第84話 歓迎の儀、召集令状
「歓迎会を開かなきゃいけないね」
その瞬間。
怜に電流が走った。
(来た)
頭の奥で、警鐘が鳴る。
遠い記憶が、鮮明によみがえる。
王都の食堂。
王都の宴席。
王都の屋台。
そして。
王都の『挑戦的な』料理。
まず。
見た目が強烈だった。
黄金色のパイ。
こんがり焼けた、美しい表面。
一見すると、普通の料理。
だが。
ナイフを入れた瞬間。
湯気と共に、強烈な匂いが噴き出した。
魚。
発酵。
香辛料。
何か別のもの。
混ざっていた。
(ニシン……)
いや。
(ニシン“だけ”じゃない)
次に出てきたのは。
チーズ。
白い。
柔らかい。
見た目は穏やか。
だが。
匂いが暴力だった。
鼻に刺さる。
頭に届く。
涙が出る。
しかも。
皿の上で、じわじわ溶けていた。
生きているみたいに。
そして。
最後に運ばれてきたのは。
透明な皿。
その上に。
何かが、揺れていた。
ぷるり。
もう一度。
ぷるり。
未央の知らない世界。
だが怜は知っている。
それは。
ウナギのゼリー。
半透明。
灰色がかった光。
内部に閉じ込められた影。
そして。
冷たい。
震える。
揺れる。
皿が少し動いただけで。
全体が波打つ。
(あれは……)
怜の指が、わずかに震える。
(歓迎じゃない)
違う。
(試練だ)
新人。
来訪者。
客人。
誰であろうと。
一度は通る道。
怜の顔から、すっと血の気が引いた。
未央がそれに気づく。
「ん?」
怜は、さりげなく一歩後ろへ下がった。
静かに。
誰にも気づかれないように。
「私は」
自然な声を装う。
「少し用事が――」
その瞬間。
「怜」
マーラの声。
やわらかい。
だが。
逃げ道を塞ぐ声。
怜の動きが止まった。
ゆっくり振り向く。
マーラは、微笑んでいた。
「逃げないでね」
優しい声。
完全に優しい声。
だが。
逃げ場はなかった。
マーラは続ける。
「せっかくだし」
一拍。
「みんな集めておいて」
怜の目が、わずかに揺れる。
「隊のみんなも」
さらに一拍。
「フィンタンも」
追い打ち。
「ブリギットも呼ぼう」
完全に。
大規模行事だった。
怜の魂が、静かに抜けていった。
表情が消える。
目の焦点が、遠くへ行く。
口が、わずかに開く。
無表情。
完全な無表情。
未央が、それを見て眉をひそめた。
(なんや)
直感が告げる。
(これ)
一拍。
(ただの歓迎会ちゃうな)
未央が、じっと怜を見る。
「なあ」
静かに聞く。
「何が出るんや」
怜は。
しばらく沈黙した。
そして。
小さく。
「……料理」
一拍。
「料理が出る」
未央は、少し考えた。
「当たり前やろ」
怜は、ゆっくり顔を上げた。
その目には。
覚悟した者の色があった。
「普通じゃない」
未央の背筋に。
ほんの少しだけ
嫌な予感が走った。
怜は、歩いていた。
無表情で。
魂が半分抜けたまま。
(今夜)
マーラの声が、頭の中で繰り返されている。
(今夜、歓迎会を開く)
(みんな集めておいて)
命令だった。
逃げ場はない。
最初の目的地は。
王都守備隊の詰所。
石造りの建物。
昼下がりでも出入りが絶えない実務の中心地。
任務報告。
装備点検。
研究資料の受け渡し。
様々な部署の人間が、
一時的に集まる場所でもある。
扉を開ける。
中は忙しそうだった。
兵士が行き交い、
書類が運ばれ、
工具の音が響いている。
そこに。
三人の姿があった。
エドガー。
ミレイ。
ローレンス。
エドガーは、
