表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
55/123

第54話 帰還直後、現実の問題

「……お金が、ありません」

 怜は静かに告げた。


 だが、その言葉の重みは、静かどころではなかった。

 改めて状況を整理する。

 向こうの世界で手に入れた財布は置いてきた。

 そもそもこちらでは使えない通貨だったからだ。

 そして、本来使うはずだった自分の財布はというと――転移したとき、バッグの中に入れたまま、実家に置き去りにしてきてしまっている。

 つまり。

 完全に。

 詰んでいた。

 怜はスマートフォンの地図を見つめながら、乾いた声で言った。

「……ここから家まで、歩いたら数時間かかります」

 それは事実だった。

 歩けない距離ではないが、決して気軽に歩く距離でもない。

 マーラはその画面を覗き込み、ふうん、と軽くうなずく。

「そのくらいなら、全然歩けるでしょ」

 あまりにも当然の口調だった。

 怜は思わず顔を上げる。

「いや、歩けますけど……!」

 反射的に否定しかけて、言葉が詰まる。

 確かに歩ける。

 数時間程度なら、今の自分の体力なら問題ない。

 むしろ、あの世界での行軍に比べれば散歩のようなものだ。

 それでも。

「……なんか、帰ってきた途端、交通機関に乗りたくなるんです」

 思わず本音が漏れた。

 マーラは一瞬きょとんとしたあと、くすりと笑う。

「よっぽど嬉しかったんだね、帰ってきたの」

 からかうような声音だった。

 怜は少しだけ頬を赤くしながら視線を逸らす。

 否定はしなかった。

 その様子を面白がるように、マーラは腕を組み、わざとらしく声色を変えて言う。

「――電話っていう機能で、離れた場所にいる人と話せるんです」

 完全に、さっきの怜の口調の物真似だった。

「ちょ、ちょっとやめてください!」

 思わず抗議する。

 だが、その瞬間、ふとあることを思い出す。

 向こうの世界にも、電話のような通信手段は存在していた。

 数は少なく、設備も限られてはいたが、主に王都や軍の施設では普通に使われていたのだ。

 怜は小さく咳払いをして、言い訳するように口を開く。

「……向こうにも、電話くらいはあります」

 マーラはすぐさまニヤリと笑った。

「へえ、そうなんだ。じゃあ、こっちはずいぶん発展してていいよねー」

 わざとらしい言い方だった。

 完全に嫌味である。

「……それ、絶対に皮肉ですよね」

「さあ、どうだろうねー」

 楽しそうに肩をすくめる。

 その様子に、怜は思わずため息をついた。

 だが同時に、胸の奥にじんわりとした温かさが広がっていることにも気づいていた。

 このやり取り。

 この軽口。

 この距離感。

 どれも、あの世界での日常だったものだ。

 帰ってきたはずなのに、失っていない。

 その事実が、どこか嬉しかった。

 しばらく無言のまま立ち尽くしたあと、怜は小さく息を吐き、覚悟を決めたようにスマートフォンを握り直す。

「……仕方ないですね」

 画面を開き、さきほど通話したばかりの名前をもう一度選ぶ。

 発信。

 呼び出し音。

 今度は一回目のコールで、すぐに繋がった。

『もしもし!?』

 明らかに緊張した声だった。

 怜は一瞬だけ言葉を選び、そしてできるだけ落ち着いた声で言った。

「……お母さん」

『怜!? どうしたの!?』

 心配がにじむ声。

 怜はほんの少しだけ視線を逸らし、隣に立つマーラをちらりと見る。

 マーラは腕を組み、面白そうにこちらを見ていた。

 完全に聞く気である。

 怜は小さく息を吸い、観念したように口を開いた。

「えっと……」

 ほんの一拍の間。

 そして、できるだけ丁寧に言った。


「迎えに来ていただけませんか?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