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第26話 見抜いたもの

 マーラは振り返った。

 表情はいつも通りで、ほんの少しだけ軽い笑みを浮かべている。

「だから言っただろ」

 肩をすくめる。

「戦場は、見抜いたほうが勝つ」


 怜は動けなかった。

 自分は助けようとしていた。

 守ろうとしていた。

 だが、それは敵だった。

 床の上で、異形の核がゆっくりと崩れていく。

 黒い霧が空気に溶け、やがて完全に消えた。

 その最後まで見届けてから、マーラは小さく息を吐く。

「……間に合った」

 その言葉には、確かな安堵が滲んでいた。

 怜は顔を上げる。

「……何が、ですか」

 問いは震えていた。

 自分でも、何を聞きたいのか分からないまま口にしていた。

 マーラは視線を落とさず、静かに答える。

「援軍だよ」

 軽い口調だった。

 だが、その目だけが冗談を許さない硬さを帯びていた。

「さっきの子。呼ぼうとしてた」

 短い説明。

 怜の背筋が冷えた。

「呼ぶ……?」

 マーラは小さく頷く。

「人型が出た時点で、もう普通の案件じゃない。本来なら、街一つ消えるのを覚悟するレベル」

 さらりとした言い方だった。

 だが内容は、あまりにも重かった。

「だから急いだ。呼ばれる前に、核ごと断つ必要があった」

 怜は言葉を失う。

 自分は躊躇った。

 一瞬とはいえ、助けようとして敵に時間を与えた。

 胸の奥で、何かが静かに沈んでいく。


 その時だった。

「——役立たずの泣き言を聞いて来てみれば」

 背後から声が落ちてきた。

 低く、乾いた、感情のない声。

「もう死んでいるとはな」

 空気が変わった。

 怜の呼吸が止まる。

 振り向けない。

 見てはいけない。

 動いてはいけない。

 逃げても意味がないと、本能が告げていた。

 それほどの圧力。

 それほどの存在感。

 それほどの——魔力。

 肺が動かない。

 身体が重い。

 視界が狭くなる。

 だが。

 マーラは振り返った。

 いつも通りの足取りで、軽く、気楽に。

 まるで近所の知り合いに会ったかのように。

「おっ。来た来た」

 手をひらひら振る。

「遅いじゃん」


 そこに立っていたのは、人だった。

 黒い外套。

 整った輪郭。

 静かな表情。

 だが、目だけが違った。

 底のない闇。

 深く、古く、人間ではあり得ない時間を宿した瞳。

「我が名は——ヴァルゼイン」

 ゆっくりと名乗る。

 その声が空間を満たした。

「この地を統べる者。この世界を取り戻す者」

 静かな宣言だった。

 だが、その一言だけで空気が歪む。

 床が軋み、壁が震える。

 魔力が重力のように空間を押し潰していた。

 怜は膝をつきかける。

 立っていられない。

 抗えない。

 圧倒的だった。

 桁が違う。


「世界はすべからく我々の領土」

 ヴァルゼインは続ける。

「人間は、そこを奪った蛮族に過ぎぬ」

 淡々と、事実を述べるかのように。

「ゆえに我らは奪い返す。当然の権利として」

 沈黙が落ちる。

 重く、逃げ場のない沈黙。

 その中で。

 マーラだけが笑った。

「へえ」

 感心したように。

「ずいぶん大きく出るね」

 軽い声だった。

「でもさ」

 首を傾げる。

「ここ、うちの街なんだよね」

 一歩前へ出る。

 足音が、やけに小さく響いた。

「返してほしいなら、もうちょっと礼儀ってもんがあるでしょ?」

 ヴァルゼインの目が細まる。

「貴様は——」

 わずかな間。

 観察するような沈黙。

「何者だ」

 当然の問い。

 だが、マーラは肩をすくめた。

「ただの傭兵」

 にこっと笑う。

「日雇いだよ。いまはね」

