第86話 情報防衛戦
——王都・行政庁舎 作戦室。
石壁に囲まれた室内には、長机と王都周辺の地図が広げられていた。
赤い印がいくつも増え、空気は張り詰めている。
その中央には報告書。
そして、部屋の一角には拘束具付きの椅子に座る男がいた。
バルドル。
ヴェイル。
王国の捕虜であり、境界に関する情報提供者。
同時に——暗殺対象でもある。
仕立ての良い衣服に、崩れない姿勢。
拘束されているにもかかわらず、その佇まいは落ち着き払っていた。
「フィンタンの調査結果だ」
ブリギット・アーウィン中将が口を開く。
第一師団長。王都防衛の全権を握る指揮官。
その一言で、場の空気が締まる。
周囲には第一師団の主要指揮官が揃っていた。
ローナン・グレイ少佐。
機動戦を担う遊撃指揮官。
ドナル・マッカラン中佐。
重装部隊を率いる前線維持の要。
キアラン・ボイル中佐。
対ヴェイル戦術を担う術式対応の中核。
エイモン・ニュージェント准将。
兵站と防衛を統括する戦線維持の要石。
フィン・オドハーティ大佐。
独立機動戦力を率いる即応部隊の切り札。
さらに、アーケイン・レジストリ契約の傭兵たち。
錦織吾郎。
冴島彰。
そしてマーラ。
軍属ではないが、この場に呼ばれるだけの理由がある。
「結論から言う」
アーウィン中将は地図を叩いた。
「ヴェイルは、どこにでも出現できるわけじゃない。制約がある。“何もない場所”だ」
「開けた場所限定、ということですね」
グレイ少佐が確認する。
「構造物や魔力干渉がある場所では境界が安定しない」
キアランが補足した。
「つまり、広場、街道、屋上だ」
ドナルが短くまとめる。
「侵入経路は絞れるな」
吾郎が現実的に言う。
「逆に言えば、そこは全部戦場になる」
オドハーティ大佐が軽く笑った。
「その通りだ」
ブリギットは頷き、続ける。
そして、静かに視線を動かした。
バルドルへ。
「狙われるのは、こいつだ」
一瞬、沈黙が落ちる。
バルドルはゆっくりと顔を上げ、穏やかに微笑んだ。
「ご紹介に預かりました、というところでしょうか」
落ち着いた声。
「ご安心を。逃げるつもりも、騒ぐつもりもありません」
一拍置き、静かに言う。
「礼を欠く真似はいたしません」
その言葉は丁寧で、自然だった。
だが——
妙に温度が低い。
「……口封じに来る、か」
グレイ少佐。
「当然でしょう」
バルドルはあくまで穏やかに答える。
「私は既に、“向こう”にとって不要な存在ですから」
「なら、機会ごと潰す」
ブリギットは即断した。
地図に三重の円が引かれる。
「グレイ少佐、外周を削れ」
「了解」
「ドナル、前面で止めろ」
「問題ない」
「キアラン、異常反応の監視と対応。抜けを作るな」
「任せてください」
「——ドナル、キアラン」
「傭兵部隊を付ける。アーケイン・レジストリ契約傭兵だ」
「構わん」
「合理的です」
「ニュージェント准将」
「補給線と退路、非戦闘区域の管理。混乱を出すな」
「……維持します」
短く、確実な返答。
「オドハーティ大佐」
「遊撃。想定外を潰せ」
「了解」
軽い調子の裏に、確かな自信がある。
「で?」
ブリギットの声がわずかに柔らぐ。
「マーラ。どこから来る?」
マーラは壁にもたれたまま、迷いなく空を指した。
「上。屋上」
「開けてる。干渉が少ない。そこが一番裂ける」
「……やっぱりか」
アーウィン中将は頷く。
「上で叩く。侵入させて、殺す」
結論だった。
——
——地下・護送区画。
重警備の中、静寂が支配している。
中央。
バルドルは拘束されたまま、静かに座っていた。
「実に合理的です」
小さく微笑む。
「上を戦場にして、下を守る」
目を閉じる。
「素晴らしい配置だ」
そして、ゆっくりと目を開けた。
「ですが」
その声は、穏やかなまま。
「“想定外”というものは、いつも礼儀知らずです」
——
——屋上。
夜風が吹き抜ける。
遮るもののない空間。
だからこそ——
「……来るよ」
マーラが静かに告げた。
その口元は、わずかに歪んでいた。




