第68話 慢心の代償
都内某所。
結界によって外界から隔絶された会議室には、三人の男が向かい合って座っていた。
高円。
吉祥。
護国。
いずれも東京の結界維持を担う名門であり、この三家が同時に顔を揃えること自体が、すでに異例の事態だった。
長机の上には、簡潔にまとめられた報告書が置かれている。
内容は明快で、だからこそ議論の余地が生まれていた。
沈黙を破ったのは、吉祥文也だった。
「確認させてください」
穏やかな口調だったが、声にはわずかな硬さが混じっている。
「人型のヴェイルが一度に五体出現し、それを三名で撃破した。天王寺家からの援軍を含めた三人体制――そういう理解で間違いありませんか」
向かいに座る高円一久が、静かに頷いた。
「その通りです。三名で対処し、すべて撃破しました」
事実を述べただけの簡潔な返答だった。
護国浩治は腕を組み、しばらく資料に目を落としたまま考え込んでいたが、やがて低い声で言った。
「人型は災害クラスと聞いていたが……」
ゆっくりと視線を上げる。
「既存の術師でも、十分に対処できる可能性がある。そう判断してもよいのではないか」
断定ではない。
だが、室内に漂っていた空気を言葉にした発言だった。
実際に三人で撃破できた。
その事実は、どうしても評価を変えさせる。
吉祥文也も、小さく息を吐いてから口を開いた。
「私も同様の印象を受けています。人型である以上、一定の知性や戦術を持つとしても、最終的な戦闘能力は高位の術者には及ばない」
言葉を選びながら続ける。
「脅威であることに変わりはありませんが、現状の戦力で対処不能な存在とは言えないでしょう。必要以上に恐れる段階ではない、というのが率直な見解です」
会議室に短い沈黙が落ちた。
それは対立ではなく、ほぼ共有された認識を確認するための間だった。
高円一久は、静かに息を吐いた。
そして、落ち着いた声で言った。
「――その認識は、危険です」
言い方は穏やかだったが、言葉には迷いがなかった。
二人の視線が、一久へ向けられる。
一久は資料を指先で押さえながら続けた。
「今回の戦闘は、三人が揃っていたから成立しました。連携が機能し、役割分担が明確だったからこそ、短時間で制圧できた」
顔を上げる。
「一人でも欠けていれば、結果は大きく変わっていたはずです」
その言葉に、反論は出なかった。
一久はさらに続ける。
「そして、もう一つ。彼らは学習します」
声の調子は変わらない。
だが内容は重かった。
「戦いを経験すれば、次は別の手を取る。数を増やすかもしれないし、より効率のいい攻撃を選ぶかもしれない。こちらの戦術を観察して、対策を講じてくる可能性もある」
わずかに間を置く。
「つまり、同じ条件が次も成立するとは限らないということです」
護国浩治は黙ったまま、しばらく考え込んでいた。
やがて小さく頷き、実務的な口調で言った。
「分かった。過小評価は避けるべきだな」
資料を手元に引き寄せる。
「今後、人型が確認された場合は、前回の戦闘を踏まえて最低三人体制で対応するよう通達する。現場判断に任せず、初動から人員を確保する」
それは、この場での結論だった。
形式上は、十分に慎重な対応に見えた。
会議はそれで終了した。
誰もが一定の危機感を持ち、必要な対策を決めた。
少なくとも、そのつもりだった。
数日後。
吉祥家の管轄区域で、大規模な戦闘が発生した。
発端は、人型ヴェイルの出現だった。
確認された個体は一体。
行動は異様だった。
周囲の術師を無視し、ただ一つの名だけを繰り返していた。
――怜。
「怜という術者がいないのであれば、ここに用はない」
その言葉を残し、対象は離脱を試みた。
本来であれば、追撃は不要だった。
結界外への侵出を防ぐことを優先し、状況を再評価するのが定石だった。
だが現場では、別の判断が下された。
敵は単体。
過去の戦績では、複数の術師で十分に対処可能。
逃がせば、次の被害につながる。
そう考えた。
少数での追撃が開始された。
戦闘は想定以上に激化した。
敵は撤退しながら攻撃を続け、建物を破壊し、火災を誘発した。
炎は瞬く間に広がり、住宅街を呑み込んだ。
消火は困難を極めた。
結界は維持されたが、内部の被害は拡大し続けた。
状況を抑え込むため、増援が投入された。
だがそれは段階的で、統一された指揮のもとではなかった。
小出しに投入された術師たちは、個別に戦闘へ巻き込まれていった。
やがて。
街が焼けた。
夜空を赤く染める炎の中で、
多くの術師が命を落とした。
翌朝。
ニュース番組は、昨夜の火災を大きく報じていた。
黒く焼けた建物。
立ち上る白煙。
疲れ切った表情の消防隊員。
画面の向こうで、アナウンサーが静かな声で伝える。
「昨夜、都内西部で発生した大規模火災について、消防および関係機関は、被害の全容を現在も調査中と発表しました」
一拍置く。
「この火災により、多数の建物が焼失し、人的被害も確認されています」
数字が表示された。
負傷者。
行方不明者。
そして――
死者。
その報道を、高円一久は無言で見つめていた。
表情は変わらない。
だが、視線は動かなかった。
やがて、静かに目を閉じる。
言葉はなかった。
だが、理解していた。
この結果は、偶然ではない。
判断の積み重ねが招いた、必然だった。




