第89話 鉄の要塞
——地下・護送区画。
崩落した天井から落ちた土埃がまだ漂う中で、リディア・カーヴィー伍長は一歩前に出た。背後には拘束されたままのバルドル。逃がす余地はない。
腰のレガリアを抜く。
炎属性の軽直剣。
地下で振るえば爆発の危険すらある武器だが、迷いはなかった。
「……所属と目的を問う」
時間を稼ぐための問い。
ヴェイルはゆっくりと顔を上げ、土に覆われた身体をわずかに揺らす。
「名乗れ、と来たか」
低く、重い声。
「いいだろう」
その視線がバルドルへと移る。
「——グラヴァンディア」
一拍。
「お前の“後任”だ」
嘲りが混じる。
「無様な格好だな、バルドル」
拘束されたまま動けない姿を見下す。
「誇りも捨てたか」
バルドルはわずかに視線を上げただけで、何も言い返さない。
ただ、静かにリディアへ告げる。
「彼は上位個体です。正面から勝てる相手ではありません」
声音は落ち着いている。
「退くことをお勧めします」
リディアは構えを崩さない。
「任務です」
短い返答。
だが決意は明確だった。
グラヴァンディアがわずかに肩を揺らす。
「愚かだ」
その瞬間、地面が唸る。
砕けた石片が浮き上がり、一斉に射出される。
弾丸のような速度。
リディアは剣を振り、炎を極小単位で纏わせた斬撃を連続で叩き込む。爆発を起こさぬよう、魔力を絞り、精密に制御する。
石を弾き、受け流し、逸らす。
防ぎ切る。
だが押される。
「器用だ」
バルドルが静かに呟く。
炎を抑えた運用。地下という環境で成立させている時点で異常だった。
しかし、戦況は変わらない。
グラヴァンディアは歩くだけで距離を詰める。踏み込みに合わせて足場が盛り上がり、強制的に間合いを支配する。
回避しても石が追う。
逃げ場が削られていく。
「終わりだ」
グラヴァンディアが腕を上げる。
その瞬間——
「ちょい待ちぃや!」
横から割り込む声。
土煙を蹴って、怜と未央が飛び込んできた。
「なんや侵入されとるやんけ!」
未央が叫ぶ。
「話ちゃうやろこれ!」
「後で言え!」
怜はすでに踏み込んでいた。
迷いなく間合いを詰め、剣を振るう。
その刃は境界を斬る。
触れた瞬間、グラヴァンディアの防御が歪み、裂ける。
浅い。
だが確実に通った。
グラヴァンディアの動きが止まる。
「……面白い」
初めての反応。
しかし同時に、怜の呼吸が乱れる。
消耗が大きい。
未央が横に入り、間を繋ぐ。
「無茶すんなや!」
三人で囲む形になる。
それでも優位ではない。
地面がある限り、相手の機動は無限に近い。
グラヴァンディアは一歩引き、状況を測る。
そして即座に判断した。
「ならば、埋める」
両腕を広げる。
次の瞬間、地面がうねり、壁が歪み、天井が沈み始める。
地下構造そのものが押し潰されていく。
「まずい!」
未央が叫ぶ。
土と石が流れ込み、空間を埋めていく。
逃げ場が消える。
その中心で、拘束されたままのバルドルが静かに呟いた。
「……合理的ですね」
視線だけが動く。
「埋めてしまえば、確実に仕留められる」
崩落が迫る。
光が消える。
空間が閉じる。
——
——王都上層。
地下から伝わる振動は、明確な異常として現場に届いていた。床がわずかに揺れ、天井から細かな砂が落ちる。最初は地震かという声も上がったが、すぐに否定される。内部干渉。地下がやられている。
「……早すぎる」
ローナン・グレイ少佐が低く呟く。侵入そのものは想定していた。だが、タイミングが違う。屋上戦と同時、あるいはそれ以上に早い。
「想定より前倒しだ」
キアラン・ボイル中佐が即座に補足する。準備していた対応手順はある。分断、撤退、再配置。すべて頭に入っている。それでも、わずかな遅れが生まれる。
ほんの一瞬だけ、現場に迷いが走った。
その隙を突くように、ヴェイルが動く。
屋上では複数の上位個体が同時に踏み込み、精鋭部隊が迎撃に入る。跳び、囲み、斬る。各個撃破を狙った連携は完成されていた。だが通らない。
一撃が浅い。
次の瞬間には崩される。
逆に間合いを奪われ、弾き飛ばされる。
単純な力量差だった。
「退け!」
怒号が飛び、兵が弾かれ、次の瞬間にはさらに一人が沈む。三人目が距離を取った時点で、勝負にならないことは明白だった。
一拍の沈黙。
そして、決断。
「全員下がれ」
ドナル・マッカラン中佐の声は低く、それでもはっきりと通る。
「団長クラス以外は撤退。足止めは俺たちがやる」
迷いはない。
命令は即座に伝播し、精鋭部隊が統制を崩さず後退していく。追撃に出ようとするヴェイルの前に、ただ一人、ドナルが立った。
動かない。
退かない。
その場に立つ。
「——解禁する」
低く呟いた直後、レガリアが展開される。
《鉄の要塞》。
両手に現れる二丁のガトリングガン。腰部には増槽が接続され、重装火力の陣形が完成する。常人であれば持ち上げることすらできない重量だが、ドナルは構えたまま一切揺れない。
理由は単純だった。
強化。
身体だけではない。
足元に魔力が走り、床、靴底、接地そのものが同時に強化される。重量は逃がさない。逃がすのではなく、支える。
この質量を、そのまま受け止める。
「問題ない」
引き金が引かれた。
次の瞬間、咆哮が屋上を埋め尽くす。
回転する銃身から吐き出される弾丸は、すべて魔力を帯びている。一発一発が重く、貫通力に特化した弾が空間を押し潰すように進む。
ヴェイルが踏み込む。
だが前に出られない。
弾幕が壁となり、進路を完全に遮断する。
床が砕け、空気が震え、音が遅れて届くほどの密度で弾が流れる。
「いい判断だ」
フィン・オドハーティ大佐が笑う。
その隣で、キアランが冷静に状況を見ていた。
「進行速度、著しく低下」
「完全停止には至らないが、時間は稼げている」
「それでいい」
オドハーティ大佐が一歩前に出る。
「ここは止める場所じゃない。繋ぐ場所だ」
その視線は自然と下へ向いていた。
地下。
すでに戦場は二層に分断されている。
上が崩れれば、下が終わる。
下が崩れれば、すべてが終わる。
ドナルは一歩も動かない。
弾幕を維持し続ける。
反動はない。
すべて、強化で抑え込んでいる。
魔力は多くない。
だからこそ、無駄がない。
必要な分だけを正確に流し込み、支え、撃つ。
止まらない。
「……急げよ」
フィンが小さく呟いた。
その言葉は誰に向けたものでもない。
ただ、戦場全体に対してだった。
時間は、削られている。
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