きちんとした軍服を着ていた。
胸元の徽章。
整えられた姿勢。
王都守備隊の士官。
ミレイは机の上に広げた装備を分解している。
整備担当。
だが。
「よしっ、外れた!」
ぱっと顔を上げる。
笑顔。
明るい声。
油で汚れた手を、
まったく気にしていない。
元気な女の子だった。
ローレンスは、その横で整備書類を確認していた。
研究員。
淡々とした目。
エドガーが最初に気づいた。
「お?」
書類から顔を上げる。
「怜じゃないか」
ミレイが手を振る。
「おーい、怜!」
にこにこしている。
ローレンスが視線だけ向ける。
「どうした」
怜は、立ち止まった。
そして。
「今夜、歓迎会がある」
簡潔だった。
ミレイの目が輝いた。
「えっ、ほんと!?」
ぱっと立ち上がる。
「行く行く!」
即答だった。
エドガーが苦笑する。
「早いな」
ミレイは胸を張る。
「こういうのは参加しないと損だもん!」
ローレンスが短く言う。
「参加する」
エドガーも頷いた。
「了解した」
全員、快諾。
怜は、小さくうなずいた。
(ひとつ)
次へ。
中庭の一角。
円卓を囲んでいたのは。
セラ。
ラウル。
ユーグ。
三人は地図を広げて議論していた。
ラウルが顔を上げる。
「怜?」
ユーグが眉を上げる。
「何か用か」
セラが柔らかく微笑む。
「どうしたの?」
怜は言う。
「今夜、歓迎会がある」
ラウルが言う。
「いいね」
ユーグが言う。
「参加する」
セラが言う。
「楽しみにしてる」
全員、快諾。
(ふたつ)
次へ。
静かな研究室。
扉をノックする。
「どうぞ」
中にいたのは。
フィンタン。
整然と並んだ書物。
静かな空気。
フィンタンが顔を上げる。
「怜」
「どうした」
怜は言う。
「今夜、歓迎会がある」
一拍。
フィンタンは少し考えた。
そして。
「承知した」
短く。
「参加しよう」
快諾。
(みっつ)
行政庁舎。
扉の前で、怜は一瞬だけ止まった。
(ここが山場)
ノックする。
「入れ」
低く、よく通る声。
ブリギットだった。
「どうした」
怜は姿勢を正した。
「今夜、歓迎会が開かれます」
一拍。
「参加されますか」
ブリギットは即答した。
「問題ない」
快諾。
だが。
「主催者は誰だ」
静かな問い。
怜は答える。
「マーラです」
沈黙。
ほんの一瞬。
ブリギットの表情が止まった。
小さく息を吐く。
「……そうか」
一拍。
「もしかしたら」
さらに一拍。
「用務が入るかもしれない」
とても自然な声。
だが。
明らかに回避を検討していた。
怜は、何も言わない。
ただ。
小さくうなずいた。
(よっつ)
最後。
兵舎の前。
ドナルがいた。
背筋を伸ばし、
腕を組んで立っている。
怜に気づく。
「怜」
硬い声。
「何用だ」
怜は答える。
「今夜、歓迎会がある」
ドナルは頷いた。
「承知した」
簡潔。
だが。
続けて問う。
「主催者は誰だ」
怜は答える。
「マーラです」
沈黙。
ドナルの表情が固まった。
視線が揺れる。
明らかに。
葛藤していた。
行きたい。
だが。
怖い。
行きたい。
だが。
怖い。
やがて。
低く言う。
「……参加したい」
一拍。
さらに。
「しかし」
重い沈黙。
「……恐ろしい」
本音だった。
しばらく天を仰ぐ。
そして。
拳を握る。
覚悟を決めた顔。
「出席する」
一拍。
「任務と同様に」
怜は思った。
(全員)
静かに。
(犠牲者が増えた)
なお。
エドマンドとキアランは、捕まらなかった。




