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第48話 境界の向こう側

 石造りの通路は、ひんやりと冷えていた。

 地下へと続く階段を下りながら、怜は無意識に手を握りしめていた。

 掌が汗ばんでいることに気づき、そっと力を抜く。

 隣を歩くフィンタンが、ちらりと視線を寄越した。

「緊張しているか」

 穏やかな声だった。

 怜は小さく息を吐き、正直にうなずいた。

「はい……少し」

 嘘ではない。

 怖くないと言えば嘘になる。

 だが、それ以上に――確かめたいことがあった。

 前方で、重い扉が見えてくる。

 魔封じの刻印が幾重にも刻まれ、周囲には警備兵が控えていた。

 一人が鍵を取り出し、無言で扉を開ける。

 鈍い音とともに、内部の冷たい空気が流れ出てきた。

 中は簡素な部屋だった。

 石の壁。

 固定された椅子。

 そして。

 その中央に――バルドルが座っていた。

 両腕と両足は拘束具で固定され、胸元には魔力を抑える楔が打ち込まれている。

 顔色はまだ完全には戻っていないが、その目は変わらず澄んでいた。

 静かに。

 ゆっくりと。

 その視線が、怜に向けられる。

 そして。

 わずかに、眉が動いた。

「……ほう」

 低い声が漏れる。

「本当に生きていたか」

 その言葉は、驚きというより確認に近かった。

 怜は一歩前に出る。

 バルドルはしばらく観察するように見つめ、やがて小さく息を吐いた。

「相当な寿命を代償にしたのだろうな」

 淡々とした口調だった。

 まるで当然の事実を述べているかのように。

 その言葉を聞いた瞬間、隣に立っていたフィンタンの顎がわずかに強張った。

 唇がきゅっと結ばれ、視線が床へと落ちる。

 反論しない。

 否定もしない。

 ただ黙っている。

 その沈黙が、周囲に妙な重みを生んだ。


(やっぱり……)


 怜の胸の奥が、ひやりと冷える。

 誤解は。

 完全に定着している。


 自分が生命を削って大術を放ったという認識が、もう揺るがない事実として広がっている。

 いまさら「ハッタリでした」と言い出せる雰囲気ではない。

 どころか。

 それを否定すること自体が、周囲の覚悟や感情を踏みにじることになりかねない。


 内心の焦りを押し込めながら、怜は静かに口を開いた。

「今日は、あなたに聞きたいことがあって来ました」

 バルドルは、わずかに首を傾けた。

「聞きたいこと?」

「はい」

 怜はまっすぐに視線を向ける。

 逃げないように。

「境界を通行する方法を、教えてください」

 部屋の空気が、ぴたりと止まった。

 護衛の兵がわずかに身じろぎする。

 フィンタンも、何も言わずに見ている。

 バルドルはしばらく沈黙し、やがて静かに笑った。

 声は出さない。

 ただ口元が、わずかに歪む。

「それを教えるメリットが、我にあるのか?」

 冷静な問いだった。

 感情は乗っていない。

 純粋な合理の声。

 怜は言葉を失った。

 当然の疑問だった。

 捕虜の立場で、敵に協力する理由などない。

 ましてや、自分の領域へ通じる手段を明かすなど――戦略的に自殺行為に等しい。

 頭の中で、考えが巡る。


 説得。

 取引。

 脅し。


 どれも決定打にならない。

 沈黙が続く。

 その時。

 バルドルが、ふと別の方向へ視線を向けた。

 そして。

 興味深そうに言った。

「逆に、我から一つ尋ねよう」

 怜が顔を上げる。

 バルドルの目は、まっすぐだった。

 探るような。

 測るような。

 純粋な知的関心。

「貴様は」

 静かに言葉を選ぶ。

「それほどの潜在力を持ちながら、なぜその程度に収まっている?」

 問いは、静かだった。

 だが。

 重かった。

 怜は、思わず息を止めた。

「境界を切断する力」

 バルドルは続ける。

「常識外れの魔力密度。瞬間的な空間干渉。そして我の再生能力を打ち破った現象」

 一つ一つ、淡々と並べる。

「どれを取っても、この世界の枠組みを逸脱している」

 そして。

 ほんのわずかに、目を細めた。

「にもかかわらず」

 声が低くなる。

「貴様は、その力を理解していない」

 断言だった。

 逃げ場のない言葉。

 怜は、何も言えない。

 バルドルはさらに続ける。

「扱い方も知らず、理論も知らず、応用も考えていない。ただ偶然に頼り、運に任せている」

 淡々と。

 だが、核心を突いてくる。

「それほどの資質を持ちながら、なぜそこまで無自覚でいられる?」

 沈黙が落ちる。

 問いは責めるものではない。

 むしろ。

 純粋な疑問。

 理解できない現象を前にした、研究者のような目。

 怜の胸の奥で、何かがざわついた。

 自分でも分かっている。

 何も分かっていないことを。

 ただ。

 生き延びてきただけだということを。

 それでも。

 ここで黙っているわけにはいかなかった。

 怜はゆっくりと息を吸い込み、静かに顔を上げる。

 バルドルをまっすぐに見据える。

 そして。

 小さく、しかしはっきりと言った。

「……だからです」

 声は震えていない。

「分からないから、知りたいんです」

 その言葉は。

 恐れではなく。

 意思として、部屋の中央に置かれた。

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