⑥勇者、敵の手に堕ちる
岩肌から滴る水滴の音で目が覚めた。
ゆっくりと重い瞼を開く。
視界に映ったのは先程の河原でもなく、いつもの宿の景色でもない。
薄暗い湿った岩壁だった。
ぼんやりと魔石灯の光が反射している。
そして、どこからか甘い匂い——
「あ、起きた?」
声の方を見る。
岩壁に持たれていたミルがこちらを見下ろしていた。
「お兄さんって本当に馬鹿だよね。気絶しちゃうくらい気持ち良かったの?」
呆れたように笑う。その笑顔はいつもの小悪魔的な歪んだ笑顔ではなく、普通の少女のそれに見えた。
「助けてくれたのか?」
「うん。お兄さん、面白いから持って帰ってきちゃった」
どうやら、心配したという感じでは無さそうだ。そもそも、俺の方も自分から進んでイジメられに来たのだからそれをどうこう言うのは筋違いだろう。
ただ、面白そうと言われてまた少し喜んでいる自分がいる。
「ここで暮らしてるのか?」
「うん。メルと二人でね。あ、メルー! お兄さん起きたよー」
森から戻ってきたメルは俺の顔を見て、慌てた様子で少しだけ顔を赤くした。真性のサディストとは思えない意外な反応に、俺は目を丸くする。
「あ……おはようお兄ちゃん。鞭痛かった? マゾのお兄ちゃんなら喜ぶと思ったんだけど……ごめんね?」
「え? …………誰?」
「あはは、メルは家ではいつもこんな感じだから」
「〜〜〜! だから連れて帰るの嫌って言ったじゃん、お姉ちゃんの馬鹿ぁ!」
「はいはい、よしよしごめんねー」
ミルがメルの頭を撫でる。
メルは少し涙目になりながらミルにしがみついて俺から隠れようとする。
こうしてみるとただの美少女姉妹だ。
いや、洞窟で暮らしてるけど。
「……どうせマゾお兄ちゃんはメルの事見て幻滅してるんでしょ? 踏まれたり鞭で叩かないと私の事なんて見てくれないんだ。お姉ちゃんの方が良いんだ」
「いや、そんな事ない。俺はその……二人とも大好きです……」
むしろ、今のメルを見ていると何だか新しい感情が芽生えそうになる。くそっ、この姉妹はどれだけ俺に性癖を植え付ければ気が済むんだ。全く、最高じゃないか。
「ふーん……やっぱりお兄ちゃんは変態だね。ま、別に良いけど」
「あっ、機嫌治ったね。じゃあ、ご飯にしよっか。すぐ支度するから待っててね」
そう言うとミルは洞窟の外に出て行った。
本当にここで暮らしてるんだな、と思った。
生活水準は人間が一番高く、ついでエルフ、ドワーフ、その他の亜人というイメージはあった。ただ、動物のようにこんな所で暮らしているのは今時リザードマンでも珍しいんじゃないか。
サキュバスとはいえ、人間とほとんど同じ見た目の少女二人がこんな所で暮らしているのは、正直言って意外だった。
「メル……様」
「メルでいいよ、お家では」
「じゃあメル。本当にここで暮らしてるのか? 家は? 他の家族や魔族の仲間はいないのか?」
その問いに、メルは少しだけ言い淀んだように見えた。
「魔王軍に入ってない魔族なんて、みんなこんなもんだよ。今はお姉ちゃんと私の二人だけ。昔は村に住んでて、お母さんとお父さんも居たけど……人間に殺されちゃった」
さり気なく答えたつもりだったのだろうが、それがかえって胸を締め付けた。ただのドSなメスガキサキュバスだと思っていたのに。
「そうか……すまない」
「別にいいよ」
少しの間、沈黙が流れた。
今まで考えましてこなかったが、もしかしたら魔族にとって、勇者は魔王みたいな存在なんじゃないのか。
ミルとメルの居場所を間接的に奪ったのは、もしかしたら……俺なんじゃないだろうか。
「……その……人間を恨んでるか? あの……俺は勇者だし、もしかしたら君達の知り合いとかも殺した事があるかも知れない……」
俺の考えが伝わったのか、メルは少しだけ目を見開いた。
「ないない、だってもう数十年前の話だし。それに、勇者の事は知ってるよ? 魔族だってむやみやたらに殺さないって。お姉ちゃんの時もそうだったし、今代の勇者は魔王軍以外には優しいって、他の魔族からも聞いた事あるから」
「……うん……ありがとう」
「お兄ちゃん? え、うそ、何で泣いてるの!?」
「あれ? はは……何でだろう」
そうだ。別に俺は魔族や魔王を殺したい訳じゃない。
この種族同士の無益な争いを無くしたいだけなんだ。魔王軍は人間を殺す。でも人間の国王軍だって魔族を殺す。
俺はたまたま人間に生まれて、ミルとメルは魔族に生まれた。
俺たちだけじゃなくて、みんなそうなんだ。
ただそれだけの事なのに、何で戦わないといけないんだ。
そう思った時、ギュッとメルが俺の頭を抱いた。
柔らかい感触とメルの温かい体温を感じる。心臓の音が聞こえる。少しだけ、鼓動が早い。
「何かよく分からないけど……辛い時は、いっぱい泣いて良いんだよ? 今だけはマゾのお兄ちゃんじゃなくて、普通のお兄ちゃんだと思ってあげる」
「うん……うん……ごめん、ごめんな……!!」
俺はメルの胸の中で情けなく泣いた。
鞭で打たれている時より、服従のポーズで待っている時より、今の自分が何より情けなかった。
メルはこう言ってくれたけど、多分俺はいっぱい殺した。国王に言われるがまま、リリアに言われるがまま、何が正しいか自分できちんと考えないまま、本来なら救えるはずだった人達を、見ようとしないまま沢山殺した。
勇者が怖い。
人を殺すのが怖い。
魔族を殺すのが怖い。
自分のせいで人が死ぬのも、自分が何もしないせいで人が死ぬのも怖い。
「俺はもう誰も……殺したくない……!」
「うん……」
いつの間にかメルも泣いていた。
もらい泣きなのか、両親の事を思い出したのだろうか。
俺は気付いたらメルの事も抱きしめていた。
抱き合いながら二人で泣いた。
「ご飯出来たよ〜……って、ええ?! どういう状況なのこれ?!」
ミルの声で二人とも顔を上げて、それからお互いに、少しだけ笑った。




