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第50話 師を求めて

 扉を開けた瞬間、室内の空気がわずかに止まった。


 机の上には書類が積み上がり、壁際には武器の手入れ道具が整然と並んでいる。その中央で椅子に腰かけていたマーラが、ゆっくりと顔を上げてこちらを見た。

「……なに、そんな真剣な顔して」

 軽い口調だったが、向けられた視線は鋭い。

 怜は一歩踏み込み、その場で立ち止まった。胸の奥にある言葉はすでに形になっており、迷いはほとんど残っていない。


「マーラさんに、お願いがあります」


 まっすぐ見据えて言う。

 その声音に、いつもの遠慮はなかった。

 マーラは眉をわずかに上げ、椅子の背にもたれながら腕を組む。

「へえ。あたしに?」

 冗談めかした口調だったが、探るような目つきは消えない。相手の覚悟の重さを測ろうとしているようにも見えた。

 怜は小さく息を吸い、言葉を続けた。

 確信があった。

 以前の戦闘で見せられた数々の武装を切り替えながら戦う姿は、ただ強いというだけではなく、状況に応じて最適な手段を迷いなく選び取る冷静さに満ちていた。槍、剣、銃、投擲武器――どれも身体の延長のように自然に扱われ、無駄な動きが一つもなかった。

 そして何より決定的だったのは、風神だった。

 自分ですら持て余しているそのレガリアを、マーラは一度だけ手に取り、何の躊躇もなく振るってみせた。力任せでも、試行錯誤でもなく、最初からそこに答えがあるかのように、静かで正確な一太刀を放ったあの瞬間を、怜ははっきり覚えている。


 あれは偶然ではない。

 あれは経験だった。


 この人は、本当に使いこなしている。

 その確信が、今ここに立たせている。


「レガリアの使い方を――教えてください」


 言葉は静かだったが、芯は揺らがない。

 室内の空気がわずかに張り詰め、マーラは黙って怜を見つめた。その視線には冗談も軽さもなく、ただまっすぐに突き刺さるような圧があった。

 試されている。

 そんな感覚が、はっきりと伝わってくる。

 しばらく沈黙が続いたあと、マーラは小さく肩をすくめ、わざとらしくため息をついた。

「いやいや、あたし忙しいんだけど? ほら、雑用も多いしさ。書類も溜まってるし、そもそも教えるのとか向いてないし」

 机の上の紙束を指先で叩きながら、軽い調子で言い訳を並べていく。

「他にも適任いるでしょ。騎士団の教官とかさ、ちゃんとした人が」

 明らかにはぐらかしていた。

 だが怜は一歩も動かない。

 視線も外さず、その場に立ち続ける。

 その沈黙が、じわじわと室内の空気を変えていく。

 やがて怜は、静かに口を開いた。

「以前――特訓してくれるって、言いましたよね」

 その一言で、マーラの動きがほんのわずかに止まった。

 記憶がよみがえる。

 ――明日から特訓ね。

 あの時、確かにそう言っていた。軽い口調で、冗談のように。

 結果として始まったのは厳しい鍛錬というより、むしろ食の歓迎と呼ぶべき日々で、怜は毎日のように限界まで食べさせられ、別の意味で散々な目に遭った。それでも、あの言葉自体は冗談ではなかったのだと、今なら分かる。

 マーラはしばらく黙っていた。

 視線が、ほんの一瞬だけ遠くへ向く。

 その表情がわずかに変わる。

 軽口でも冗談でもない、別の何かを思い出したような目。過去のどこか遠い場所へ意識が触れたような、そんな気配が一瞬だけ宿る。

 だがその影はすぐに消え、マーラは小さく息を吐いて再び怜を見た。

 今度は真正面から。

 じっと。

 長い沈黙が流れる。

 怜は逃げない。

 視線も逸らさず、ただまっすぐに立っている。

 その姿を見つめ続けたあと、マーラはとうとう観念したように肩を落とした。

「……あー、もう。ほんと、しつこいなあんた」

 ぼやくような声だったが、その口元にはわずかな苦笑が浮かんでいる。

 頭をかきながら椅子から立ち上がり、ゆっくりと怜の前まで歩み寄ると、そのまま至近距離で目を覗き込んだ。

 逃げ場はない。

 覚悟を確かめる距離だった。

「分かった。教えてあげる」

 短い言葉だったが、そこには冗談も軽さもなかった。覚悟を決めた人間の、静かな重さがにじんでいる。

 そして指を一本立て、少しだけ口元を歪めた。

「ただし、甘く見ないでよ。あたしのやり方、かなりきついから」

 いつもの調子に戻った声だったが、その奥には本気があった。

 怜は深く息を吸い込み、力強くうなずく。

「お願いします」

 その言葉を聞いた瞬間、マーラは小さく笑った。

 そして、迷いなく言った。


「――明日から特訓ね」

第一章完

次回から第二章が開始します。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

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