第63話 役割分担は自己申告制
夕暮れの空気が、ぴたりと止まった。
天王寺未央が静かに息を吸い込み、手にした槍――宝具《雷鳥》を地面へと軽く突き立てる。
その瞬間、目に見えない波紋が広がり、周囲の景色がわずかに歪んだ。
「これで、一般人には見えへん。音も届かん」
さらりと言いながらも、その声には確かな集中が宿っている。
怜は周囲を見渡し、結界が正常に展開されたことを確認してから、未央へ視線を向けた。
「……未央にも、任せて大丈夫?」
未央は肩越しに振り返り、不敵に笑う。
「誰に言うてんねん。
大阪を取り仕切る陰陽師、天王寺家やで?」
その言葉には、若さとは裏腹の自負があった。
少し離れた場所で、マーラが楽しげに口を挟む。
「へえ、じゃあ四体も受け持ってくれるの?」
未央の眉がぴくりと跳ねた。
「アホか!
一人一体や!」
即座のツッコミに、マーラは肩をすくめて笑う。
「冗談だよ。怒らないでって」
怜は小さく息を吐き、改めて前方を見据えた。
そこに立つ五体の人型。
黒い外套の奥から、異様な気配が滲み出ている。
やがて、中央の一体がゆっくりと前へ出た。
重い足取りに合わせて、地面がわずかに軋む。
「我が名は――ヴァルドリック」
低く、押し潰すような声だった。
大盾を構えたその姿は、まるで動く城壁のようであり、次の一歩を踏み出した瞬間、石畳が鈍い音を立てて沈み込む。
その隣で、別の影がふっと消えた。
「ソルヴァン」
短い名乗りと同時に、気配が左右へと跳ねる。
残像すら残さない速度で間合いを詰めるその動きに、怜は反射的に身構えた。
さらに後方から、重たい何かを引きずる音が響く。
「グラミル」
巨大な武器を肩に担いだ巨躯が一歩踏み出しただけで、周囲の空気が揺れ、遅れて風圧が頬を叩いた。
そして、最後に静かに歩み出た一体。
その眼だけが、淡く光を帯びている。
「カルディオン」
感情のない声。
同時に、足元の影がわずかに蠢いた。
残る一体は、微動だにしない。
ただそこに立つだけで、道そのものを塞いでいる。
「トルガス」
短い名乗りとともに、腕がわずかに上がる。
それだけで、壁が一枚増えたような圧迫感が生まれた。
未央は槍を握り直し、軽く首を鳴らした。
「……ちゃんと名乗るんやな。
礼儀正しい連中やで」
マーラがくすりと笑う。
「面白いのがまた増えたなあ」
声は軽いが、目は笑っていない。
怜は五体の気配を順に測り、静かに結論を出した。
(……普通じゃない)
その中でも、三体の気配が明らかに重い。
単純な数ではない。質が違う。
カルディオンの視線が、わずかに動いた。
「対象、三名。
戦闘能力、確認済み」
まるで観測結果を読み上げるかのような声音だった。
怜の背筋に、冷たいものが走る。
(指揮官か……)
未央が一歩前に出る。
「ほな、あたしはこいつやな」
雷鳥が、かすかに震えた。
次の瞬間、槍の先端に青白い光が走る。
マーラは肩を回しながら、軽い調子で言った。
「じゃあ、あたしはあの速そうなのにしようかな」
視線の先には、ソルヴァン。
怜は残る三体を見据え、静かに息を吐く。
「……三体か」
逃げ場はない。
選択肢もない。
だが、それでも一歩踏み出す。
その瞬間――
ソルヴァンの姿が、消えた。
次の瞬間、地面が弾けた。
最初に動いたのは未央だった。
宝具《雷鳥》を低く構え、一歩踏み込む。その動きは水面を滑るように滑らかで、無駄がない。
ヴェイル――ヴァルドリックが迎え撃つ。
黒い刃が一直線に振り下ろされた。
未央はそれを、ほんのわずかな角度で受け流す。
ガキィンッ!
