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第62話 雷鳴は関西からやってくる

 昼下がりの庭先に、遠慮のない大声が響いた。

「おるんやろ、怜! 既読つけといて返事せえへんとか、どういう神経しとんねん!」

 門の外からの関西弁に、縁側で湯のみを持っていた怜の手が止まる。聞き覚えがありすぎる声だった。

「……来た」

 小さくつぶやく。

 母が苦笑しながら立ち上がる。

「お友達かしら?」

「友達というか……」

 怜は額に手を当てた。

「災害です」

 次の瞬間、門が勢いよく開いた。

 ためらいもなく庭へ踏み込んできたのは、凛とした立ち姿の少女だった。肩までの黒髪に鋭い目つき。堂々とした足取りでこちらへ歩いてくる。

 そして腕を組み、仁王立ちした。

「やっと見つけたわ、このサボり陰陽師。連絡くらい返さんかい」

 怜は深く息を吐く。

「……天王寺未央」

 名を呼ぶと、少女はにやりと笑った。

「せや。大阪を取り仕切っとる天王寺家の未央や。十八歳、独身。彼氏募集中やで」

「最後の情報はいりません」

 即答だった。

 ツインテールを揺らし未央は鼻を鳴らす。

「ほんま愛想ないやっちゃな。せっかく心配して来たっちゅうのに」

「SNSで十分だったはずです」

「既読無視しといて何言うてんねん」

「多忙だったんです」

「ほーん」

 未央は腕を組んだまま、じっと怜を見つめる。

「異世界から帰ってきたんも、多忙のうちに入るんか?」

 怜は一瞬だけ言葉に詰まり、視線を逸らした。

「……否定はしません」

 未央はふっと笑う。

「まあええわ。顔見て安心したしな」

 その言葉には、軽口の奥に本音が混じっていた。

 未央はふと視線を横に向けた。

 そこには、少し距離を置いて立つ少女がいる。黒っぽい茶髪を後ろでまとめた、どこか異国の雰囲気をまとった人物だった。肌の色や目の色が、この国の人間とはわずかに違う。

 未央は目を細める。

「……そっちの外人さんは誰や?」

 率直だった。

 怜が答える。

「協力者です」

 未央は数歩近づき、じっとマーラを観察する。その視線は軽口とは裏腹に、相手の力量を測る陰陽師のそれだった。

 やがて、口元が緩む。

「強いな、あんた」

 断言だった。

 マーラも同じように笑い返す。

「そっちもね」

 短いやり取りだったが、それで十分だった。

 互いに理解していた。

 同じ側の人間だと。

 そのやり取りを見ながら、マーラは小さく口元を緩める。

 関西弁というものは初めて聞いたが、内容よりも勢いで押し切る不思議な力がある。声も大きく、動きも大きく、感情も分かりやすい。

 非常に騒がしい。

 だが――嫌いではない。

(また面白いのが増えたなぁ)

 この家に来てからというもの、退屈という言葉とは無縁になっていた。

 その様子を見ていた母が、穏やかな声で口を開いた。

「久しぶりね、未央ちゃん」

 未央が振り向く。

 一瞬、表情が引き締まり、すぐに柔らいだ。

「ご無沙汰してます。怜のお母さん」

 軽く頭を下げる。その所作は、きちんとした家の人間のものだった。

「元気そうで何よりやわ。ほんま、心配しましたで」

 母は静かにうなずいた。

「ええ。本当に」

 短い言葉だったが、その重みは十分だった。


 その時だった。

 空気が、変わる。

 夕刻。沈みかけた太陽が庭を赤く染め、風がぴたりと止まった。鳥の声が消え、周囲が不自然な静けさに包まれる。

 怜の表情が、一瞬で引き締まった。

「……来ます」

 低い声だった。

 未央も同時に空を見上げる。

「せやな」

 次の瞬間。

 空間に、ひび割れが走った。

 まるで見えないガラスが砕けるような音とともに裂け目が広がり、そこから影が落ちてくる。

 一体。

 二体。

 三体。

 人の形をしているが、人ではない。黒い外套のような体表と無機質な仮面を持つ存在だった。

 マーラが首を傾ける。

「一対三か。ちょっと分が悪いんじゃない?」

 その言葉を打ち消すように、さらに二つの影が裂け目から降り立った。

 合計、五体。

 空気が重くなる。

 そのうちの一体が、ゆっくりと前に出た。仮面の奥から、冷たい視線が怜へ向けられる。

 低い声が響いた。

「――確認」

 機械のような響きだった。

「対象識別完了」

 わずかな間。

 次に発せられた言葉は、はっきりと怜を指していた。

「特別警戒個体――怜」

 周囲の空気が、さらに張り詰める。

 ヴェイルは続ける。

「危険度上位。優先排除対象」

 明確な敵意。

 明確な認識。

 彼らは――怜を覚えている。

 マーラが小さく口笛を吹いた。

「へえ。ちゃんと有名人なんだね」

 未央は逆に、楽しげに笑う。

「ええやん。やりがいありそうや」

 そう言って、一歩前へ出た。

 右手を軽く持ち上げる。

 その指先で、空気がわずかに震え、乾いた音が小さく鳴った。

 パチッ。

 静電気に似ているが、明らかに強すぎた。

 未央は手首を返し、何かを握るように指を閉じる。

 その瞬間、周囲の空気がゆっくりと引き寄せられた。風が吹いたわけではないのに、草の葉や砂が同じ方向へわずかに揺れる。距離感が一瞬だけ狂ったような、不思議な感覚が場を包む。

 怜の眉が、ほんのわずかに動いた。

 青白い電光が、未央の手の周囲にまとわりつく。

 それは散らばらず、逃げもせず、まるで見えない枠の中に閉じ込められているかのように一定の距離を保ちながら回転していた。焦げたような匂いが漂い、空気がひりつく。

 未央はその塊を、ゆっくりと引き延ばす。

 雷が、形を持つ。

 柄が伸び、穂先が固まり、電光が骨組みのように絡み合いながら一本の武器として輪郭を整えていく。その途中で、火花の一部が空間の途中から突然現れ、何事もなかったかのように全体へ吸い込まれていった。

 遠くから飛んできた様子はない。

 新しく生まれた気配もない。

 ただ――そこにあったものを引き寄せたように見えた。

 母が、ほんのわずかに目を細める。

 やがて、形が完全に固定された。

 キィン。

 澄んだ金属音が、小さく鳴る。

 未央はそれを軽く握り直し、肩へ担いだ。

 先ほどまで荒れ狂っていた雷はすでに静まり、完全に制御されていた。

「うちの宝具や」

 誇らしげに言う。

雷鳥らいちょう

 稲妻が静かに走り、夕闇を淡く照らした。

 マーラが横目で怜を見る。

「五体か」

 口元に笑みが浮かぶ。

「どうする?」

 怜は静かに息を吐き、前へ出た。

 その目は、すでに戦う者のものだった。

「――迎え撃ちます」

 夕闇の中。

 戦いの幕が、静かに上がった。

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