第67話 選択の重み
午後の庭は、穏やかな空気に包まれていた。
激しい戦いの余韻はすでに消え、地面には静かな日差しが落ちている。
その中央で、怜は一人、風神を手に構えを確認していた。
刃は抜かれている。
だが振り回すわけではなく、あくまで重さと感覚を確かめるような静かな動きだった。
一度振る。
風が鳴る。
そのまま止め、呼吸を整える。
先日の戦闘で使った術式の感触を、体の奥で反芻していた。
その様子を、少し離れた場所からマーラが眺めている。
しばらく無言で観察していたが、やがて思い出したように口を開いた。
「ねえ」
軽い調子だった。
「その札を使った術式、変わってるね」
怜の動きが止まる。
「王都では使ってなかったよね」
率直な問いだった。
怜は風神を下ろし、少しだけ考えてから答える。
「転移したとき、手持ちがなかったんです」
淡々とした声だった。
「向こうでは作る余裕も、材料もなかった。だから使えませんでした」
マーラは小さく頷く。
状況としては納得できる話だった。
怜は続ける。
「陰陽師の基本戦術です。封印にも、強化にも、攻撃にも使える」
言葉を選びながら説明する。
「一枚で役割を変えられる。状況に合わせて使い分けるのが前提の道具です」
マーラは腕を組み、少しだけ感心したように息を吐いた。
「便利だね」
素直な感想だった。
だが次の瞬間、口元がわずかに歪む。
ほんの少しだけ。
悪いことを思いついた子供のような顔だった。
怜はそれを見て、嫌な予感を覚える。
だが何も言わない。
言えば、余計なことになる。
マーラは気にせず、話題を変えるように続けた。
「前回は、身体に対するエンチャントだったね」
確認するような口調だった。
怜は頷く。
「あれは基礎形です。身体能力を底上げするだけの単純なものです」
「うん」
マーラは静かに相槌を打つ。
そして少しだけ真面目な表情になった。
「武器に対するエンチャントは、気をつけたほうがいい」
声の調子が変わっていた。
軽さが消えている。
怜は自然と背筋を伸ばす。
「属性同士が反発することがある」
マーラは短く言った。
「例えば、すでに強い性質を持っている武器に、別の属性を無理に重ねると、力がぶつかる」
空気がわずかに張り詰める。
「最悪の場合、暴発する」
淡々とした口調だった。
だが冗談ではないことは、はっきり伝わる。
怜は静かに頷いた。
「……分かっています」
それは知識として知っている、という意味でもあり、
実感として理解し始めている、という意味でもあった。
マーラは少しだけ目を細める。
「それは、あちらの世界でも」
一拍置く。
「こちらの世界でも、変わらない」
断言だった。
力の扱い方には、世界を越えて共通する危険がある。
そういう話だった。
しばらく沈黙が続く。
風が静かに吹き抜け、砂埃がわずかに舞い上がる。
やがてマーラは、ふっと息を吐いた。
少しだけ柔らかい表情に戻る。
「それともう一つ」
軽く指を立てる。
「エンチャントによる身体強化は、確かに便利だ」
肯定から入る。
「でもね」
声が少しだけ低くなる。
「最終的には、自分の魔力だけで動かしたほうが、強化の幅は大きくなるはずだ」
静かな言葉だった。
だが重みがある。
怜はその意味を理解していた。
道具は強い。術式も強い。
だが、それに頼り続ければ、限界はそこで止まる。
自分の力を使う覚悟がなければ、その先へは進めない。
マーラは視線を逸らし、空を見上げる。
「できることが増えるとさ」
少しだけ苦笑した。
「人は、選択を間違えやすくなる」
静かな声だった。
「簡単なほう。安全なほう。楽なほう」
ゆっくりと視線を戻す。
まっすぐに怜を見る。
「でも、それが正しいとは限らない」
間を置く。
そして、ほんの少しだけ肩をすくめた。
「だから――」
短く言う。
「選択肢は、間違えないように」
師匠らしい言葉だった。
押しつけではない。
命令でもない。
ただ、先に進んできた者としての忠告。
怜は静かに頭を下げた。
「……はい」
短い返事だった。
だがその声には、確かな決意がこもっていた。




