第6話 最初の任務
宿舎の窓の外では、
朝の蒸気がゆっくりと街を包み込んでいた。
遠くの工房から、鉄を打つ音。
通りを行き交う荷車の軋み。
鐘の低い響き。
この街は生きている。
そして――
自分も、その一部になった。
怜は制服の袖を整えながら、
小さく息を吐いた。
まだ布地は硬い。
だが、不思議と落ち着く。
昨日までは、
別の世界で生活していた。
だが今は違う。
ここが現実だ。
コン、コン。
扉が叩かれた。
正確で、無駄のない音。
怜は立ち上がり、扉を開けた。
そこに立っていたのは――
金髪の女性だった。
朝の光を受けて、
その髪は淡く輝いている。
背が高い。
姿勢は真っ直ぐ。
無駄な動きが一切ない。
ただ立っているだけで、
空気が整う。
「高円怜」
静かな声。
「はい」
女性はわずかに頷いた。
「ブリギット・アーウィンだ」
名乗りは短い。
だが。
それだけで分かった。
この人は――
強い。
説明はいらなかった。
立ち方。
呼吸。
視線。
すべてが。
戦う人間のものだった。
「準備はいいか」
「はい」
「いい返事だ」
短く言う。
「今日は軽い任務だ」
一拍。
「見学だ」
怜は少しだけ肩の力を抜いた。
だが。
ブリギットは続けた。
「ただし」
その声は変わらない。
「現場に出れば」
静かに言う。
「誰も守ってはくれない」
言葉は厳しい。
だが、嘘はなかった。
「覚えておけ」
短く。
それだけ。
廊下を歩く。
石の床に、
靴音が規則正しく響く。
やがて角を曲がったところで、
壁にもたれている人物が見えた。
女性だった。
黒に近い髪。
少し無造作にまとめている。
姿勢はだらけている。
片足を壁に預け、
手には小さな革袋。
中から金属音。
「お、来た来た」
軽い声。
「新人ちゃん?」
怜は一瞬戸惑う。
だが答えた。
「はい」
女性はにやっと笑った。
「そっか」
一歩近づく。
距離が近い。
少しだけ。
じっと。
怜の目を見る。
その瞬間。
空気が、
ほんのわずかに変わった。
鋭い。
だが。
すぐに消える。
「私はマーラ」
軽く手を振る。
「雑用係」
ブリギットが即座に言った。
「戦闘要員だ」
マーラは肩をすくめる。
「細かいなあ」
少し笑う。
「似たようなもんでしょ」
その言い方は軽い。
だが。
足の置き方。
重心。
視線。
どれも無駄がない。
怜は思った。
(この人)
(思ってるより強い)
そのとき。
重い足音。
床がわずかに鳴る。
振り向く。
ドナルだった。
巨大な体。
厚い胸板。
鋼のような腕。
腰には金属製のセスタス。
彼はマーラを見る。
ほんの一瞬。
その目は。
やわらかかった。
「準備は」
低い声。
マーラは軽く手を上げる。
「ばっちり」
ドナルは小さく頷く。
それだけ。
だが。
怜には分かった。
(この人)
(あの人のこと)
(好きなんだ)
理由は説明できない。
だが。
確信があった。
さらに。
廊下の奥から足音。
軽く。
規則的。
細身の男。
長髪。
手には杖。
キアランだった。
「全員そろったか」
静かな声。
ブリギットが答える。
「南区画」
「下水路」
「王都でも最も古い水路だ」
短い言葉。
だが意味は重い。
キアランは怜を見る。
「今回は見学だ」
一拍。
「だが」
ほんのわずかに目が細くなる。
「油断はするな」
命令ではない。
助言。
マーラが笑った。
「大丈夫大丈夫」
軽く言う。
「最初はみんなそう言われるから」
そして。
少しだけ。
声の調子が変わる。
「でもさ」
一瞬。
静かになる。
「最初の現場って」
ほんの少しだけ。
真剣な目。
「だいたい覚えてるもんだよ」
冗談でも。
脅しでもない。
経験者の言葉だった。
そのとき。
遠くで鐘が鳴った。
低く。
重く。
三回。
――発生信号。
空気の奥で、
わずかに鉄のような臭いがした。
ブリギットが言った。
「発生だ」
短い一言。
空気が変わる。
全員の姿勢が変わった。
呼吸が変わった。
視線が変わった。
そして。
次の瞬間。
全員が同時に動いた。
怜は走りながら思った。
(始まる)
自分の。
最初の任務が。
もう後戻りはできない。




