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日本へ到着

どこまでも青い大海原(おおうなばら)が広がっていた。

この海を越えていけば、いよいよ日本にたどり着く。日本で布教活動を行う。


「おお、陸だ、陸が見える、あれは日本だ。」

ついに、日本の地に足を踏み入れる時が来た。

1549年、ザビエル(的野亮)の一行は、鹿児島に上陸した。


「おお、あれは南蛮(なんばん)からの船だ。」

「おーい!南蛮(なんばん)からの船が来たぞー!」


物珍しい南蛮(なんばん)の船を見るため、人々が集まる。何重にも人々が取り囲む。

ザビエル一行は、たちまち注目の的となる。

そんなわけで、ついにアレを登場させることになる。

「これが、西洋(せいよう)馬車(ばしゃ)、いえ、南蛮(なんばん)渡来(とらい)馬車(ばしゃ)というものだ。」

見たこともない立派な馬が、豪華(ごうか)絢爛(けんらん)に装飾された車を引いている。


これが、日本で最初に、西洋の馬車が日本の公道を走ったという記録になる。

知られている限りでの、最古の記録として記載されることになる。


「さあ、行こうか。」


南蛮(なんばん)渡来(とらい)馬車(ばしゃ)に乗って、ザビエル(的野亮)一行は、この薩摩の地を治める島津氏の屋敷を訪れることに。

島津の兵たちも、初めて目にする馬車に驚き、食い入るように見つめる。


「ふふふ、まさか、このザビエルの正体が、転生した日本人の的野亮だとは、誰も気づくまい。」

心の中で、そうつぶやいた。もちろん、周囲の者には誰にも聞こえていない。


島津屋敷に到着した。島津家の当主が直々に会うという。

「どうぞ、こちらへ。」

ザビエル一行を出迎えたのは、島津家の当主、島津(しまづ)貴久(たかひさ)だった。


島津(しまづ)貴久(たかひさ)「ようこそ、はるばる南蛮(なんばん)からの長旅、ご苦労であったと推察する。

わしが、薩摩(さつま)を治める、島津家の当主、島津(しまづ)貴久(たかひさ)である。

一同の者、(おもて)を上げられよ。」


ザビエル(的野亮)は、さっそくキリスト教に関する話を始める。

もちろん、キリスト教の布教が第一の目的であるということは、言うまでもない。

しかし、島津(しまづ)貴久(たかひさ)は、キリスト教の教義には、それほど興味を示していなかったようだ。それよりも、南蛮の物珍しい金銀や宝石、財宝、貿易で得られる利益、そういうものに興味を示していたようだった。


島津貴久「ところで、屋敷の外にある、あの妙な車は何だ?」

ザビエル「あれですか?あれは馬車といって、南蛮ではどこの国でも走っている、ポピュラーな乗り物です。」


日本でも、牛車(ぎっしゃ)という、牛が引いて走る、平安貴族などが乗る乗り物があるが、西洋の馬車は、この時代まで日本では走っていなかったから。

だいたいからして、1543年にポルトガル人が種子島に鉄砲を伝えに来るまでは、中国と朝鮮以外の外国を知らず、国内でグダグダと戦に明け暮れていたのだから。

島津(しまづ)貴久(たかひさ)は馬車に興味を持ったようだ。


島津貴久「わしも、その馬車に乗せてくれぬか?それと、この馬車を一頭立、わしのために譲ってくれぬか?金はいくらでも出すからのう。」


なんと、最初の一頭立は、島津貴久が直々に買い取ることで、契約成立となった。

ちなみに、馬車の数え方は、一頭立(いっとうだて)と数えるのだという。馬とセットの場合は、そういう数え方だという。


いや、後のことは心配しなくてもいい。

西洋の馬車は、同型のものを複数台、持ち込んであるからな。馬もあらかじめ、用意してある。


さて、これからどうしようか。物見遊山のために日本に来たわけでもないが、せっかくだから、日本各地を巡って旅しよう。


次に向かうのは、豊後だ。そこから本州に上陸して、京の都を目指す。


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