいなものは多種族との交流が無く、土地も痩せている魔族領で手に入れるのは難しいのかも知れない。だから人間の村が魔族に襲われるときは、真っ先に食糧が狙われる。
「やっぱりお姉ちゃんの作る料理は最高だね!」
「ふふっ、でしょ? いっぱいあるから沢山食べてね」
サキュバスの寿命は凡そ400年と言われている。対して人族はせいぜい70年程度。
先程のメルの話からして、この二人は見た目に反して俺よりも遥かに年上なのだろう。
そしてこの決して裕福とは言えない暮らしをもう何年、下手をすると何十年も続けているのだ。
ふとバルゴの宿の、温かい食事とベッドを思い出した。
思い出せば思い出すほど、この姉妹が肩を寄せ合って藁の上に薄い布を敷いて寝ているところを想像してしまう。
……ダメだ。こういうのは良くない。
そう思っているのに、また目の前が涙で滲む。
「……お兄ちゃん、また泣いてるの?」
「どうしたの、どっか痛いの? それともミルの料理合わなかった?」
「違う……美味しいよ。ごめんな……」
何でもいい。俺に何か出来る事はないのか。
食事が終わって後片付けを手伝うために洞窟の外に出ると、日はすっかり沈んでいた。
半日くらい気絶していたらしいので、今から帰っても、またリリアを泣かせてしまうかも知れない。
「お兄さん、もう帰るの?」
振り向くとミルが悪戯っぽい笑みを浮かべている。メスガキサキュバスモードだ。
二人の素顔を知ってしまった今、もうマゾとしての欲求は満たされなくなるのではと覚悟していたが、全くの杞憂だった。
「もう遅いし、今日は泊まっていきなよ? お兄さんで試したい遊び、まだいっぱいあるんだから」
「うっ……」
なんて魅力的な誘いなんだ……。姉妹で健気に生きていても、食事が質素であっても、やはりこの二人はサキュバスで、生粋のサディストなのだ。
いや……種族など大した問題ではないのかも知れない。
ただ美しいものは美しく、素晴らしいものは素晴らしい。そう言える世界であって欲しい。
「ほら……おいで? 今日は夜通しメルと二人で、沢山遊んであげるよ」
その為には。
「……今日は、ちょっと……ダメだ……」
「え? 何で?」
ミルが意外そうな顔をする。
それはそうだ。
「断るとか正気? お兄さん、今の自分の顔見てみなよ。すごい顔してるけど?」
「分かってる……。泊まりたい、死んでも泊まりたい……」
そうだ。泊まりたい。泊まりたい。泊まりたい。
「じゃあ、なんで……」
「でも、待ってる人がいるんだ……」
言えた。言えた。辛い。でも。言えたぞ!
ミルは怒っている様子でも、悲しんでいる風でもない。たださっき食事を共にして少しだけ距離が縮まったからなのか、俺の覚悟を察してくれた様子だった。
「そっか。大事な人なんだね」
「……ああ。ミルやメルと、同じくらいな」
「ふーん……」
尻尾がピクリと動く。
「後もしも……もしもだけど……俺が勇者をやめて、二人と一緒に暮らしたいって言ったら受け入れてくれるか?」
「えっ……」
予想もしない問いかけに、初めてミルが動揺の色を見せた。少しだけ洞窟の方に目をやる。
「分かんないよ……。そりゃお兄さんは私たちの玩具だけど……でも、多分無理だと思う。お兄さんが戦うのをやめても魔王様は許さないだろうし……もしそうなったらメルも危ないから……」
ミルは目を伏せる。
やはりだ。この姉妹は元々、戦うのはあまり好きではない。そして、一番に家族の事を考えているのだろう。
「だよな。じゃあ先ずは、そこの問題から片付けてくるよ」
今度は顔を上げて俺の方を見た。その透き通った赤い瞳には、心配と少しだけ恐怖の色が混じっている。
「……殺すの? 魔王様を」
「いや……」
目を閉じて息を吐く。
これまでの旅を振り返った。初めて聖剣に触れた時。王命で勇者に選ばれた時。仲間との出会いと別れ。そして……リリアの事。
「俺はもう、誰も殺さないよ」
◇ ◇ ◇
バルゴの街に戻り、そのまま宿屋へ急ぐ。
ミルとメルにはまた必ず来るから待っていて欲しいと伝えた。
「えっ、帰るの? 生意気だよ……お兄ちゃん」
「どうせまたすぐ来るんでしょ? ほら、私たちの印、まだ消えてないんだからね」
「はいぃ……またすぐ来ますぅ……」
誰に憚ることもない。
この印は俺の誇りだ。
バルゴの街に戻って、一直線に宿屋に帰った。
「勇者様、おかえりなさい」
思った通り、リリアは俺の部屋で待っていてくれた。
心配しながらも、いつもと変わらない笑顔で俺の事を待ってくれている。
こうなってしまったのは自分の責任とはいえ、ある意味では魔王討伐よりも余程勇気のいる事だった。
「リリア……話がある」




