第32話 珍しい波形、たぶん体質の問題
王都・魔術局 技術棟。
石造りの古い建物の奥。
油の匂いと、わずかな蒸気の熱気がこもる部屋だった。
壁際には、奇妙な装置が並んでいる。
真空管。
配線。
歯車。
そして中央には——
四角い箱。
その前面に、丸いガラス窓。
ブラウン管。
中では、緑色の線がゆっくりと揺れていた。
ぴー……
ぴ……
ぴー……
一定の間隔で音が鳴る。
まるで心電図のようだ。
その横では、細い紙テープが機械から吐き出されている。
カタカタカタ……
小さな針が振れ、波形を刻み続けていた。
完全に。
理科室だった。
「はい、腕をこちらへ」
白衣の技官が言う。
怜は椅子に座り、ためらいながら腕を差し出した。
金属の輪が手首にはめられる。
ひんやり冷たい。
少しだけ不安になる。
「痛くはありませんよ」
技官は慣れた手つきで装置を操作する。
スイッチが押される。
ぶぅん……
低い振動音。
真空管が赤く灯る。
機械が目を覚ますような音だった。
ブラウン管の線が動き出す。
最初は穏やかな波。
なだらかな曲線。
普通。
たぶん普通。
だが。
次の瞬間。
ぎゅん
線が跳ねた。
細かく震え。
大きく落ち。
また跳ねる。
明らかに。
妙な動き。
技官の手が止まった。
「……ん?」
もう一人の技官が覗き込む。
「おい」
小さな声。
さらにもう一人。
三人。
全員。
ブラウン管を見ている。
沈黙。
そして。
「呼んでこい」
低い声。
真剣な声。
若い技官が走り出した。
廊下へ。
全力で。
怜は椅子の上で固まった。
嫌な予感しかしない。
「えっと」
恐る恐る聞く。
「何か問題が?」
誰も答えない。
全員。
画面に釘付け。
そして。
少しだけ。
嬉しそう。
数分後。
扉が勢いよく開いた。
「どれだ」
白髪の老人が入ってくる。
杖をつきながら。
息を切らしながら。
どう見ても偉い人。
技官たちが一斉に背筋を伸ばした。
「局長」
小声が漏れる。
老人はブラウン管を覗き込んだ。
しばらく無言。
紙テープをつまみ上げる。
目を細める。
そして。
ぽつり。
「……懐かしい形だ」
静かな声。
だが。
部屋の空気が変わった。
怜は思わず聞く。
「珍しいんですか?」
老人はうなずいた。
「かなりな」
短い返事。
「昔の記録で見たことがある」
さらに続ける。
「今ではほとんど確認されない型だ」
技官たちがざわつく。
紙をめくる音。
椅子のきしむ音。
小さな興奮。
怜の心臓が少し速くなる。
まずい。
何か。
まずい。
そのとき。
若い技官が言った。
「あっ」
全員が振り向く。
「体質の問題では?」
空気が止まった。
数秒。
別の技官がうなずく。
「あり得ますね」
さらに一人。
「地方差や生活習慣でも変わりますし」
もっともらしい。
非常にもっともらしい。
老人は腕を組んだ。
考える。
数秒。
そして。
深くうなずいた。
「うむ」
結論が出た。
「珍しい体質だろう」
あっさり。
実にあっさり。
室内の緊張がほどけた。
「ああ、驚いた」
「古代型かと思った」
「さすがにそれはない」
笑い声。
空気が軽くなる。
完全に。
いつもの検査室。
怜はぽかんとしていた。
「……体質」
口に出してみる。
技官が元気よくうなずいた。
「そうです!」
自信満々。
「少し特殊なだけですよ!」
説明は雑だった。
だが。
誰も気にしていない。
検査は終わった。
レジストリを受け取る。
いつもの金属カード。
いつもの重さ。
問題なし。
そういうことになった。
建物の外。
石畳の通り。
午後の日差し。
怜は歩きながら、カードを見つめていた。
胸の奥に。
小さな違和感が残っている。
そのとき。
思い出す。
以前のこと。
任務のあと。
夕暮れ。
マーラが何気なく言った言葉。
「私と似た波形」
怜は足を止めた。
心臓が少し強く打つ。
似ている。
誰と。
分かっている。
でも。
考えたくない。
「何してるの」
背後から声。
振り向く。
マーラが立っていた。
壁にもたれて。
パンをかじっている。
いつもの顔。
いつもの調子。
怜はまっすぐ聞いた。
「さっき検査で」
一歩近づく。
「私の波形が珍しいって言われました」
マーラは眉を上げた。
ほんの少しだけ。
「へえ」
興味なさそうな声。
だが。
目は逃げない。
怜は続ける。
「昔の記録にある型らしいです」
沈黙。
風が吹く。
紙が揺れる。
怜は言った。
静かに。
逃がさないように。
「前に言いましたよね」
間。
「私と似た波形だって」
マーラは。
少しだけ。
考えた。
本当に一瞬。
そして。
にこりと笑った。
いつもの笑顔。
完璧な笑顔。
「気のせいじゃない?」
軽い声。
あまりにも軽い声。
怜は小さく息を吐いた。
やはり。
いつも通り。
マーラは歩き出す。
ひらひらと手を振る。
「ほら」
振り向かないまま言う。
「難しいこと考えると」
間。
少し楽しそうに。
「お腹すくよ」
怜はその背中を見送った。
納得はしていない。
でも。
追及しても。
きっと。
また。
はぐらかされる。
怜はレジストリを胸ポケットにしまった。
金属の感触。
確かな重さ。
そして。
心の奥に残る。
小さな棘。
——珍しい体質、らしい。




