第2話 蒸気仕掛けの王国
目を覚ました瞬間。
怜が最初に思ったのは――
(……海外?)
空気が違う。
湿り気が強い。
土の匂い。
そして。
遠くから聞こえる低い振動音。
ゴオォォォ――
体を起こす。
丘の上だった。
草が揺れている。
見慣れない植物と見慣れない空。
その先に――
街があった。
煙突。石造りの建物。
巨大な歯車と配管。
蒸気が絶えず噴き出している。
さらに。
空を横切る鉄の橋。
その上を、蒸気機関車が走っていた。
白い蒸気を吐きながら。
空の上を。
(ヨーロッパ……?)
制服の袖を見下ろす。
血が付いている。
さっきまで戦っていた。
妖。
境内。
折れた刀。
蔵。
そして――
風神。
(……いや)
記憶は途切れていない。
最後に。
巨大な妖を斬った。
その瞬間。
風が暴れた。
そして。
ここにいる。
背後で砂利を踏む音。
「目が覚めたかね」
振り向く。
外套姿の男。
丸眼鏡。
白髪混じり。
整った髭。
学者。
そんな印象。
彼の足元には、木箱がいくつも並んでいた。
金属製の脚。
伸縮する支柱。
観測機材のような装置。
野外調査中。
そう見えた。
怜はまず言った。
「ここ、どこの国ですか」
男は少し考えた。
そして。
「王都西方三里の丘だ」
即答だった。
怜は眉を寄せる。
(王都……?)
聞いたことがない。
「国名は?」
男は少し口角を上げた。
「良い質問だ」
一拍。
「だが」
「君の知っている地図には載っていない」
沈黙。
風が吹く。
怜は言った。
「……じゃあ、どこの国なんですか」
男は答えた。
「ダナーン王国だ」
「ヨーロッパじゃない?」
男は首を傾げた。
「その言葉は知らない」
その瞬間。
胸の奥に、小さな違和感。
だが。
怜はまだ合理的に考えた。
(未承認国家)
(紛争地域)
(隔離国家)
あり得る。
現実的だ。
怜は言った。
「大使館はありますか」
男は一瞬黙った。
それから。
静かに言った。
「ない」
「君の祖国も」
「この世界には存在しない」
その言葉。
重かった。
怜は数秒黙った。
それから。
はっきり言った。
「……転移?」
男は目を細めた。
「その言葉を知っているか」
怜は首を振った。
「理論だけ」
一拍。
「実在するとは思っていません」
男は頷いた。
「正しい」
そして。
静かに言った。
「私もだ」
沈黙。
風。
蒸気の音。
遠くで機関車の汽笛。
男は懐から装置を取り出した。
真鍮製。
ガラス管。
内部で光が脈打つ。
カチ。
カチ。
針が大きく振れた。
男はそれを見つめたまま言った。
「私は」
一拍。
「フィンタン・マク・ダーナ」
その名は。
王立自然理学会において、
古い学統として知られていた。
「時空魔術の研究者だ」
針が――
跳ね上がった。
カチン。
振り切れる。
男の呼吸が、わずかに止まる。
二十年。
彼は。
時空魔術――
世界の境界を越える理論を追い続けてきた。
だが。
実例は一度もなかった。
今、この瞬間までは。
フィンタンはゆっくり顔を上げた。
「だが」
「これは説明がつかない」
彼は怜をまっすぐ見た。
「君は」
一拍。
「この世界の外側から来ている」
その瞬間。
現実が崩れた。
怜の喉が動く。
呼吸が浅くなる。
心臓が、遅れて跳ねた。
頭の中で。
常識が。
ひとつずつ。
折れていく。
海外ではない。
国家でもない。
事故でもない。
世界が違う。
怜は小さく呟いた。
「……嘘でしょ」
それは。
戦闘でも。
妖でも。
死でもなく。
初めての。
純粋な驚愕だった。
フィンタンは静かに言った。
「残念ながら」
「論文的には」
一拍。
「非常に興味深い」
怜は顔を上げた。
「助ける気あります?」
フィンタンは即答した。
「もちろん」
そして。
少しだけ笑った。
「君が協力的なら」




