③勇者、戦場に発つ
翌朝、日の出と共に俺たちは歩き出した。
昨夜はほとんど寝ていないのに、今朝は二人とも満ち足りた気持ちだった。
俺もはミルとメルの事もすっかり忘れて、リリアの隣を並んで歩いた。
リリアも昨日までと比べて明らかに距離が近くなった。良くない事とは分かっていながら、ここには脅威になる魔物もいないので二人とも完全に油断をしていた。
並んで歩く手が触れ合う度、互いの顔を見ては笑った。
分かってる。こんなのは今だけだ。
魔王領に入れば戦いはずっと厳しくなる。だからこそ、今この瞬間がかけがえの無いものに感じた。
こんな時間がいつまでも続けば良いと、そう思う。
「勇者様……私ったら、変な感じです。だってもうすぐ魔王を倒そうという時なのに、こんなに満ち足りた気持ちなんですもの。不謹慎だって分かってるのに、起きた時からずっと胸の辺りがポカポカして治らないんです」
リリアの言いたいことは良く分かる。俺も同じ気持ちだ。
ただ、リリアと少しだけ違うのは、それを心のどこかで俯瞰している自分もいるという事だ。
「……きっと、危ない場所に行くのを分かってるからこそ、本能が求めてしまってるんだろうな」
俺が柄にもなくそんな事を言ってしまうものだから、リリアは少しだけ難しい顔をした。
「勇者様、デリカシーにかける発言です。照れないでちゃんと聞いてください」
「……悪かった」
もう手を繋いだ方が隙がないんじゃないかと思うくらい、聖女はこちらに肩を寄せている。
マズい。もし今こんなところを二人に見られたら——
そう考えて、ぴたりと思考が止まる。
あれ? 俺は今、何を考えていたんだ?
なんでリリアと一緒にいるのに、アイツらのことを考えなきゃならない?
全く馬鹿げている。
そうこうしているうちに森を抜けて、魔王領手前の防衛前線、城塞都市バルゴに着いた。
大きくて重い鉄の扉の横には、準勇者級と評されるSランクの冒険者が二人立っている。
二人とも鑑定スキルを持っているのだろう。見られたときに少しざわついたが、ココは鑑定を妨害せずにおとなしく従う事にした。
王都からの紹介状を見せるとすぐに門を開けてくれた。
「勇者様、聖女様もすみません。一応、規則でしたので」
「いや、いい。お勤めご苦労様」
軽く手を挙げると二人とも深くお辞儀をする。
なるほど。
街全体が統制の取れた、良い組織のようだ。やはり前線を何年も支えてきた防衛の拠点だ。街の人の顔つきも皆、歴戦の戦士を思わせるようだった。
「殆どが王都から派遣された衛兵か冒険者とその家族らしいですよ。王都が平和ボケしていられるのは、この都市があってのお陰ですね」
リリアがため息を吐いた。
同感だ。近隣の街や村では魔王軍の被害は年々増える一方だというのに、王都の貴族どもは自分たちの領地に私兵を派遣しようともしない。
ギルドや俺たちに依頼を投げるばかりで派閥拡大の経済競争や政略結婚などに現を抜かしている。
酷いところだと本当に被害が魔王軍によるものなのか、なんて噂もあるくらいだ。
逆に、一説によると人間側から始めたともされる魔王領の侵攻は、ここ数年然程進んではいない。
こちらの方が何十倍も頭数はいる筈なのに、魔族の方が兵の指揮も練度も、統制も明らかに人族より優れている。
だがそれは、あくまで全体を比較した時の話だ。
この街で見かける兵士は、昨日戦ったワーウルフとは別の種族と言えるような狼獣人の武人。リザードマンの戦士。エルフの魔法使い。ドワーフの鍛治士。
魔族以外のあらゆる種の上澄みという上澄みがここに集まっている。
もちろん俺やリリア程じゃないにしろ、仮に魔王がここを落とそうとするならば、あちらもかなりの被害を覚悟しなければならないだろう。
お互い、不用意な血を流すくらいなら不可侵で居たい。そういう不文律がここでは成立しているようだった。
俺たちは都市の中心部にある一番良い宿屋を訪ね、並びの部屋を二部屋、一週間ほど借りる事にした。
聖女は一部屋で良いのにと言ったが、ここで士気をぼかすわけにはいかない。何より一目につき過ぎるということで納得してもらった。
そうして荷物を置いて一息ついた頃には、太陽は一番高いところに登っていた。
ここに来るたびの長旅で大分疲労も溜まっている。このまま夜まで眠りについて、夜はリリアと語らいながら静かに過ごす。
それが一番幸せで、体を休める為にも良い筈だ。もちろん頭では、そう分かっている。
それなのに、何故かさっきから腹の下のあたりが疼いて仕方がない。目を閉じてベッドに横になるが、一向に眠くならないのだ。
「……くそっ、それがどうしたっていうんだ」
誰に言うでもなく呟くと、俺は起き上がって簡単に身支度を整えた。ふらりと街を歩くような格好で、聖剣も武器も持たない。
少しばかりの路銀と、替えの着替えのみ。
聖女の部屋に鍵が掛かっている事を確認してから、夕食の頃には戻る、と宿の女将に告げた。
重たい気持ちを引きずりながらも、やけに足取りは軽かった。殆ど走り出す勢いで来た道を戻る。
先程の門番には魔王領の下見だと告げた。
輝くような彼らの目に後ろめたさを覚えながら、完全に見えなくなったところで走り出す。
行きに三時間以上掛けた道を戻るのに、今度は一時間と掛からなかった。
来てしまった。
ミル。
メル。
二人はどこだ?
辺りを見回したが、二人はおろか魔物の気配すらない。少し早く来すぎただろうか。
そう思いながら、一時間、二時間と待つ。
一向に来る気配はない。
おかしい。
日の傾きからしても、約束の時間はもうとっくに過ぎている頃だと思う。
所詮は淫魔の、それも子供の言った事だ。
俺は遊ばれていたのかもしれない。
それならそれで良い。
むしろリリアの事を考えるとそれが一番良い筈だ。
良かった。俺はまだ勇者のままだ。さあ帰ろう。
そう思っているのに、足が動かない。
十分。二十分。半刻が過ぎても、あと一分、あと一分とジリジリと引き延ばしてしまっている。そして時間が経つにつれ、「会いたい」という気持ちだけがどんどん膨らんでいく。
そうして更に時間が経ち、ついに日も傾き始めた頃。そろそろ帰らないともう夕飯に間に合わない。
失意の中でようやっと踵を返したとき、背後から面白がるような声が聞こえた。
「あれあれー? お兄さんじゃん」
「ねぇ、こんなところで何してるのー?」
振り返ると、そこにはミルとメルが立っていた。
蔑むような二人の目を見た瞬間に、言葉にならない快楽が頭の中を駆け巡る。
俺の下腹部は激しく疼いたまま、もうそれが痛みなのか何なのか、自分でもよく分からなくなっていた。




