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第57話 証明

「……久しぶりに、手合わせしてみるか」

 父の口から出たその言葉は、静かだったが、明確な意味を持っていた。

 居間の空気がわずかに張り詰める。

 怜は一瞬だけ目を瞬かせ、すぐにその意図を理解する。

 試したいのだ。

 本当に強くなったのか。

 生き残れる力を持って帰ってきたのか。

 父親として。

 そして、同じ退魔の道に立つ者として。

 怜はまっすぐに父を見つめ、素直に問い返した。

「……そんな広い場所、ありますか?」

 家の庭では到底足りない。

 本気でやるなら、周囲への影響も考えなければならない。

 父は小さくうなずいた。

「人目につかない場所なら、心当たりがある」

 それ以上の説明はなかった。

 だが、その一言で十分だった。

 それからほどなくして、家族は車に乗り込み、郊外へと向かった。

 移動中、誰も軽口を叩かなかった。

 これから何が行われるのか、全員が理解していたからだ。

 やがて車は広い敷地の前で止まる。

 フェンスに囲まれた広大な空間。

 整地された地面。

 周囲に建物はなく、人影もない。

「知人のツテで、貸し切らせてもらった」

 父が淡々と言う。

 グラウンドだった。

 夜間の使用時間外。

 完全な無人。

 思い切り動いても問題のない場所。

 怜は周囲を見回し、静かに息を吐いた。

「……ありがとうございます」

 グラウンドの中央。

 少し離れた位置で、母、兄、妹、そしてマーラが並んで立っている。

 観客席などない、ただの土の地面。

 だが、その場の空気は明らかに普通ではなかった。


 父が一歩前へ出る。

 静かに目を閉じる。

 次の瞬間――

 空気が震えた。

 体表に淡い光のような気配がまとわりつき、筋肉の密度が一瞬で変わる。霊力による肉体強化。

 それは、この家系に代々受け継がれてきた基本にして奥義。

 遠くからそれを見ていたマーラが、わずかに目を細めた。

「へえ……」

 感心したような声。

 単なる力任せではない。

 洗練された技術。

 戦い慣れた者の動き。

 対する怜は、ただ静かに立っていた。

 構えは取らない。

 力も誇示しない。

 呼吸を整え、自然体のまま父を見据える。

 柔らかい。

 だが、隙がない。

 マーラの口元がわずかに緩む。

(いいね)

 無言の評価だった。

 次の瞬間、父が踏み込んだ。

 速い。

 地面が爆ぜるような踏み込み。

 一直線の打撃。

 だが。

 怜の身体が、するりと横へ流れた。

 ぶつからない。

 避けたというより、流した。

 力を受け止めず、方向をずらす。

 柔らかな動き。

 父の拳が空を切る。

 その勢いのまま身体がわずかに前へ流れる。

 そこへ。

 怜が一歩だけ踏み込む。

 軽い接触。

 だが、そこには確かな力の芯があった。

 父は即座に後退する。

 距離を取り、呼吸を整える。

 目の奥に、わずかな驚きが浮かんでいた。

 再び踏み込む。

 今度は連撃。

 速さを上げる。

 角度を変える。

 踏み込みを深くする。

 だが、そのすべてを怜は柔らかく受け流していく。

 正面から受けない。

 ぶつからない。

 絡め取るように動き、力を逃がす。

 翻弄。

 まさにその言葉がふさわしかった。

 遠くから見ていた母が、小さく息を呑む。

 兄も妹も、言葉を失っている。

 そして。

 父の目が変わった。

 本気だ。

 次の瞬間、父が地面を強く踏みつけた。

 砂煙が舞い上がる。

 視界が遮られる。

 単純だが、実戦的な手段。

 その中から気配が消える。

 次に現れたのは――

 背後。

 完全な死角。

 仕留めに来た。

 その瞬間。

 遠くで見ていたマーラの口元が、にやりと歪む。

(ここだね)


 砂煙の中。

 父の手刀が振り下ろされる。

 決まった。

 誰もがそう思った、その刹那。

 怜の身体が沈んだ。

 最小限の動き。

 重心が消える。

 攻撃が空を切る。

 そして。

 次の瞬間には、父の懐の内側へ滑り込んでいた。

 距離ゼロ。

 逃げ場なし。

 怜の手が、父の喉元へ静かに添えられる。

 止まった。

 完全な決着だった。

 静寂。


 風が砂煙を運び、視界がゆっくりと開けていく。

 父はそのまま動かず、しばらく黙っていた。

 やがて、ゆっくりと息を吐く。

 そして、小さく笑った。

「……本当に強くなったな」

 その声には、誇りが滲んでいた。

 怜は何も言わず、ただ静かに手を下ろす。

 父の視線が、ふと持参した荷物へ移る。

 そこには――

 一本の刀があった。

 白雨。

 かつて怜が使っていた刀。

 だが、その刃は途中から無残に折れている。

 父はゆっくりとそれを手に取った。

 しばらく見つめる。

 その表情が、わずかに歪む。

「これを見つけたときな」

 低い声。

「……もう、お前は妖にやられてしまったのだと思った」

 言葉が、静かに落ちる。

 家族全員が息を止める。

 父の目の奥に、抑えていた感情が滲んでいた。

「守れなかったと……そう思った」

 声がかすれる。

 その瞬間。

 一粒の涙が、静かに頬を伝った。

 怜の胸が、強く締めつけられる。

 父はすぐに顔を背けた。

 だが、もう隠しきれなかった。


 その後、一行は家へ戻った。

 全員が無言だった。

 だが、その沈黙は重苦しいものではなく、どこか満たされた静けさだった。

 居間に集まり、全員が席に着く。

 父が静かに言った。

「……聞かせてくれ」

 短い言葉。

 だが、意味は明確だった。

 怜はうなずく。

 そして、深く息を吸い込んだ。

「ヴェイルについて、話します」

 声は静かだったが、迷いはなかった。

 ここからが、本当の戦いの始まりなのだから。

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