金属同士が噛み合う鋭い音が、結界の内側で反響した。
重い一撃だったが、未央の体は一歩も下がらない。
「ええ力しとるやん」
楽しげな声だった。
だが、その瞳は真剣そのものだ。
ヴァルドリックが続けざまに斬りかかる。
縦。横。突き。
迷いのない連撃が、間髪入れずに襲いかかる。
未央はすべてを槍の柄で受け、流し、いなしながら間合いを保ち、呼吸の隙間を縫うように体を滑らせていた。
そして――
一瞬。
ほんの一瞬の空白を見逃さず、穂先を突き出す。
バチッ!
雷が走った。
青白い閃光が空気を裂き、ヴァルドリックの体をかすめる。
ヴァルドリックは即座に後方へ跳び、距離を取り直した。
互いに間合いを測り直す。
呼吸を整えながら、視線だけが鋭く交差する。
完全な互角。
一歩も譲らない攻防だった。
その横で、マーラはすでに相手と向き合っていた。
ヴェイル――ソルヴァンが剣を構える。
無駄のない、洗練された構え。長く戦いを重ねてきた者のそれだった。
マーラはその姿を眺め、軽く首を傾げる。
「それ、ちょっと貸してくれる?」
意味不明な要求だった。
一瞬の沈黙。
次の瞬間、ソルヴァンが踏み込む。
鋭い踏み込みとともに、刃が一直線に振り抜かれた。
速い。
だが――
マーラの姿が、消えた。
いや、消えたように見えただけだった。
ただ一歩、横へずれただけ。
そのまま腕を伸ばし、剣を握る手首を軽くひねる。
ゴキッ。
鈍い音が響いた。
ソルヴァンの指から力が抜け、剣が宙へ浮く。
マーラはそれを何事もなかったかのように空中で掴み、くるりと回した。
重さを確かめるように、二、三度振る。
「うん。悪くないね」
まるで店先で商品を選んでいるかのような口調だった。
ソルヴァンは、ほんの一瞬だけ動きを止める。
理解が追いついていない。
マーラはにっこりと笑った。
目は――まったく笑っていなかった。
そして。
怜の前には、三体。
グラミル。
カルディオン。
トルガス。
三方向から同時に間合いを詰めてくる。
足並みは揃い、呼吸すら一致しているようだった。
完全な連携。
一体が前へ出れば、別の一体が死角へ回り込む。
退路を塞ぎ、逃げ場を削り取る、訓練された動きだった。
怜は符を取り出し、素早く展開する。
「――来い」
術式が走る。
ドンッ!
爆ぜる炎が地面を舐め、三体の体を包み込む。
だが――
ほとんど怯まない。
グラミルが炎を突っ切り、そのまま距離を詰めてくる。
焼け焦げた外套が揺れ、黒い刃が視界いっぱいに迫った。
速い。
怜は咄嗟に身をひねる。
刃が頬をかすめた。
熱とともに、血が一筋流れる。
呼吸が浅くなる。
視界の端で、もう一体が動いた。
カルディオン。
その眼が、わずかに光る。
「くっ……!」
防御が、間に合わない。
三体同時。
圧力が違う。
一対一とは、明らかに次元が違っていた。
怜は後方へ跳び、距離を取る。
だが、その瞬間にはすでに次の影が迫っている。
逃げ切れない。
囲まれている。
未央がちらりと視線を向けた。
怜の劣勢は、一目で分かった。
呼吸の乱れも、足運びの重さも、隠しようがない。
だが、助けには入らない。
その代わり、口元をわずかに緩めた。
「踏ん張りや」
短い言葉。
だが、それは叱咤ではなく――信頼だった。
マーラも横目で様子を見る。
そして、楽しそうに言った。
「三体か」
手にした剣を軽く回す。
刃が空気を切り、乾いた音を立てる。
「いいね。ちゃんと苦戦してる」
ほんの少しだけ――
嬉しそうだった。




