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第44話 言えない真実

 瓦礫の上に、重い静寂が落ちていた。

 崩れた屋根の中央。

 半身を失ったヴェイルが、なおも立っている。

 王国軍も、残った魔物も、誰一人として動けなかった。

 ただ、その異様な存在を見つめていた。

 やがて。

 ヴェイルの身体が、ゆっくりと震え始めた。

 失われていた肩口から、黒い霧のようなものが滲み出る。

 それは空気を吸い込むように集まり、渦を巻き、形を成していった。

 骨が生まれる。

 筋肉がまとわりつく。

 皮膚が覆う。

 再生。

 完全ではない。

 ぎこちなく、歪で、それでも確かに失われていた半身が再び形を取り戻していく。

 兵士たちの間に、緊張が走った。

「……再生している」

 誰かが呟く。

 その声は、恐怖を隠しきれていなかった。

 やがて。

 再生は終わった。

 ヴェイルは、再び両足で立っていた。

 しかし。

 次の瞬間、その身体が大きく揺れた。

 まるで糸が切れた人形のように、膝が折れる。

 ぐらり、と前のめりになり――

 そのまま、崩れ落ちた。

 瓦礫が小さく跳ねる。

 動かない。

 静寂。

 しばらくして、兵士の一人が慎重に近づき、脈を確かめた。

「……生きている」

 その言葉が周囲に広がる。

 生きている。

 だが、戦えない。

 完全に力尽きていた。

「拘束しろ」

 命令が下る。

 兵士たちが駆け寄り、鎖を巻きつけ、魔封じの具を取り付けていく。

 重い金属音が、静まり返った戦場に響いた。

 王国軍は、初めてヴェイルを捕らえた。

 生きたまま。


 その少し離れた場所。

 時計台の最上階。

 そこでは、まだ戦いが続いていた。

 残党の魔物が、狂ったように押し寄せてくる。

 指揮を失ったとはいえ、数はまだ多い。

 その前に立っていたのは、エドガーだった。

 長身の若い小隊長は、盾を構え、剣を振るい続けている。

 呼吸は荒く、腕も震えていたが、一歩も退かなかった。

 背後には。

 怜とエドマンド。

 二人がいた。

 怜は倒れている。

 刀を握ったまま、動かない。

 エドマンドは膝をつき、辛うじて身体を支えていた。

 魔力はほとんど残っていない。

 それでも、意識だけは手放していなかった。

 エドガーの剣が、最後の一体を斬り伏せる。

 鈍い音とともに、魔物が崩れ落ちた。

 静寂。

 ようやく。

 本当に。

 戦いが終わった。

 エドガーは大きく息を吐き、剣を下ろした。

 だが、休むことはしなかった。

 すぐに振り返る。

「怜」

 名を呼びながら、駆け寄る。

 膝をつき、首筋に手を当てる。

 指先が震えていた。

 脈。

 ――ある。

 確かに。

 弱いが、はっきりと。

 生きている。

 その瞬間。

 張り詰めていたものが、一気にほどけた。

「……生きてる」

 かすれた声だった。

 安堵が、隠しきれない。

 その横で。

 エドマンドが、ゆっくりと息を吐いた。

 彼もまた、怜を見ていた。

 その顔を。

 その呼吸を。

 そして。

 理解する。

 生きている。

 守れた。

 その確信とともに。

 身体から力が抜けた。

 視界が揺れる。

 立っていられない。

 それでも最後に、もう一度だけ怜を見た。

 そして。

 静かに。

 その場に倒れた。


 目を覚ました時、最初に見えたのは白い天井だった。

 柔らかな光が差し込み、室内には薬草の匂いが漂っている。

 遠くで誰かが歩く音がして、すぐにまた静けさが戻った。

 ここは病室だと、すぐに分かった。

 身体は重いが、思ったほど痛みはない。

 ゆっくりと息を吸い、吐くこともできる。

 生きている。

 その実感が、じわりと広がった。

「……目を覚ましたか」

 低く落ち着いた声が聞こえた。

 横を見ると、そこにブリギットが立っていた。

 腕を組み、じっとこちらを見下ろしている。

 厳しい表情。

 だが、その奥には確かな安堵があった。

「無茶をしたな」

 責めるでもなく、ただ静かに言う。

 怜は口を開こうとしたが、声がうまく出なかった。

 代わりに、ブリギットが続けた。

「よくやった」

 短い言葉だった。

 だが、重みがあった。

「街は救われた。多くの命が守られた」

 一度、言葉を切る。

 そして、少しだけ柔らかな声になる。

「だがな」

 真っ直ぐに、怜を見る。

「私は、お前が死ぬことを望んでいない」

 その言葉が胸に深く刺さった。

 怜は小さく息を吸い、震える声で尋ねる。

「……エドマンドは」

 ブリギットは頷いた。

「無事だ。お前より先に回復した」

 わずかに口元を緩める。

「今は捕虜の尋問に参加している。あれも、なかなか頑丈な男だ」

 怜の胸の奥に溜まっていた緊張が、ゆっくりとほどけていく。

 生きている。

 それだけで十分だった。

 だが。

 次の言葉が、再び胸を重くした。

「街では――」

 ブリギットが言う。

「お前は英雄だ」

 静かに。

 はっきりと。

「聖女と呼ぶ者もいる」

 怜は固まった。

 完全に。

 話が大きくなっている。

「生命を削って大魔術を放った、と皆が信じている」

 断言だった。

 疑う者はいない。

 誰一人として。

 怜の喉が乾く。

 違う。

 そうじゃない。

 ただの――

 ハッタリ。

 そのつもりだった。

 なのに。

(いや……)

 内心で呟く。

(撃っちゃったってことは……)

 その時。

 腰の横に置かれていた刀から、微かな気配が伝わってきた。

 風神。

 落ち着いた声が、静かに響く。

 ――問題ないようだ。

 いつも通りの調子だった。

 あまりにも平然としていて、逆に現実感が薄れる。

 怜はそっと目を閉じる。

 胸の奥に溜まっていた息が、ゆっくりと抜けていく。

 よかった。

 本当に。

 だが。

 別の問題が残る。

 完全に。

 ハッタリだった。

 それを。

 今さら言い出せない。

 絶対に。

 言える空気じゃない。

 その後、王都の仲間たちが次々と見舞いに訪れた。

 皆、同じ顔をしていた。

 安堵。

 喜び。

 そして。

 恐怖。

 失いかけた者を見る目だった。

「本当に……よかった」

 誰かが震える声で言う。

「もう、無茶はするな」

 別の誰かが言う。

 中には、涙を流す者もいた。

 本気で。

 心の底から。

 生きていてくれてよかったと。

 そう思っている顔だった。

 その姿を見て、怜の胸が締め付けられる。

 言えない。

 どうしても。

 言えない。

 本当は。

 死ぬつもりなんて。

 なかったなんて。

 ただの。

 ハッタリだったなんて。

 言えなかった。

 ただ。

 小さく笑うことしかできなかった。

 その笑顔を見て。

 誰かが。

 ぽろりと涙をこぼした。

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