第78話 文化交流、戦争の火蓋
「せっかくこっちの世界に来てるんだからさ」
怜が腕を組んで言った。
「文化を楽しまないともったいないよ」
その言葉に、一同は顔を見合わせる。
フィンタンが小さく頷いた。
「確かに一理ある」
キアランも腕を組む。
「我々は任務で来ているが……」
少し考え、
「文化を理解することも重要だ」
もっともらしい理屈だった。
マーラは軽く腕を組み、口元を緩める。
「悪くないね」
自然な調子だった。
「せっかくだし、楽しめることはやってみてもいいと思う」
少し前向きな声だった。
そのとき。
怜の母が、にこやかに口を開いた。
「ねえ、マーラさん」
マーラが振り向く。
「はい?」
「せっかくだから、着物を着てみない?」
一瞬。
間があった。
マーラは少し首を傾げる。
「着物……?」
怜が説明する。
「こっちの伝統的な服」
マーラの目が少し輝いた。
「へえ」
素直な反応だった。
「面白そうだね」
そして。
少しだけ笑う。
「やってみるか」
数十分後。
「……これ、すごいね」
マーラが自分の姿を見下ろす。
帯が締められている。
布が何重にも巻かれている。
袖が大きく揺れる。
「苦しくない?」
怜の母が心配そうに聞く。
マーラは軽く体を動かし、
「ううん、大丈夫」
そして小さく頷く。
「ちゃんとしてる感じがする」
少しだけ照れたように笑う。
「悪くないかも」
そして。
襖が開いた。
「できたわよ」
その声とともに。
マーラが姿を現した。
一瞬。
空気が止まった。
艶やかな着物。
整えられた髪。
背筋を伸ばした姿。
その場にいた全員が、言葉を失った。
美しかった。
素直に。
自然に。
ドナルが、固まっていた。
完全停止だった。
心の中で。
(……ありがとう)
視線の先。
怜。
(本当にありがとう)
深い感謝だった。
マーラは周囲の反応に気づき、少しだけ戸惑う。
「……なに?」
頬が、ほんのり赤い。
「そんなに見なくていいんじゃない?」
視線を少し逸らす。
そして。
小さく笑う。
「ちょっと恥ずかしいかな」
その様子が。
――かわいい。
エドマンドが静かに息を吐く。
そして。
無意識に。
眼鏡を押し上げた。
キアランが小さく頷く。
フィンタンも興味深そうに観察している。
全員、同じ感想だった。
そのとき。
ドナルが、こっそりと。
怜の方を見た。
そして。
誰にも気づかれないように。
――サムズアップ。
親指を立てた。
満面の無言の感謝だった。
怜は、少しだけ苦笑した。
「こちらの食文化も、実に興味深い」
フィンタンが言った。
その言葉を聞いた瞬間。
――ビリッ。
怜の背筋に、電流が走った。
食文化。
料理。
味覚。
そして。
記憶が蘇る。
王都の食卓。
謎の色のスープ。
固すぎるパン。
妙に酸っぱい肉。
そして。
フィンタンの言葉。
――王都の料理は、しばしば挑戦的だ。
「……」
怜の目が、ゆっくりと細くなる。
決意の目だった。
復讐の時が来た。
「母さん」
静かな声だった。
母が振り向く。
「なに?」
怜は言った。
「食事会、開こう」
その日の夜。
怜の家。
食卓が、異様に豪華だった。
皿。
皿。
皿。
皿。
並ぶ料理。
そして。
中央。
巨大な舟盛り。
海鮮。
刺身。
マグロ。
サーモン。
タイ。
イカ。
エビ。
色鮮やかな、生魚の数々。
その光景を見て。
マーラが、ぴたりと止まった。
「……」
じっと見つめる。
そして。
小さく呟く。
「……あれ?」
眉をひそめる。
「これ、前にも見た気がする」
既視感だった。
嫌な記憶だった。
その隣で。
フィンタンが固まっていた。
キアランも固まっていた。
ドナルも固まっていた。
エドマンドも固まっていた。
完全停止。
視線の先は。
――生魚。
沈黙。
長い沈黙。
やがて。
フィンタンが、慎重に口を開いた。
「……これは」
真剣な声だった。
「調理前の状態ではないのか?」
怜は、にっこり笑った。
「完成品だよ」
さらに沈黙。
キアランが低く言う。
「火は?」
怜は笑顔のまま答える。
「使わない」
ドナルの額に汗が浮かぶ。
エドマンドが、静かに眼鏡を押し上げる。
マーラが腕を組む。
そして。
少し口元を緩めた。
「面白そうだね」
怜の目が輝く。
戦争が始まった。




