日本へ
ついに、ポルトガルのジョアン3世の命を受けて、日本に旅立つ時がやってきた。
1540年に慌ただしくローマを出発した。
リスボンの港から、航海に旅立ち、そこから日本を目指すが、日本にたどり着くのは、1549年。
なんと、リスボンを旅立ってから、9年もかかることになる。ということで、酔い止めの薬は欠かせなかった。
ポルトガルから、ずっと南に行くと、アフリカ大陸。そこから、最南端の南アフリカの喜望峰というところにたどり着く。
そこから、モザンビークへと向かった。
1542年にモザンビークに到着し、現地で布教活動を行った。
そこから、インド洋に入る。インドのゴアを経由して、明国のマカオへ。
インドのゴアも、マカオも、当時はポルトガルの植民地として、東洋に進出するための中継基地であり、東洋にキリスト教を布教するための大事な拠点だった。
途中で嵐に逢ったり、布教先で病になるような懸念もあった。なんとしてでも、日本までたどり着くんだ、日本にたどり着く前に死んでしまったりしたら、わざわざここまで来た意味が無い。
「いくぞ!日本までたどり着くんだ!」
マレーシア南部のマラッカに立ち寄った。
今まで、ザビエルとして生きてきた中で、俺は、ザビエルについて詳しく知識を得るため、ザビエルに関する本を読み漁った。
俺が転生すると同時に、ザビエルに関する本たちも、こっちの時代に来ていたようだ。
ザビエルとして生きる中で、特にスペイン、ポルトガルの料理や、西洋の馬車の構造などには、
かなり詳しくなったつもりだ。
特に、西洋の馬車は、世界中の国々で馬車が走っていた中で、日本ではようやく明治時代に走り始め、しかもようやく普及し始めたかな、という頃になって、今度は馬が引かなくても走る自動車が普及するようになって、結局、西洋の馬車が日本の公道を走った期間は僅かな間でしかなかったという史実がある。
だから、もっと早い時代から、日本の馬車が普及していたら、という実験も兼ねてということだ。
そして、マラッカで、ザビエルの運命を大きく変える、いや、決定づけるといってもいいだろう、そんな出会いが訪れるのだった。
それが、ヤジロウとの出会いだった。
この人物こそ、薩摩国出身の、公式な記録として残っている限りで、日本人として最初のキリスト教信者とされる人物だ。
ヤジロウ「私は、ヤジロウといいます。
実は私は、人を殺してしまい、ポルトガル船に乗って、このマラッカまで逃げてきたのです。
私は、自首をしようと考えております。」
ザビエル「いえ、その必要はありません。
それよりも、私と一緒に、キリスト教の布教にあたりませんか?
私を日本まで案内してくださいませんか?
それから、あなたの国である日本について、もっと知りたいのです。」
このヤジロウの案内で、ついに日本に足を踏み入れることになる。上陸の地は、ヤジロウの出身の薩摩国だ。
殺人を懺悔するはずだったヤジロウを保護し、洗礼を授けたという話は、これは全て史実通り。
ここまではほぼ、史実通り。
ちなみにヤジロウの洗礼名は、パウロ・デ・サンタ・フェという。