 あまりにも軽い答えだった。

 ヴァルゼインの眉がわずかに動く。

「……その程度の存在が」

 低く、冷たい声。

「我に抗うと?」

 マーラはあっさり頷いた。

「うん」

 即答。

 迷いはない。

「だって、ここで止めないと面倒でしょ」

 軽い口調のまま。

 だがその足が、一歩前へ出た瞬間——

 空気が変わった。

 重さが消える。

 圧力が散る。

 怜の呼吸が戻る。

 肺に空気が流れ込む。

 思わず膝をついた。

 何が起きたのか分からない。

 だが一つだけ、確かなことがあった。

 マーラが。

 魔力そのものを。

 抑え込んだ。

「さて」

 マーラが手を差し出す。

 そこには、風神。

 怜のレガリアが静かに収まっていた。

「もう一回、借りるね」

 軽く言う。

 その瞬間。

 風が集まった。

 空気が震え、見えない壁が立ち上がる。

 円形に、広範囲に。

 建物を。

 街を。

 包み込む。

 怜の目が見開かれた。

 これは防御。

 結界。

 だが、桁が違う。

 精度が。

 密度が。

 規模が。

「街は大事だからさ」

 マーラは軽く言った。

「壊したら怒られるし」

 冗談のような口調。

 だが、その背中から溢れる魔力は、もはや冗談ではなかった。

 ヴァルゼインの表情が変わる。

 初めて。

 明確に。

 警戒。

「……貴様」

 低く、慎重に。

「名を名乗れ」

 問い。

 そこには、わずかな緊張が混じっていた。

 マーラは首を傾げ、少し考えるような仕草をする。

 そして笑った。

「名前?」

 肩をすくめる。

「別にいいでしょ」

 軽く、あっさりと。

「ただの傭兵だし」

 沈黙。

 次の瞬間。

 ヴァルゼインの魔力が爆発した。

 轟音。

 空間が裂ける。

 黒い奔流が広がる。

 全魔力。

 全解放。

「無名の人間が——!」

 怒号。

「我に勝てるはずがない!!」

 魔力が叩きつけられる。

 建物を。

 地面を。

 街を。

 破壊するはずの力。

 だが。

 触れた瞬間。

 消えた。

 霧のように。

 音もなく。

 完全に。

 ヴァルゼインの目が見開かれる。

 理解不能。

 否。

 理解したくない現実。

「な……」

 その声が漏れた。

 マーラは静かに立っていた。

 風神を片手に。

 軽く。

 自然に。

 まるで最初から、そこにあるのが当然のように。

「ほら」

 小さく言う。

「ちゃんと囲ってあるから」

 周囲を指さす。

 透明な結界。

 完璧な遮断。

 一切の漏洩なし。

 街も。

 人も。

 怜も。

 傷一つつかない。

 完全防護。

「じゃあ」

 マーラが一歩踏み出した。

 その瞬間。

 世界が沈んだ。

 音が消える。

 光が揺らぐ。

 時間が遅くなる。

「終わりにしよっか」

 優しく。

 本当に優しく。

 そう言った。


 次の瞬間。

 風が走った。

 一閃。

 それだけ。

 音もなく。

 抵抗もなく。

 ヴァルゼインの身体が消えた。

 粉微塵。

 完全消滅。

 痕跡すら残さず。

 静寂。

 完全な静寂。

 崩れ落ちながら。

 最後の意識の中で。

 ヴァルゼインは見た。

 その姿を。

 その背中を。

 その気配を。

 遠い記憶。

 かつて戦場で対峙した、あの存在。

 国の最高戦力。

 最強の執行者。

 ——モルガン。

 かつて世界を止めた、あの存在。

 その面影が。

 確かに。

 そこにあった。

 闇が閉じる。

 完全消滅。

 戦闘終了。

 風が静かに止んだ。

 まるで。

 何も起きなかったかのように。

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